王妃メアリーとエリザベス1世 =05=

❢❢ 王妃メアリーの挫折と苦悩が大英帝国の礎に ❢❢

○◎ 華麗なる二人の女王が一つの国土に戴冠、敵対しつつ時代を築く ◎○

金襴の陣

◇◆ 未亡人となり失意の帰国 ◆◇

 156012月、子供のころから病弱だった夫のフランソワ2世が、16歳の若さで他界してしまった。 死因は、持病の耳の病気が悪化したためだったと言われている。 メアリーは、18歳になったばかりで未亡人となった。彼女は、フランスへやってきたときは人質のような存在だった。 しかし成長するにつれて、華麗で優雅なフランスの宮廷生活を楽しむようになっていた。 そして、いつも宮廷の中心にいて、かしずかれていた。 同じ年の6月、故国の母メアリー皇太后も、娘の身を案じながら死去していた。 周囲では、メアリー本人の意向を無視して、早々に再婚相手探しが始まった。

 メアリーは義弟で、王位を継いだシャルル9の求婚を拒み、フランスでのんびり未亡人生活を送る気ままさも拒否する。 そして、メアリーはあの争いと嫉妬渦巻く荒廃した故国へ、スコットランドへ帰る道を選ぶのだった。 その頃からメアリーは、自分の紋章に、英国王家の獅子紋を入れるようになる。 この行為は明らかなエリザベスへの挑発行為だった。 後世の人間は、それを見て「愚か」だと笑うけれど、果たして 一笑に伏すことができるだろうか。

 スコットランドは、女王メアリーにとっては自国だった。 しかしそこは、宗教抗争と貴族間の権力争いの絶えない、彼女にとっては無縁の国だった。 メアリーはフランスの宮廷でスコットランドのことを忘れ、優雅な日々をおくっていた。 ところが夫の死によって、メアリーの立場は激変してしまった。 前王妃はもはや宮廷の中心的存在ではなく、ただの貧しい北国の女王でしかなかった。 居場所を失ったメアリーは、1561年、13年ぶりに自国スコットランドに帰ってきた。 しかしそのときの祖国は、無政府状態に近いものだった。 貴族たちは権力闘争に明け暮れ、カトリックとプロテスタントの宗教抗争も終わっていなかった。 そして厄介だったのは、貴族や庶民にはプロテスタントがふえていたが、もどってきた王室は、依然としてカトリックだったことである。

シャルル9世

フランスの宮廷で自由気ままに暮らしてきたメアリーにとって、混乱した国は、到底、統治できるものではなかった。また、彼女にもその気がなかった。 メアリーは荒廃した国を思いやるよりも、フランスの宮廷での優雅な生活を懐かしんだ。 それは、荒涼とした辺境の地スコットランドでは望むべくもなかったが、彼女はそれなりの贅沢が楽しめればいいと思っていた。 あとは、再婚相手を探すだけだった。 思えば、英国側の拉致を恐れて、国内と転々と逃げ隠れした幼少時代だった。 そして5歳の時、母と引き離され、逃げるようにフランスに渡った。 祖父を、父を、屈辱のうちに死に追いやり、故国を踏みにじった英国。 そんな憎き英国に対し、復讐心があったのではなかろうか。 まして今の女王は、あの宿敵ヘンリー8世の庶子の娘エリザベスである。 正当なチューダー家の血を引くメアリーが王位を望んでも、不思議ではなかった。

1561年、メアリーはスコットランドへ帰国する。 メアリーは一応エリザベスに英国近海を通過する旨を知らせたが、エリザベスの側はそれをそっけなく無視した。 7月20日、メアリーは英国側の悪意を知りながら、カレー港=対岸のドーヴァー港(英国側)と対峙=へと出発する。 そして、 「どのような結果になろうとも、私は旅立ちます。」と決意新たに4、約一月後の8月14日、ついにメアリーを乗せた船は港を離れた。 甲板に立つメアリーは遥かに遠ざかる岸を眺めながら、激しく泣いた。

「アデュー、フランス!もう二度と見ることはないでしょう。」 =フランス語の「アデュー」は単なる「さようなら」ではない。 決別を表す言葉である。メアリーは、第二の故郷であるフランスに二度と帰らない決意であった=

エリザベス1世

 ユーロスターでドーバー海峡を越え、南部英国に入ったとたん、それまでの清澄なフランスの陽光は消え、にわかにどんよりとした北国の空気に包まれる。 21世紀でさえそうなのだから、ましてや16世紀、英国よりさらに北のスコットランドはフランスとの落差は大きかったはずである。 5日の航海の後、メアリーが上陸したエジンバラ近郊のリース港は、霧の濃い裏ぶれた漁村だった。 

 明らかな発展途上国。 しかも狂信的なキリスト教原理主義者が跋扈し、隣国からの侵略行為と内部の権力闘争で疲れきったスコットランドは、どことなく現代の中央アフリカや中央アジア諸国を思わせる。 そんな危険な場所へ、世間知らずのお姫様が復讐心に燃え飛び込んでいって万事が解決するとしたら、それはフィクションの世界だけであろう。 現実にメアリーを待っていたのは、呵責の無い男同士の権力闘争と、ピューリタンの女性蔑視、英国側の悪意であった。

チューダー家.png

===== 続く =====

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