断頭台の露と消えた王妃 =29=

◎ マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュ 

○ フランス国王ルイ16世の王妃、フランス革命中の1793年10月16日に刑死 ○

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◇◆ マリー・アントワネットの評価 =その二= ◇◆

  ハプスブルグ家の王女として自由闊達に育てられたマリー・アントワネットは、ウィーン時代にグルックらから音楽を教わっていた。 また彼女が7歳だった1762年9月、各国での演奏旅行の途上、シェーンブルン宮殿でのマリア・テレジアを前にした御前演奏に招かれたモーツァルトからプロポーズされたという音楽史上よく知られたエピソードが残っている。 因みに、モーツアルトも少年の域を出ない年齢であったと言う。

後年、アントワネットはルイ16世の元に嫁いでからもハープを愛奏していたという。 タンプル塔へ幽閉された際もハープが持ち込まれていた。 歌劇のあり方などをめぐるオペラ改革の折にはグルックを擁護し、彼のオペラのパリ上演の後援もしているのです。

なお、マリー・アントワネットは作曲もし、少なくとも12曲の歌曲が現存している。 彼女の作品の多くはフランス革命時に焼き捨てられ、ごく一部がパリ国立図書館に収蔵されているのみである。 近年では“C’est mon ami”(それは私の恋人)などの歌曲がCDで知られるようになった。

蛇足ながら、2005年には漫画『ベルサイユのばら』の作者でソプラノ歌手の池田理代子が、世界初録音9曲を含む12曲を歌ったCD「ヴェルサイユの調べ~マリー・アントワネットが書いた12の歌」をマリー・アントワネットの誕生日である11月2日に発売し、この曲が2006年上演の宝図化歌劇『ベルサイユのばら』で使用されている。 このマリー・アントワネットの曲集は日本で世界初の楽譜も出版された。

マリー・アントワネットが幼少期を過ごしたオーストリアには当時から入浴の習慣があった。 母マリア・テレジアも幼い頃から彼女に入浴好きになるよう教育している。 入浴の習慣がなかったフランスへ嫁いだ後も彼女は入浴の習慣を続け、幽閉されたタンプル塔にも浴槽が持ち込まれたという記録がある。

入浴をする習慣は、体臭を消すという目的が主だった香水に大きな影響をもたらした。 マリー・アントワネットは当時のヨーロッパ貴族が愛用していたムスクや動物系香料を混ぜた非常に濃厚な東洋風の香りよりも、バラやスミレの花やハープなどの植物系香料から作られる軽やかな香りの現代の香水に近い物を愛用し、これがやがて貴族達の間でも流行するようになった。 もちろん、このお気に入りの香水もタンプル塔へ持ち込まれている。

また、マリー・アントワネットは家具に非常に興味を持っており、世界中から沢山の木材を取り寄せた。 マガボニー、黒檀、紫檀、ブラジル産ローズウッドなどを使い家具を作らせた。 珊瑚や銀も家具の装飾用として使われた。 ドイツ人家具職人を多く抱えルイ16世様式の家具を多く貴族に広めている。 また日本製や中国製の家具や漆工芸品をとても好んでおり、マリア・テレジアからも贈られている。 これらは現在もルーブル美術館に展示されている。

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 当時の貴族女性は、相手が驚くようなヘアスタイルを競っていた。 アントワネットも王妃になってまもなく、ローザ・ベルダンという新進ファッションデザイナーを重用する。 ベルタンのデザインするドレスや髪型、宝石はフランス宮廷だけでなく、スペインやポルトガル、ロシアの上流階級の女性たちにも流行し、アントワネットはヨーロッパのファッションリーダーとなっていった。

 何より女性達の視線を集めたのがその髪型で、当初は顔の1.5倍の高さだった盛り髪スタイルは徐々にエスカレートし、飾りも草木を着けた“庭ヘアー”や船の模型を載せた“船盛りヘアー”など、とにかく革新的なスタイルで周囲の目を惹きつけるファッションで周囲を驚かせている。 しかし、即位後最初の数年間を過ぎてからは、簡素なデザインのものを好むようになった。 この頃ベルタンはアントワネットのために袖や長い裳裾を取り払ったスリップドレスをデザインしている。

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 最後に彼女の容姿について記しておこう。 身長は154cm 裁縫師のエロフ夫人の日誌によると、ウエストは5859cm、バストが109cmで、当時のモードに合った体型であった。 顔は瓜実顔で額が広すぎ、鼻は少し鷲鼻気味で、顎がぼってりし、『『ハプスブルク家の下唇』と言われる特徴があった。 しかし、輝くばかりの真珠のような白い肌と、眩い金髪を持つ魅力的な容姿であった。  教育係であったド・ヴェルモン神父は、「もっと整った美しさの容姿を見つけ出すことはできるが、もっとこころよい容姿を見つけ出すことはできない」、王妃の小姓であったド・ティリー男爵は、「美しくはないが、すべての性格の人々をとらえる眼をしている」「肌はすばらしく、肩と頸もすばらしかった。 

 これほど美しい腕や手は、その後二度とみたことがない」、王妃の御用画家であったルブラン夫人は、「顔つきは整っていなかったが、肌は輝かんばかりで、すきとおって一点の曇りもなかった。 思い通りの効果を出す絵の具が私にはなかった」と述べている。

 身のこなしの優雅さでも知られ、前述のド・ティリー男爵は「彼女ほど典雅なお辞儀をする人はいなかった」、ルブラン夫人は「フランス中で一番りっぱに歩く婦人だった」と述べている。 ベルサイユ独特の足をあげずに滑るように歩く「ベルサイユの摺り足」は彼女を参考にするべきとされた。

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