❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

リチャードー1

◇◆ 発掘されたリチャード3世の遺骨、遺骨は訴える・・・・2/2  ◆◇

 もう1カ所の傷は、左耳の後ろのやや下、頸骨に近い部分にあり、直径が3cmぐらいの大きさの、やはり骨が欠損しているものである。この傷は、先の尖った武器によるものと見られ、頭蓋骨の反対側には、武器の先端が突き出たためにできたとみられる小さな穴があいていた。この状況から、傷は深さが10cmもあり、脳を貫通していたと考えられている。そしてこの傷が致命傷となり、リチャード3世は即死に近い状態で絶命したと見られている。

 リチャード3世は骨にまで達せず遺骨にその跡が残らなかった負傷もうけていたと思われるが、傷跡が頭蓋骨に集中していたことから、攻撃されたときかれは兜を失っていて、敵に頭部を集中的に狙われたと推定されている。そして傷跡の状況から、リチャードは、後頭部に頭蓋骨の一部を失うような、ハルバードによる強力な一撃を受け、うつ伏せに倒れたところを、後ろから短剣か槍のようなもので、首の付け根に近いところを思いきり刺されたとみられている。

 骨盤にも傷跡があったが、これは、やはりハルバードのような武器による一撃が臀部に加えられてできたものと推定されている。このような傷は、立って戦っているときにできるようなものではないので、リチャードは死亡後も、敵から死者の尊厳を毀損するような激しい蛮行を受けていたと見られている。
 
 遺骨が発見されたときの状況から、リチャード3世が埋葬されたときのようすもいくつか分かってきた。一つは、発掘場所から、棺や経帷子のようなものがあったことを示す痕跡がまったく発見されなかったことである。そして、遺骨は腕が前のほうで不自然な形で交差し、頭部を前に倒した形で発見された。

遺体移送

 これらの状況から、リチャード3世は手首を縛られたまま、しかも掘った墓穴が小さすぎたためか、頭部を前に倒し、無理やり穴に押し込めるようにして埋められたと見られている。 これらのことから、リチャードは処刑された犯罪者のように手首を縛られたまま、埋葬とはほど遠い粗雑な方法で、ただ掘った穴に埋められたことを物語っている。 ・・・・・・・哀れである。

 今回発掘された遺骨の状況から、これまで断片的に伝えられてきたことのいくつかが、事実やそれに近いものであったことがわかる。 

 リチャード3世は頭部へハルバードのような長柄武器の攻撃を受け、それにつづく頭部への攻撃で殺害されたとすると、ハルバードは歩兵がもつ武器であることから、伝承にある“リチャードは頭部にウェールズの歩兵の攻撃をうけて討たれた”という記述と一致する。 言い伝えのなかには、かれは“脳漿が飛びだすほど兜を叩きつぶされた”と描写したものがあるが、それほどでなくても、頭部に致命傷となるような攻撃を受けたことには違いなかった。

 また遺骨には、遺体に激しい蛮行が加えられたことを示す痕跡が見られたことから、かれの最後は、“かれの遺体はかろうじて人間の形をしていた”、“衣服をはがれ”、“馬の背に放り上げられて運ばれ”、“レスターの町でかいば桶に放り込まれて晒し者になった”という伝承とも矛盾しない状態だったことがわかる。

 さらに、ただ掘った穴に、手を縛られたまま無理やり押し込めるようにして埋められたと見られていることは、“死者にたいする最低限の儀式がおこなわれただけで埋葬された”ということとも一致している。 いや実際には、儀式らしい儀式もなかったと言えるかもしれない。

リチャードー4

 今回の遺骨の発見は、リチャード3世がボズワースの原野の露と消えてから527回目の命日の三日後、それも調査がはじまったまさにその日になされた。 これもなにかの因縁めいたことを感じざるをえない。 発掘された遺骨は、衝撃的な様相でなにかを訴えているようだった。 彼の実像はいったいどうだったのか。 これを機にリチャード3世の実像をさぐる研究はまた活発になることは必定だろう。かれの遺骨はそれを望んで、いつか発掘される日をレスターの地で待っていたのかもしれない。 そして「英国史上最大の極悪非道の王」という汚名が晴らされ、歴史書からその記述が消える日はいつになるのだろうか。

 リチャード3世の遺骨は、詳細な調査後、王室とリチャード3世協会によって、丁重な宗教的儀式をもって再埋葬されるという。 ヨークシャーに縁の深かった王だけに、遺骨はヨーク大聖堂に埋葬されるべきだとの声もあがり、その署名運動も起こったという。 しかし、今回の発掘調査をおこなうことにあたっての事前の取り決めやレスター大学の意向によって、リチャード3世の遺骨はレスター大聖堂に埋葬されることになった。

千葉 茂著『ヨークシャーの丘からイングランドを眺めれば』より

Family-Tree

リチャード・シール

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