断頭台の露と消えた王妃 =10=

 ごめんなさいね、わざとではありませんのよ でも靴が汚れなくてよかった”  

= その最期の言葉は、死刑執行人・サンソン医師の足を踏んでしまった際に =

=M.A.-10=1

◇◆ 革命の導火線・首飾り事件 ◆◇

 1785年、ブルボン王朝末期を象徴するスキャンダルである首飾り事件が発生する。 ことの起こりは1772年、老王ルイ15世の愛妾であったデュバリー夫人が世界一高価なダイヤモンドをと老王にねだったことに端を発する。 デュバリー夫人の言いなりであった老王ルイ15世は、出入りの宝石商ベーメルにヨーロッパじゅうを探して、もっとも見事なダイヤを持ってくるように命じた。 荒稼ぎできると踏んだベーメルは、大いに張り切った。 そして彼は大粒ばかり600個ものダイヤを買い集め、それに糸を通してネックレスに仕立てて、老王に売りつけることを思い付いた。  こうして200万リーブル(現在のレートで20億円以上)という、値段の高さでも、趣味の悪さでも、目をむくような恐るべき装飾品が出来上がった。

ベーメルは早速、鼻高々でベルサイユからの呼び出しを待ったが、運悪く、ちょうど老王は天然痘で急に亡くなってしまった。 ベーメルは大いに焦った。 破産の危機が目の前に迫っていたのだ。 新王となったルイ16世も、王妃マリー・アントワネットも、この”スカーフのような”外観の悪いネックレスをひどく嫌って、買い入れを拒否したのであった。 哀れなベーメルはそれから何年もの間、宮殿に何度も足を運んでは、このネックレスを必死に売り込んだ。 王妃に子供が生まれるたびに、あるいは洗礼式のたびに、王妃が気まぐれで買ってはくれまいかと、はかない望みに希望をかけた。 しかし結局、王妃は一度も気まぐれをおこすことはなかったのであった。

=M.A.-10=2

 さてここで二人の人物が登場する。 まずはマリー・アントワネットの少女時代、オーストリア宮廷にフランス大使として駐在していたド・ロアン枢機卿。 この男は世俗臭く、不道徳な人物で、彼の情事はヨーロッパじゅうに知らぬものとてないほど有名であった。 首飾り事件の発生前、彼は宮廷司祭長の地位にあった。 悪評にたがわず、教会の権力者として賄賂に私腹を肥やし、それをほとんど愛人のために費やしていた。 ストラスプールの名家出身の聖職者でありながら、大変な放蕩ぶりでも知られていたためアントワネット王妃は以前からこの男をひどく嫌っていていた。 しかし、ド・ロアン枢機卿もそのことを自覚するも、諦めることなくいつか王妃に取り入って宰相に出世する事を懸命に望んでいた。

もう一人は、自称伯爵夫人のジャンヌ・ド・ラ・モット(イラスト参照)。 彼女は旧姓をジャンヌ・ド・サンレミといい、古いフランス王家のバロア家の直系子孫であるといわれていた=ブルボン家ももとをたどれば、南フランスの小貴族出身に過ぎないのでこのくらいの血筋の者はかなりいた=。 彼女の夫のド・ラ・モット伯は一文無しの陸軍将校で、伯爵の称号はひとえに女房の血筋のおかげであった。  このジャンヌ、人を説いて何でも信じ込ませてしまうという特技の持主であり、羽振りの良いド・ロアン枢機卿を騙して、大金をせしめる算段を立てた。 彼女は自分が王妃に影響力があり、したがってド・ロアン枢機卿に対する王家の人々の不興を解く力があると彼に信じ込ませるように努めた。 彼女のもの柔らかな説得は、数ヶ月も続いた。 共犯者をつかって王妃の筆跡を似せた手紙を何通も偽造し、マリー・アントワネットが枢機卿に対して、幾分心を和らげたように見せかける。

=M.A.-10=3

 そうした十分な下準備の後、彼女はいよいよ大仕事に取り掛かることにした。 マリー・アントワネットに幾分似た少女を見つけ出し、枢機卿と偽王妃を、ベルサイユ宮殿内の暗い木立ちで深夜に引き会わせる手はずを整えた。 暗がりでド・ロアンが見たのは、王妃と背丈と体つきが同じのシルエットだけであった。 彼が跪いて敬礼すると、彼女(偽王妃)は一輪のバラをその手に押し付け、身をひるがえして闇の中に消えた。 枢機卿は狂喜した。 王妃は彼を許したばかりか、明らかに彼への愛情さえしめしたのだ。 年が変わった1785年1月、伯爵夫人ジャンヌ・ド・ラ・モットはド・ロアン枢機卿にマリー・アントワネットの要望として首飾りの代理購入を持ちかけた。

伯爵夫人は、前年の夏、娼婦マリー・ニコル・ルゲイ・デシニー(後に偽名「ニコル・ドリヴァ男爵夫人」を称する)を王妃の替え玉に仕立て、ロアン枢機卿と面会させており、彼は念願の王妃との謁見を叶えてくれた人物として、伯爵夫人を完全に信用していた。 また、王妃から手渡された一輪のバラの記憶が蘇える。 だから、彼女(王妃)のためにネックレスを買って欲しいという偽手紙を受け取った時も、彼は喜んで承諾したのだ。当然このことは秘密の内に行わねばならず、買い上げの仲介人は、ただひとりの王妃とのコネクションであり、王妃の親友(と思っていた)ド・ラ・モット伯爵夫人以外には考えられなかった。 躊躇することなく、ド・ロアン枢機卿は首飾りを代理購入しラ・モット伯爵夫人に首飾りを渡した。

=M.A.-10=4

=== 続く ===

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