断頭台の露と消えた王妃 =37=

 マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュ  

○ フランス国王ルイ16世の王妃、フランス革命中の17931016日に刑死 ○

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◇◆ マリー・アントワネットを彩った人々 ルイ・シャルル =3/3= ◇◆

国民公会末期のルイ17世とその死

 新たに主治医となったフィリップ・ジャン・ペルダン医師が治療に向かった。 彼は「子供の神経に触るような閂、錠の音を控えるように」と士官を咎め、日よけを外して新鮮な空気に当たれるようにすることを命じた。 孤独な幽閉から1年半近く経過したこの日、独房の鎧戸や鉄格子、閂がようやく取り外され、白いカーテンで飾られた窓辺をルイ17世は喜び少し、様態が改善した。

 しかし、ペルタンは「不運なことに援助はすべて遅すぎた、何の望みもなかった」と報告している。 67日、ルイ17世は衰弱し、一時は意識を失う。 夜遅くに様態が急変し、ペルタンは薬の投与指示をして、翌68日朝に訪れたが、この時初めてルイ17世が瀕死の状態で昼夜とわず看護もされていないことを知った。 ゴマンは看護婦を求めに行っている午後、ルイ17世の意識が薄れ始めていた。 午後3時ごろ、激しい呼吸困難に気がついたラーヌは症状を和らげようとルイ17世を抱き上げ、両腕を自らの首に回した。 しかし間もなく、長いため息の後、全身の力が抜け、ルイ17世の短い生涯は終わりを告げた。

 ルイ17世は生前に、母と叔母の死を知ることはなかった。 独房に墨で書かれた「ママ、あのね…」という書きかけの言葉と花の絵が残されたことや、塔の屋上に散歩に出た際に見つけた花を摘み取り、花好きの母のためにと、既に住人がいないことを知らぬルイ17世が母の部屋の前にそっと置いたというエピソードが残されている。

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王太子ルイ17/ルイ・シャルルの死後談

 ルイ17世の死に際し、後見人たちは慎重に行動した。 何事もなかったように食事の用意をさせ、部屋に運んだ。 翌69日、ペルタンはジャン・バティスト・デュマンジャン医師、ピエール・ラシュ医師、ニコラ・ジャンロワ教授を引きつれ、遺体の解剖を5時間かけ丁寧に行った。 ペルタンの記録によると「胃は非常に膨らんでいた。右膝の内側に我々は腫瘍を発見した。 そして左手首の近くの橈骨に小さな腫瘍があった。 

 膝の腫瘍は2オンスの灰色がかった物質を含んでいたが、それは膿とリンパ液でいっぱいだった。 手首の腫瘍にも同じような物質を含んだが、もっと濃い色をしていた」。開頭され、脳があらわになると、ジャンロワ教授は「この分野に就いて40年になるが、この年齢の子供で素晴らしく発達した脳を見たのは初めてだ。 博識な男性を思わせるほど完成度が高く発達している」と述べた。

 胃の内部からは1パイントを超える非常に臭い液体が流れ出て、腸は膨れ上がり腹壁で癒着をしていた。 内蔵全体と両肺付近にさまざまな大きさの腫瘍がみつかり、彼らは死因を「腺病質の傾向がしばらくの間滞在していたため」結核が死因であるとした。 国民へのルイ17世死去の発表は4日後に行われ、遺体は共同墓地のサン・マルグリット墓地に葬られた。

 死亡証明書には「故ルイ・シャルル・カペーの記録。牧月20日午後3時、102ヶ月没、出生地ヴェルサイユ、住所パリ・タンプル塔、フランス人最後の国王ルイ・カペーとオーストリアのマリー・アントワネット・ジョゼフジャンヌの息子」と記載された。

 ペルタンは検死の際、ハンカチにルイ17世の心臓を包み、コートのポケットに入れて持ち出した。 心臓はペルタンの自宅において、蒸留したワインのアルコールを塗られて書棚に隠されたが、数年の時を経てアルコールは蒸発し、心臓は石のごとく硬くなってしまった。

 ルイ17世への虐待に加わった者たちは苦しんだ。 夫婦でタンプル塔で働いていたティゾン夫人は神経衰弱となり、その後何年間も、自分はルイ17世脱出の手助けをしたと主張した。 シモン夫人マリー=ジャンヌは、ルイ17世の死後19年経過してから「施療院の自分の部屋にルイ17世がやってきた」と言い出した。 

 毒殺説も流れたが、ベルタン医師が否定した。 後に、弟のルイ17世の死を知ったマリー・テレーズは「弟を殺害した唯一の毒は、捕え人の残忍な行為である」と述べたと言う。

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生存説とその否定

生存中から「タンプル塔にいるのは重病の別の子供であり、ルイ17世は逃亡している」と噂が流れており、実際にタンプル塔で勤務する者もヴェルサイユ時代、もしくはテュイルリー宮殿時代の彼を知るものは皆無であり、独房で幽閉されている姿を見た者もごくわずかである。

