断頭台の露と消えた王妃 =33=

 マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュ  

○ フランス国王ルイ16世の王妃、フランス革命中の17931016日に刑死 ○

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◇◆ マリー・アントワネットを彩った人々; マリア・テレーズ・シャロット =4/5= ◇◆

ナポレオンの百日天下

この頃のフランス国民はマリー・テレーズの地味な衣装や不機嫌さを嫌ったが、極寒のミタウからワルシャワまで叔父を支えて旅した勇気を称え「新たなアンティゴーネ」と呼んだ。 彼女はブルボン家の再興に熱意を燃やし、フランス各地を視察した。 アングレーム公もそれを支援した。 1815312日、滞在先のボルドーにアングレーム公が到着するが、ナポレオン逃亡の一件を聞き、アングレーム公は引き返す。 マリー・テレーズはボルドーに残り、4000人の国王軍を指揮する。マリー・テレーズ小さな国王軍の主導権を握った。 

彼女は、320日からのナポレオンの百日天下に際して、カロンヌ川岸のベルトラン・クロレール率いる革命軍と反対側に陣取るブルボン家軍が緊張する中、屋根のない馬車で立ち上がり、反ナポレオンの挙兵演説を行った。 その内容は翌日、ロンドンの『ザ・タイムズ』に紹介された。 これを知ったナポレオンはマリー・テレーズを「ブルボン家唯一の男性」と揶揄した。 ヘントに逃れていたルイ18世は彼女を、薔薇戦争ヘンリー6世のためにランカスター家の軍隊を指揮したマーガレット・オブ・アンジューに例えた。

マリー・テレーズはその後再び亡命し、419日にイギリスに上陸。 彼女はまずブルボン公に手紙でけしかける。 ヘントに逃れていたルイ18世に送った手紙では、ナポレオンを「あの男」と呼んだ。 ナポレオンはマリー・テレーズと亡命中の夫との書簡の一部を奪い、その中身を公開した。 この行為に彼女は怒り狂った。 そして、729日、彼女はにパリに戻るが、臆病なルイ18世にうんざりしていた。 帰国するやいなや、彼女はチュイルリー宮殿にあるNの文字、蜜蜂と鷲の装飾をすべて取り払うよう命じた。 そしてルイ18世に頼み、100日天下の頃、自分を王座につけるよう民衆を煽っていたルイ・フィリップをフランスから追放させた。

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ルイ18世時代

マリー・テレーズは死の間際の父から「憎しみを捨てるように」と諭されたが、ルイ・フィリップとナポレオンへの憎しみはいつまでも呪縛のように彼女についてまわった。 アルトワ伯とマリー・テレーズは超王党派となり、出版の自由の制限や教会勢力の増大、完全な国王主権を望んだ。 ルイ18世は中道的で、時には自由主義者と妥協することもいとわぬためそりが合わず、政治面で何度も衝突したという。 また、過激で無慈悲な白色テロを扇動した。これには、幼少期に受けた過酷な体験が影を落としていたといえる。

そのため、復讐のためフランスに戻った王女とも呼ばれるほどであった。 夫君・アングレーム公はイギリス亡命時代に触れた議会政治への憧れが徐々に強くなり、夫婦は政治面に口論することもあった。

しかし、ボルドーで彼女が見せた勇気と慈悲深い性格を人々は称え、作家で政治家のシャトー・ブリアン夫人は1816年、パリに元亡命貴族と聖職者の避難所のマリー・テレーズ病院を作った。 ルイーズ王妃に先立たれたプロイセン国王が最初の寄付者となった。 この年、ルイ18世はマリー・アントワネットが最期を過ごしたコンシェルジュリーの独房を公開し、フランスのキリスト教会は敬虔なマリー・テレーズに司教と枢機卿を指名する名誉を与えた。

同年の517日、アングレーム公の弟ベリー公が両シチリア王フランチェスコ1世の長女マリー・カロリーヌと結婚した。 ところが1820213日、オペラ座でベリー公は狂信的なボナパルト派の馬具屋ルイ・ピエール・ルヴェルにより暗殺された。

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王族一同が警察大臣エリー・ドゥカズの罷免を求め、アルトワ伯爵とマリー・テレーズはこの事件を、ルイ18世の自由主義的政権と権力を強めたドゥカズのせいとした。 彼女はルイ18世に「もう一緒に食事をしません、パリを立ち去ろうと思います」と夫婦で南西部へ行こうとする意思を見せると、ルイ18世は譲歩し、ドゥカズを罷免した。 929日にマリー・カロリーヌがアンリ・フェルディナン・デュードネ(フランス・ブルボン家最後の王位継承候補だった人物)を出産する。 マリー・テレーズは友人ポーリーヌに「やっと永遠に諦めがついたから子供がいないままでいるわ」と心中をもらした。

マリー・カロリーヌは社交に熱中し、子供たちと過ごすことは少なかった。 マリー・テレーズは幼い甥と姪が自由に遊べるプチ・トリアノンのような場所を望み、自らも辛い思い出から離れるために18211229日、パリ西部にあるヴィルヌーヴ・レタンの屋敷を購入した。 図書室には彼女が集めた旅行記や革命史の本が並び、父ベリー公を失ったルイーズとアンリのために動物を集め、農場を作った。 彼女は農場で取れる牛乳と生クリームを自慢にし、パリに持ち帰っては友人たちと楽しんだ。 しかし、政治的な面で嫌っていたリシュリュー公が参加した晩餐会では、彼の皿にそのクリームを与えなかった。

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=== 続く ===

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