断頭台の露と消えた王妃 =11=

 ごめんなさいね、わざとではありませんのよ でも靴が汚れなくてよかった”  

= その最期の言葉は、死刑執行人・サンソン医師の足を踏んでしまった際に =

=M.A.-11=1

◇◆ 首飾り事件の顛末 ◆◇

 ラ・モット伯爵夫人が王妃アントワネットと親しく、諸事話し合っていると信じているド・ロアン枢機卿は王妃に取り入る絶好の機会だと200万リーブルと値が付くダイヤの“首飾り”を宝石商シャルル・ベーマーのパートナーであるポール・バッサンジュに話をつけた。 彼は首飾りを代理購入者として手に入れ、直ちにその首飾りをラ・モット伯爵夫人に手渡した。 計画が違わず、予定の展開で首飾りを入手したジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人は最終段階に至って、ダイヤの“首飾り”を夫に委ねた。 ジャンヌの夫はそれをロンドンに運び、1粒ずつバラバラにして宝石商に売りさばいた。 ”伯爵”は賢明にもロンドンに残ったが、ジャンヌはパリを離れがたかったのかここに住み続け、夫が送ってよこした金で、優雅に自分の情夫たちを囲って暮らしていた。 しかし、その”優雅”な日々も長くは続かなかった。

 さすがのド・ロアン枢機卿も6ヶ月もたつと我慢しきれなくなって、とうとう勇気を振り絞って王妃に「なぜ例のネックレスをおつけにならないのですか?」とたずねたのである。 また、半年も首飾りの代金が支払われないことに業を煮やしたシャルル・ベーマーが、王妃の側近に面会して問い質した。 これにマリー・アントワネットは大激怒し、一気に事件は明るみとなったのである。 同年8月、ロアン枢機卿とラ・モット伯爵夫人、ニコル・ドリヴァは逮捕された。  ラ・モット伯爵夫人はこの時、ロアン枢機卿と懇意であったが事件とは無関係とされる医師(詐欺師)カリオストロ伯爵を事件の首謀者として告発し、カリオストロ伯爵夫妻も逮捕された。 なおラ・モット伯爵はロンドンに逃亡しており逮捕されなかった。

=M.A.-11=2

 事件に激昂したマリー・アントワネットは、パリ高等法院(最高司法機関)に裁判を持ちこんだ。 17865月に判決が下され、ロアン枢機卿はカリオストロ伯爵夫妻、ニコル・ドリヴァとともに無罪となり、王妃と愛人(レスビアン)関係にあると噂されたラ・モット伯爵夫人だけが有罪となった。 彼女は「ボルーズ(Voleurse)」・泥棒を意味する言葉の頭文字Vを額に焼き印されて投獄された。 これにて一件落着となるはずであったが、今度はこれを聞きつけた民衆が激怒した。 マリー・アントワネットはすでに民衆の人望を全く失っており、彼らは王妃と枢機卿は愛人関係であり、王妃はフランスが飢えているのに高価な贈り物を買わせたと信じたのである。 この噂さは大衆に容易に広まり、暴動が発生した。 無実の投獄とみなされたジャンヌはどさくさの内に脱獄し、イギリスに逃れた。 そして、彼女は安全な外国で、虚偽の醜聞をもとに自分の無実を主張する手記を新聞に発表し金銭を得た。

 フランスでは、この事件は事実に反して王妃の陰謀によるものとして噂になり、マリー・アントワネットを嫌う世論が日増しに強まった。 また国王ルイ16世は判決直後、無罪となったロアン枢機卿を宮廷司祭長から罷免、オーヴェルニュのシェーズ・ディユ大修道院に左遷し国民の反感を買った。 但し、ロアン枢機卿はもともと評判の悪い堕落した聖職者だったが、彼の左遷を批判した多くの人々はそれを知らなかった。 こういった経緯から、首飾り事件をフランス革命の導火線の1つとなる。

=M.A.-11=3

 さて、このスキャンダルな事件は、その真偽とは別に、王室に対する世論を急激に悪化させることに貢献し、フランス革命の一つの導火線となった。 世論とはとかく無責任なものなのである。 後の1793年、革命裁判にかけられたマリー・アントワネットは、この事件に関するあらゆることを尋問された。 ダイヤを搾取したのであろうという訴えに、彼女はジャンヌとは会ったこともないと必死に抗弁したが、罵声と怒号の前にそのか細い声はかき消された。 結局なにひとつ立証できなかったが、元王妃に対する判決はすでに決まっていた。

 彼女の罪状は、王室のメンバーであるということだけで十分であったのだ。 彼女は即日、ギロチンの露と消えていくのだが、一方、ジャンヌはその2前、ロンドンで死亡していた。 債権者から逃れようとして、エッジウェア・ロードのはずれの宿の二階の窓から転落(突き落とされた?)したのだ。 また、このネックレスはというと、結局だれ一人の首も飾ることも無く、人知れず散逸したのであった。

=M.A.-11=4

=== 続く ===

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