断頭台の露と消えた王妃 =14=

 ごめんなさいね、わざとではありませんのよ でも靴が汚れなくてよかった”  

= その最期の言葉は、死刑執行人・サンソン医師の足を踏んでしまった際に =

=M.A.-14=1

◇◆ 亡命・逃走劇は幕開けから旋転せず・・・・ ◆◇

マリー・アントワネット王妃の実家であるオーストリアへの亡命計画は619日に決行される予定であったが、直前までマリー・アントワネットに振り回された。 何もかも準備は整っていたのに、彼女が革命派と考えていた小間使いが非番となる翌日まで1日延期されることになったのである。 他方、ブイエ侯爵=国境地帯の軍を管理、前節イラスト参照=は街道に配下の竜騎兵および猟騎兵部隊を配置して警護させようと考え、準備していたが、彼らは王党派というわけではなかったので兵士達には任務の内容は知らせなかった。 指揮官のショワズールは、ただでさえ秘密の保持に苦慮するところであったが、このように予定が突然変更になって部隊は右往左往することを強いられ、計画は実行前からズタズタになっていた。

 1791620日の深夜、脱出計画は実行に移された。 国王一家はロシア貴族のコルフ侯爵夫人に成りすましてパリを脱出する。 アントワネットも家庭教師に化けた。 テュイルリー宮殿を抜けだしたのは予定を二時間も遅くなっていた。 近衛士官マルデンの手引きで、幌付き2頭立ての馬車に乗って誰にも止められることなく宮殿を出ていった。 王子と王女は仮面舞踏会にいくと言い含められていたので驚いたようである。 一方、護衛を務めるショワズールとゴグラーは、この10時間前に猟騎兵を連れてすでにパリを出ていた。 

 フェルセンは疑惑をそらすために国王とマリー・アントワネットは別々に行動することを勧めたが、マリー・アントワネットは家族全員が乗れる広くて豪奢な(そして足の遅い)ベルリン馬車に乗ることを主張して譲らず、結局ベルリン馬車が用意された。 フェルセンは御者に扮して追っ手がつかないように回り道をして北へ行く。 クリシー街のサリヴァン夫人の邸宅に着くと、ここで用意していた大型の豪華なベルリン馬車に乗り換えた。 さらに2人の従者が車後に乗った。 フェルセンは自ら手綱を操って、回り道しながら2台の馬車は北に向かった。 すでに午前3時半を過ぎていた。 

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 翌21日の午前6時に侍女たちが国王一家の不在に気付いて通報したので、彼らには4時間の猶予もなかった。 急を知ったラファイエットは、国民議会と市役所に大砲を3発放たせて警報を発し、パリに厳戒態勢をしいた。 捜索隊がすぐに組織された。 怒った民衆はすぐに宮殿になだれ込んで、ルイ16世の胸像を叩き壊し、早くも退位を要求するなどいきり立っていた。 大砲の音は逃走中の馬車の中の国王の耳にも聞こえたので、彼は何通か遺書を書いたが、しばらくすると追っ手はついて来ていないことがわかり、緊張が解けた安堵から気が抜けていった。 

 パリ郊外のボンディまで来て、ルイ16世は馭者を務めるフェルセンは随行するなと命じた。 国王は、王妃マリー・アントワネットとフェルセンの関係を知っていたが、フェルセンの王家への献身ぶりは認めざるを得なかったため、王妃にもフェルセンにも何も言うことはなかったのであった。 しかし、遺書すら書き終えた国王として外国人に先導されることも、王妃と親しすぎる人物を連れて行くこともできなかったのである。 フェルセンは王妃に別れを告げて去った。 フェルセンが最後にかけた言葉は「さようなら、コルフ夫人!」だった。 一行は、ロシア貴族のコルフ侯爵夫人に成りすましていた。 コルフ侯爵夫人の役には王子たちの保母であったトゥルゼール公爵夫人がなり、その子供には王太子ルイ=シャルル王女マリー・テレーズが、旅行介添人が王妹エリザベート、デュランという名前の従僕にルイ16世が、マダム・ロッシュという名前の侍女にマリー・アントワネットが扮していた。

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 その頃、ショワズールは、40名の猟騎兵とともにシャロンの町の近くのポン・ド・ソルヴェールの橋でずっと待っていたが、待てども待てども国王の馬車は到着しなかった。 何事かと訝る住民の目に晒されて、だんだん不安になったショワズールは、部隊を分散させ、街道から隠すことにした。 国王の馬車は、銀食器やワイン8樽、調理用暖炉2台など必要品をたっぷり載せ、ゆっくりとした速度で進んでいた。 国王一行がシャロンに到着したのは午後4時だった。 扮装した国王一行は安心しきっており、ここで優雅に食事をして、豪華な馬車と荷物を人々に見せびらかせて悠々と去っていった。 すぐに町中に王室一家が通過したという噂が広まった。 ポン・ド・ソルヴェールで国王は最初の護衛に会えると思っていたが、ショワズールの愚かな判断によって行き違いになった。 次のサント・ムヌウ)の町でも別の竜騎兵部隊が待っている予定であったので、国王はさらに2時間進んでこちらと遭遇することを期待した。

 しかしサント=ムヌウでも、不審な部隊を警戒した地元の国民衛兵隊300名が武装して集まってきたので、衝突を恐れた指揮官のダンドワン大尉は解散を命じて、竜騎兵たちの多くは市民と一緒に酔っぱらっていた。 よってここでも国王は護衛とは合流できなかった。 しかしダンドワン大尉は何とか国王の馬車を見つけ、彼は近寄って会釈した。 ところが運悪く、それを夕涼みに出ていた宿駅長のジャン=バプティスト・ドルーエが見ていた。 彼は大尉や竜騎兵たちが馬車の中の従僕や侍女に恭しく挨拶するのを怪訝に思った。 そこにシャロンから王室一家が通過したという噂が流れてきたので、ハッとしたドルーエは地区役所に走って、書記からアッシニア紙幣を受け取って印刷された肖像を見てみると、まさにさっきの一行の中にいたのがルイ16世であった。 彼らは馬に乗って馬車を急いで追いかけ、間道を抜けて先回りした。

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=== 続く ===

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