王妃メアリーとエリザベス1世 =08=

❢❢ 王妃メアリーの挫折と苦悩が大英帝国の礎に ❢❢

○◎ 華麗なる二人の女王が一つの国土に戴冠、敵対しつつ時代を築く ◎○

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◇◆ 洗脳されたダーンリー卿の自滅 ◆◇

無責任な貴族たちの風説に、ダーンリー卿ヘンリー・ステュアートは真意が見えなくなった。 猜疑心に心を奪われて行く。 妄想が現実を歪めて映し出す。 そしてついに、事件が起こることになった。 1566年3月9日の夕方、メアリーがホリールードハウスの宮殿にリッチオやお気に入りの側近たちを招いて会食をしているときのことだった。 そこに突然、ダーンリー卿とその配下の者が乱入してきた。 呼ばれていなかったダーンリーは、側近を引き連れて乱入したのである。 マリ伯にそそのかされた大貴族たちに煽られた結果であった。 ダーンリーは卿メアリーの目の前でリッチオを刺し殺してしまった。 彼は惨殺し、妻にまで怒りの刃を向けのだ。

ダーンリー卿は、メアリーの不義をうたがい、彼女を責めたてたのである。 このとき、メアリーは妊娠6カ月だったというが、彼女はダーンリー卿のやきもちにあきれはて、辟易するばかりだった。 これでふたりの仲は、完全に冷えきったものとなったのである。 だが、メアリーはもう取り乱さなかった。 二人きりになった時、メアリーはそっと夫に手を差しのべる。 「鎮まってちょうだい、お願い・・・あなたはだまされているのよ。 私とお腹の子供を殺して、その後あなたも無事で済むと思っているの?」

実際仲間と称する大貴族たちは、マリ伯とともに権力を奪取するつもりでダーンリーを利用しただけなのだ。 彼がメアリーを始末すれば、今度は、彼が消されるだろう。 さっそく勝利にほくそ笑むマリ伯がやって来た。 メアリーは異母兄であり、帰国当時は全てを一任するほど信頼をしていたマリ伯ジェームズ・ステュアートの前で、大げさに苦しんで今にも流産すると騒いだ。 周囲が混乱する中、メアリーはどさくさに紛れて、ダーンリー卿ともどもホーリールード宮殿を脱出、身重の身で50キロの道を馬で疾走した。

メアリー一家

 それから三か月後の1566年の6月19日、メアリーはエディンバラ城で男子を出産した =のちのスコットランド国王ジェイムズ6世、さらにイングランド国王ジェイムズ1世となるジェイムズ=。 「俺の子じゃない」とわめいていたダーンリー卿そっくりの男の子だった。 メアリーは可愛いわが子に頬刷りしながら、ベッドの傍らに立つ夫・ダーンリーにむかって言った。

「あの時あなたが私をリッチオのように殺害していた・・・・・・ 今頃あなたはどうなっていたかしら。」 ダーンリー卿は俯いて口ごもった。

「おまえ・・・・・おまえが俺に冷たくしたからだ、俺は悪くない!!」 そして彼はメアリーの悪口を書いた手紙を諸国に送りつけ、わが子の洗礼式の出席をも拒んだ。

ダーンリー卿は、10月の息子の洗礼式に立ち会うことを拒否する。 彼は、子どもが本当に自分の子であるかを疑っていたからである。 メアリーは夫の疑いにあきれかえり、かれの猜疑心の強さにはうんざりだった。 こうしてふたりの関係は、もはや修復不可能なところまでいったのである。 子供が産まれたことで、一見平和が訪れたかに見えたが、それは一瞬のことだった。 やがてメアリーの生涯最大の悲劇が訪れる。 それは、「ダーンリーの暗殺」である。

リッチオ

このあと、ダーンリー卿は病気がちとなり、自分の領地であったグラスゴーに引きこもったまま、エディンバラの宮廷にもまったく顔を出さなくなってしまった。 メアリーは、なんとかしてこの結婚を解消したいと思った。 冬が近づくと、ダーンリー卿はすっかり衰弱し、ベッドに臥していることが多くなった。 メアリーは、かれを放っておくこともできず、エディンバラ郊外のカーク・オ・フィールズの館に連れてくると、そこで療養させることにした。 メアリーは自由になりたかったが、すっかり弱ってしまったダーンリー卿を哀れに思い、毎日、見舞ったという。

1567年2月9日、メアリーはいつものようにダーンリー卿を見舞い、夜にはホリールードハウスの宮殿に帰っていった。 その夜のことである。 日付が変わるころ、ダーンリー卿は物音で目をさました。 階下の部屋で、人が歩きまわっているような音がしていたからである。 ダーンリー卿は、とっさに身の危険を感じた。そして、着替えもせずに、窓に備えつけてあった非常用の梯子で部屋を抜け出した。 ところが、庭に下りたところで侵入者たちに感ずかれ、捕らえられてしまった。 ダーンリー卿は恐怖のあまり命乞いをしたが、侵入者たちは無言だった。

チューダー家系図

 ===== 続く =====

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