創作; “光の庭”のうたた寝 =064=

❢❢❢ 遼王朝皇族が耶律大石、王朝再興賦 ❢❢❢

=056=3

❝ =第一章第4節_15= 可敦城 遊牧民との協調 ❞

石隻也が持ち帰えった何蕎の手紙、大石統帥への報告巣にある天祚帝が南宋に亡命する折に通過せねばならない燕雲十六州の状況を確認しておこう。 二年ほど前に話を戻す。 さて、金に帰順した耶律余睹は金の皇族である粘没喝(完顔宗翰)の武将として、都元帥府・右都監に任じられ、西京(大同)の統括に当たっていた。 余睹が西京に着任して間もなく、南宋の武将・郝仲連らが軍勢を率いて、黄河を越えた。 燕雲十六州の奪回を計る遠征を仕掛けてきたのである。 耶律余睹はこれを迎え撃った。 余睹が郝仲連ら数万の軍勢を壊滅させた武功を金皇帝・阿骨打は、この成果に一応満足の答礼を発している。

阿骨打は、燕雲十六州を手中に収めたとは言え奪還を目指す宋軍が事あれば北上を繰り返してくるであろうと耶律余睹をこの地に張り付け、さしたる心配はしていなかった。 だが、大同の奥、天祚帝の下に逃亡した耶律大石の動向が気に成っていた。 女真の故地を離れて十余年、50歳を超えた阿骨打は自らに残された時間が長くない事を知っていた。 病を隠していたのである。 阿骨打皇帝の脳裏には、遼は滅び去り北遼も自壊するであろう構図が見えていた。 がしかし、居庸関で見まえた耶律大石の泰然自若の風貌が脳裏から離れることが無かった。 200名程度の将兵を伴って、臆することなく 天祚帝に噛みついたと言う。 南京(燕京)からの単なる逃散とは思えないが、大鉈の前の燭灯 気にすることではないと無理に自笑している。

しかし、阿骨打が江南の地から耶律余睹を呼び戻して西京(大同)の統括に当たらせているのは 遼の残余勢力の一掃であった。 黄河を超えてくる南宋の軍団にはめぼしい武将などいない。 万里の長城足下の燕雲十六州には遼に組与する郷士が多く、彼らを束ね、西夏の勢力と結びついて行動を起こされたならば、予断を許されない。 遼が残余の勢力を束ねて、タングートの西夏の騎馬兵と合同すれば予断は許されない。 その中心に耶律大石が居れば予測できない事態が起こり得る。 大石の胆力と智謀、更に 彼の指導力をもってすれば一国を覆すのは容易だと阿骨打は考えていた。 彼は、その防策の要として耶律余睹を優遇して西京に遇しているのである。

阿骨打皇帝は何としても耶律大石を配下の将に加えたいと考えていた。 居庸関で捕虜にした折、礼を尽くした厚遇で接し 機密の情報をも伝えて彼の死地を救ったのもそのためである。 大石子飼の若者二名が囚われの身の大石を脱出させた直後に燕京に走る大石追跡の兵を出さなかったのもそのためであった。 他方、耶律余睹と耶律大石は遼の血族である。 相互に地下水脈が連結しているように、西夏と結び 遼の再興を共に図るのではないか。 耶律余睹は自ら進み出て配下になった。 江南の地で南宋への大きな防壁と成っていたが、阿骨打は燕雲十六州の西京に余睹を布陣させるについて、事前に、使者を江南に出して余睹の妻子を人質によこすように厳命し、実行していた。

燕雲十六州を手中に収めたとは言え 奪還を目指す宋軍が燕雲地方に駐留する金軍を事あるたびに刺激していた。 阿骨打皇帝には漢中の民を治めるに必要な政策の献策者、戦略の要を実行出来る将軍や官僚が手の内にいなかった。 あまりにも早急に開闢した帝国には、それらの人材は未だ育っていない。 耶律大石の智謀が欲しい・・・これが阿骨打皇帝の切実な思いで在り、阿骨打皇帝が崩御した今は、後継の呉乞買(ウキツバイ)が如何に治めるかである。

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 後日の事だが、金と西夏の密約を知った天祚帝は潜伏地の陰山山麓の五原から江南の宋の勢力を頼って逃亡する。 少数の兵が従った。 夜陰に紛れての逃散と言えた。 包頭から南下する黄河の東を窟野河に向い、朔州を南に横切り 大原は避けて 燕雲十六州の応州に至ったが、この地域一帯は燕雲十六州を南宋から支配権を奪っていた金の兵が巡回していた。

些細なことから天祚帝は巡回する雑兵に捕まった。 覇気をなくし降伏した天祚帝・耶律阿果は金が言うままに従っている。 後に金から海濱王に冊封され長白山に送られて余生を過ごすが、天会6年(1128年)8月に病死(享年54)する。 天祚帝が降伏した時点で遼は滅亡し、北遼も瓦解直前であった。 因みに、天祚帝の末裔は金の海陵王により一族が誅殺され、断絶したと史書は記す。

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=== 続く ===

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