死去の際にルイ17世の世話をしていたローラン、ゴマン、ペルタン医師も同様である。 そのため「ルイ17世は逃亡しており、亡くなった少年は別人なのではないか」という噂が立った。 そのためブルボン家の財産を目当てにして、自分こそが逃亡した王太子だと名乗り出るものが、ヨーロッパだけではなくアメリカ大陸やインド洋のセイショル諸島にまで出没する有様だった。

因みに、アメリカの作家マーク・トウェイン1885年発表の『ハックルベリー・フィンの冒険』において、偽王太子をからかう一節を記している。

フランス北東部のシャロン・シュル・アルヌ付近で発見されたジャン・マリー・エルヴァゴーという少年は牢番がかごに入れ脱走させたルイ17世だ、という噂が流れ、総裁政府やフェルセン伯爵までもが振り回された。 偽王太子の中でもドイツに現れたカール・ヴィルヘルム・ナウンドルフという人物は有名であるが、DNA鑑定の結果、マリー・アントワネットとは何の関係もなかったとされている。

1814年、復古王政期に改葬された際、サン・マルグリット共同墓地で遺体の捜索が行われた。 ルイ16世、マリー・アントワネット、エリザベート王女の遺体は他とは別に埋葬されていたために証言から発掘できたが、ルイ17世の遺体については埋葬時を詳しく知る人物はほとんど死去しており、証言する者の記憶も曖昧であったため、掘り起こした少年の遺体がルイ17世のものか確証がなかった。 腐敗した遺体は膨張していて、10歳の少年の遺体には見えないという者がいたため、このことも、別人とすり替わったのではないかと憶測される原因となった。

20004月、マリー・アントワネットの遺髪と、ルイ17世のものと思われる心臓のDNA鑑定がなされた。 しかし、心臓の損傷が激しいため、鑑定にはかなりの時間を要することとなった=マリー・アントワネットの兄弟姉妹やいとこ、現在のハプスブルク=ロートリンゲン家の人物との比較でDNA鑑定は行われた=。 その結果は「心臓はルイ17世のものに間違いない」というもので、20046月にようやくルイ17世のものと判定され、フランス王家の墓地があるサン=ドニ大聖堂に心臓が埋葬された。

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蛇足ながら、サン=ドニ大聖堂にはイングランドにおけるウェストミンスター寺院同様、フランス王のほとんどがここに埋葬されている。 このサン=ドニ大聖堂は建築学的にも画期的な建物であり、ゴシック建築初期の名建築である。 現存する回廊の後陣(chevet)もしくは東端が建設当初からの唯一現存している部分である。 今日我々が目にするサン=ドニ大聖堂のゴシック構造は、大修道院長のシュジェール1081 – 1155年)によって1136年頃に始まり、わずか4年の建築期間を経たのち、1144611日に奉献された。

サン=ドニはフランスの王と王族が何世紀にもわたって埋葬されてきた場所であり、これによりしばしば「フランス王家の墓所」と呼ばれる。 事実、10世紀から1789年までのフランス王は、3人を除いて皆ここに埋葬されている。 しかし、ギロチンにかけられたルイ16世、王妃マリー・アントワネット、王妹エリザベートの遺体はサン=ドニには埋葬されなかった。

国王夫妻の遺体はマドレーヌ墓地に打ち捨てられるように埋葬された。 1794年にこのマドレーヌ墓地は廃止され、王政復古期にルイ16世広場となり、現在は贖罪礼拝堂が建っている。 王妹エリザベートは刑死後エランシ墓地に埋葬され、病気で死んだ王太子ルイ(7世)の遺体は、パリのタンプル近くの教会の無縁墓地に埋葬された。

ナポレオン・ボナパルトが教会を1806年に再開させたが、王の遺体は埋められた穴に残されたままだった。ナポレオンがエルバ島に流されると、王政復古がなされ、ルイ18世は、ルイ16世とマリー・アントワネットの遺骸を捜すよう命じた。 わずかな遺骸、おそらく王のものと思われる骨、女性のガーターベルトを含んだ灰色の物質が1815121日に発見され、サン=ドニに運ばれて地下室(crypt)に埋葬された。

1817年には、他のすべての遺体が入った穴が開けられたが、どれが誰の骨かを識別することは不可能だった。 それらの遺体はサン=ドニ地下室の納骨堂(ossuary)に置かれ、前に大理石板が2枚置かれ、何代ものフランス王朝の王族の名前が、教会に記録された順に何百人も連ねられている。

革命時も無事であったルイ7の墓はサン=ドニに移され、地下室に埋葬された。 また、2004年には王太子、つまりルイ17世だった少年のミイラ化した心臓が地下室の壁に封印された。

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=== 続く ===

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