創作; “光の庭”のうたた寝 =070=

❢❢❢ 遼王朝皇族が耶律大石、王朝再興賦 ❢❢❢

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❝ =第一章第5節_03= ; 陰山山脈の南域にて・・・・ ❞

「耶律大石殿の手紙を拝読したのは、確か 四年ほど前の事。 以来、何かにつけて遼の動向をあらゆる事に通じている若い燕靑に探らせ、情報を集めました。 彼は極楽トンボのように見えるがあらゆる事に通じ、天巧星と呼ばれる美青年。 美型が故に宋の宮廷に上がる女官と通じており、宋の内情が彼の探りで我々の手に漏れて来ていたのです。 また、配下の慕容達(ボヨウタツ)の妹が宋軍の将軍で西京河南府(洛陽)の長官の妻であることより宋軍の動向は手に取るありさまだったのです」 耶律康阮と康這は手酌で、また 宋江の盃を満たしつつ 彼の話を聞き、頷いている。

「時折 燕靑が知った情報を燕京の耶律抹只殿に 文にてお伝えし、また 耶律抹只殿の耳に入れておりました。 更には 時として、宋軍が北進するとの情報に接すれば 早駆けで燕京に知らせた上で 慕容達に進軍路を確認させ 虐げられている村民や土地の破落者を扇動しては、宋軍の背面を攪乱していたのです」注がれるままに酒を口に運びつつ、宋江が話しを続ける。

「ある日、確か 3年前の2月初旬の事であったと思い出しますが、天祚帝が山西大同にある雲中の陰山に逃亡し、耶律大石殿が遼の宰相李処温(リシオン)と共に、“北遼”を建国されたと聞き、驚きました。 秦晋王・耶律淳さまを北遼の皇帝として擁立した慶事は江南に居りましても、鮮明に覚えております。 耶律大石殿が立たれたか・・・・ しかし、その半年後に 燕靑が聞き及んだ確かな情報=《李処温が政策面で耶律大石殿らと対立、宋と手を組んで謀反を計画》=には驚く前に、憤りを覚えたのです。 そこで、梁山泊の総力を挙げて調べたのです。 すると、李処温は秦王と蕭徳妃の身柄を確保し、あろうことか、北宋軍総帥であの宦官の童貫と内通している事実を掴みました。 謀反の企ては、時を待たずに進行しているようだったのです。 耶律大石殿に知らせねばと、直ちに 自ら馬を飛ばし 燕京に向ったのですが、耶律大石殿が阿骨打に捉われていると知った時の驚きと、失望に足が震えたのを覚えています。 しかし、なんとかせねばと、情報を耶律抹只殿に密かに伝えたのです」

「そこまで、我々に肩入れしてくだされていたのですか、知りませんでした」と また、 康這は「それゆえ、蕭徳妃(ショウトクヒ)皇太后の叔父・蕭乾(ショウカン)さまが李処温の動きを なにかと封じ、居庸関長城に囚われの総師さまが帰城と同時の天誅を下せるように執り謀っていたのですね」 と 兄弟の目は親愛の光を帯びて、宋江を見詰めている。

「燕京には、安禄衝(アンロクエイ)殿がおられます。 ご存じだと思うが、かのソグド人安禄山の末裔に当たられる方、ご子息が大石統帥殿の盟友の安禄明(アン・ロクミン)殿です。 安禄衝殿は、我々の《光明の父》を伝える先導師なのです。 表面は商い上の古い知古と言いつくろっていますが長い付き合いです。 大石統帥様を漢中・漢北の宗主に推挙されたのでしょうが、それはさて置き 彼の助言で阿骨打の耳に入る様に、燕京の巷の風説として 《李処温がもくろむ、北遼への謀反。 巨体の宦官と臍の下で通じ 更に 金とも情交の二刀流》と いたる所で吹聴して回ったのです」

「ウムー、 確かに、総師大石さまが居庸関の金軍基地を脱出なされたと同時に、蕭乾や蕭幹らが謀反を露呈し 李処温一派を拘束している。  そして、大石統帥の帰還を待って子の李奭(リショウ)とともに李処温を処刑している。 また、五原の王庭にて 天祚帝に拝謁した総師大石さまは、胸を張って李処温らの粛清理由を説明した上で、天祚帝の自己中心で民を慰撫する政治を執り行わなかった責を言及されていた」

「その後、愚生は、金の女真が我がもの顔で闊歩する燕京 また 金の阿骨打に尾を振り諂う遼の武将や官人に嫌気がさしたと中京大定府に隠居される耶律抹只殿と別れの盃を交わしたり、 安禄衝さまの紹介で引退されている老将軍の耶律尚さま宅で時を過ごしたりと阿骨打の政つりごとを見ておりました。 偶然、耶律余睹殿とも知り合う機会があり、話を交わしておりますが お会いする度に余睹殿は憂いが増していると感じております・・・・」
「さすがに、梁山泊の豪傑たちを率いておられる宋江さま、交友の幅が日々広まっていくのですね。 羨ましいが、耶律余睹は遼の皇族でありながら阿骨打の手綱を曳く身に自分を貶めた人物。 私くしには高位の武将だが、顔すら見たくない人となっている」

「そのように言われるものではない、耶律康這殿は まだ お若い。 聞けば遼への忠臣の情は天祚帝に打ち砕かれたようですね・・・・・・・私くしは、安禄衝さまよりウイグル族の長 契丹貴族蕭氏の要であられる石抹言にぜひ会って於けと言われ、昵懇にして頂きました。 無論、ご子息の石抹胡呂殿 また 安禄明殿とは直ちに竹馬の如き遊行を楽しみ、彼等が誉めそやして止まない耶律大石殿に一見せねばと心に誓ったのです」

「やっと、総師さまの話がでてきました・・・・・・ これは、失言・・・・・」

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=== 続く ===

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