創作; “光の庭”のうたた寝 =063=

❢❢❢ 遼王朝皇族が耶律大石、王朝再興賦 ❢❢❢

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❝ =第一章第4節_14= 可敦城 遊牧民との協調 ❞

耶律大石統帥の手紙を燕京の安禄明に手渡した後、未だ見知らぬ蒙古高原の可敦城へ帰還する帰路を旧主の依頼で石隻也は燕雲十六州の南部域を横断して西夏国に入った。 道中は情報収集にも注意を払いながら道を急いできた。 西夏の都・興慶で依頼された旧主の手紙は取引上の相手に手渡し、他の一通は何蕎が処理してくれた。 片手間の依頼であったがそれをやり終えた石隻也はセデキ・ウルフ宰相と会っていた。 隻也はただ宰相が大石統帥に伝えようとしている話をただ聞くばかりで、一方的にセデキは話している。 彼は年の離れた弟に話すように・・・・

「また、康阮殿と康這殿からの連絡は未だにないが、わが手の内で働いている間者の報告では、二人が率いる騎馬武者90余名は 二月下旬頃に ここ興慶に入るであろうとの事」と話し、「欽宇阮殿の顔が見えぬのが不審であろうが、実は 欽宇阮殿は何蕎との相談の上、河西回廊から青海の方面に向かった隊商の護衛として旅に出ておられる。 二ヶ月の予定ゆえ、三月には北庭都護府・可敦城に向かう事が出来るだろう。 更に、南宋からの情報として 梁山泊の宋江殿が天魁星と名乗り、豪傑を引き連れてこの地に向かっているとのこと。 この行動は耶律大石殿との連携かも知れぬが・・・・」と 笑みを浮かべた後に、 「ここ半年の内に 天祚帝はある行動を起こすであろう」と 言い切った。

そして最後に、鳥海の商人忠弁亮が統師依頼の駿馬二頭の世話をした上、兵糧を草原に運んだとの情報を口に上らせて話を終えた。 石隻也が耶律大石への報告に明日にでも旅立つと答礼すると、急ぐことはないであろうと言い添えて、今夜 認める文を大石殿にと言い 二三日は逗留しろと昵懇に話して出て行った。

その三日後、石隻也は旅の装いで何蕎の家を出た。 商人姿の石隻也が背負う袋の中に忠弁亮が手配した馬と鞍への答礼の品が入っていた。 義理の妹チムギと耶律楚詞公子への心づくしとして施した鳥海の商人・忠弁亮の心底お読み切っているセデキ宰相から預かった品である。 また、懐の奥には宰相からの親書と何蕎が認めた報告書が油紙に包まれて納まっていた。

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 元来、西夏王国は1038年にタングートの首長李元昊が漢中西北部の黄河を挟むオルドス対岸(甘粛省・寧夏回族自治区)に建国した王朝である。 遼と同盟し宋に対抗する政策を採用し、しばしば宋内に兵を進めていた。 しかし、宋との軍事対立は1044年の和議=慶暦の和約=で 宋が西夏の地位を承認し、安全を保障するとの和議事項の履行で表面的には霧散していた。 その和議協定には、西夏が宋に臣従する代償として、宋が西夏に歳幣を送る。 その膨大な歳幣は交易の資金として活用し、宋の絹や漆器を西方に、西方の貴物を宋にもたらす中継の代価であった。 しかし、近年 この両国関係は破棄されて久しい。

他方、“慶暦の和約”の翌年、西夏と遼の間で武力衝突が発生した。 西夏は宋と連合して遼と対等な地位を獲得する。 以来、宋に従属する形で遼に講じていた。 だが、遼が金に圧殺された1115年、金が燕京を制圧して王朝を開いた年 金王朝成立を機会に西夏は旧遼領土に対し侵攻を開始した。 この行動は金の阿骨打への威圧行動であった。 金の阿骨打は西夏の旧領土を認める勅書を発し、同時に金の使者を西夏に送り込んだ。 使者が西夏の王宮に来朝し、西夏王李乾順に対し遼帝の引渡しと金への臣下の礼を求めた。 李乾順は遼の復興は困難と判断して金の要求を受諾した。 この結果、以降 西夏は表面的には金に服属すると言う政治的虚構を創り上げている。

過日の1122年3月7日、金の太祖阿骨打と遼の天祚帝が入来山で戦い、天祚帝が完敗して、西夏に亡命を打診しつつオルドスの北方、黄河北岸の五原の湿原に仮寓の宮廷を築き、形成を傍観したことが中華の状況を一変させて来たのである。 その天祚帝が時代を切り開く能力を欠いていた。 彼は状況を読み取る参謀を抱えていなかった。 従って、金に服属する政治的虚構で防衛を計る西夏に亡命することを目論んでいる天祚帝は“飛んで火にいる夏の虫“である。 無為で無駄な時を過ごした天祚帝は ここに至りて、取り得る道は一つしかない。しかし、南宋に向かおうとする天祚帝は、西夏か金の勢力下を密行しなければならない。 この危険は天祚帝自身が気づいているはずである。

何蕎が認めた大石への報告書にはこのような文意が記されてあった。

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=== 続く ===

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