創作; “光の庭”のうたた寝 =076=

❢❢❢ 遼王朝皇族が耶律大石、王朝再興賦 ❢❢❢

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❝ =第一章第5節_09= ; 陰山山脈の南域にて・・・・ ❞

談笑が漏れ聞こえる中庭を横切った何蕎を追い越して髭面の巨体が両開きの扉を開くと、俊敏な動作で美青年が部屋に入って行った。 扉と対面する位置に座っていた宋江が酒杯を手にしたまま、「燕靑、いつ来た」と体に似合わぬ低い声で呟くように言う。 その声に誘われるように、梁山泊では天機星と呼ばれていた呉用が燕靑の背面に立ち、背後で何蕎が扉を閉めている。

「統領、昨夜、セデキ・ウルフ殿宅にお世話ななった」と髭の巨体が やや 吃りながら 白い歯を見せた。 その後方で扉を閉めた何蕎が「今朝 早く、セデキ様より連絡が入り、伺っておりました。 昼餉を取りながら セデキ様が、お二人から江南の様子、南宋の形勢などをお二人に聞かれていたのです。 裏社会に通じたお二人の話に尽きる事のない興味を引かれたセデキ様の昼餉の後も話が聞きたいと言われ、談笑が小休止になった折に、先ほどの下僕が宋江様の帰来を告げに来たのです。」

「お忙しい西夏の丞相セデキ・ウルフ様が、再び部屋に来られた折に開口一番、『当屋に泊まるもよし、蕎宅にて世話成るも良し』、と口を開かれた後に、『久方ぶりに会う、宋江が顔を早く見たくなったのであろうが、今一時 宋と金の動きを話してほしい』と話され、何蕎様宅に世話になると答礼した上でウルフ様の時間が許す範囲で談笑を切り上げてきた。」と、呉用が宋江に言い添えている。

「これは、何蕎殿。 先般はセデキ殿宅でなにかとお世話になった。 昼間に着いて、セデキ殿にはご挨拶に伺っていませんが、明日か 明後日 いや、無頼の宋江のことと セデキ殿は判っておられよう。 いや、ここでの話 あの邸宅では居ずらくてな・・・・・ そうであろうが、燕靑に呉用 」
「え、この方々が燕靑殿に呉用殿」 と、耶律康這は驚きの目で二人を眺め、耶律康阮が、大きな目玉の耶律康阮が どんぐり眼で対座した巨体をしげしげと見詰めている。 その二人を楽しげに眺めつつ、宋江が、「ご主人」と改まった声で 既に心胆相照らす仲の何蕎に「流石に西夏の都、この老酒の美味さ また 魚の見事な捌きに美味さ、燕靑にこの茅台酒を 呉用には鯉をお願いできまいか」

「お安い御用です。 して、呉用さまは、お神酒を召されませんか」

「いや、陽河すら飲み干す酒量、ご主人を破産させてはセデキ殿に申し開きができません故の酒封じを申したわけ」と宋江が一人 ごちる。 すかさず、何蕎が「我が身代はもはや大石様のもの、セデキ様には遠慮は無用、まして 梁山泊の豪傑を右に左に差配された天機星・呉用さま 当家への遠慮など・・・・されど 明日はセデキさま宅に伺わなければなりません」と何蕎が切り返す。 酒盛りは果てる事がなかった。

翌朝、何蕎の案内で耶律康阮と康這の兄弟、梁山泊の宋江、呉用、燕靑の六名が一団と成ってセデキ・ウルフ邸に出向いた。 西夏の都である興慶は黄河の左岸に広がる黄土高原の北東端に位置しており、地勢は全体として南が高く北が低い。 南部は黄土高原や六磐山地が大部分を占め、北西部は寧夏平原が大部分を占める。 賀蘭山が西部にあり、鄂爾多斯は黄河の対岸である。

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 因みに、北西部は寧夏平原の奥にはアラシャン砂漠が広がる。 ゴビ砂漠と対比されるアラシャン砂漠の西部には西夏の城郭アラシャン王府がある。 草原のシルクロードと幹線シルクロードを結ぶ重要な交易路の中間点が阿拉善王府。 この城塞から南に向かえば酒泉で幹線シルクロードと交わる。 酒泉は河西回廊の西端、西に嘉峪関、哈密、吐魯番と天山地方に続く。 南は敦煌、玉門関、吐蕃・拉薩に抜けると云う要地である。

酒泉は西夏王国の生命を握っていた。 西方の富がこの地に集まり、西夏王国の商人によって東方に齎され。 東方の富が西夏を経由して酒泉に集結され、パミールを越えてイラン、ペルシャに流れて行った。 必然的に、酒泉には大きなソグドの集落(コロニー)がある。 ソグド人は、イラン系のオアシス灌漑農耕民族だった。 しかし、マケドニアのアレクサンドロス大王の東方征服に激しく抵抗した結果、故郷を追われ、パミール高原東方の要地に移住した。 以来、彼等は交易を生業に シルクロードを行き交っていた。

また、五世紀 唐がパミールを越え、イラン東方までその勢力を拡大して行った時代。 北方の騎馬民族が南下を開始する。 北方遊牧民族の雄、蒙古草原の覇者であるウイグル族が、騎馬10万でゴビ砂漠を南下。 漢中を侵略し、南方の吐蕃すら馬蹄で荒らし始めた。 その結果、ウイグル、吐蕃、唐の間に三国会盟が締結される。 その後、豊潤な漢中に侵攻したウイグル族は、彼等の騎馬軍団を活かした軍事顧問として また 政経に長ける政治顧問として盤石の基盤を唐王朝の中枢に築いて行った。 厳しい自然環境で生き抜いて来た彼等の民族的な団結力は誠に強かった。

このウイグル人とソグド人が手を結んでシルクロードを専有した。 ウイグルの戦闘力とソグドの経済力が唐の初期の時代から一体化していた。

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=== 続く ===

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