食糧危機・食の未来と貧困 =40=

◇◆ 食べ物と日本人の進化 :  馬場悠男 =6/9=   ◇◆

 第二回 食べ物で顔はこんなにも変わる =中節= 

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  「縄文人は当時、10万人はいただろうと言われています。それ以上の弥生人が一度に渡来したとは考えられず、少数の弥生人がしばらく縄文人と住み分けをしていました。 ただ、弥生人は稲作技術を持っていたぶん安定した食料を得られたので、人口増加率が縄文人より高かった。弥生時代も約1200年ありますから、渡来人口が少しずつ増え、なおかつ人口増加率も高かったことで、どこかの時点で縄文人と人口が逆転したのです」

縄文人が台地に住むのに対し、弥生人は稲作に適した低湿地帯に住むことを好んだ。 そうやって居住地も離れていたが、弥生人の人口が増えて生活範囲が広がるにしたがって、縄文人と交わるようになっていったのだと馬場さんは話す。

つまり、私たちは縄文人と弥生人のハイブリッドということだ。現在の本土日本人の遺伝子を調べると、渡来系弥生人の遺伝子が7~8割、縄文人の遺伝子は2~3割だという。

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 「いっぽう、稲作が普及しなかった北海道の先住民・アイヌは縄文人の特徴を留めています。彫りが深くて目が大きく、髭が濃い。ヨーロッパの人類学者は30年くらい前まで、アイヌはヨーロッパ系だと言っていたくらいです」

やがて階級社会が成立していくと、人口で陵駕した渡来系弥生人たちが支配階級となる。3世紀頃から始まった古墳時代の古墳から出てくる人骨は渡来系弥生人の特徴を持っているし、平安時代の源氏物語などの絵巻に登場する貴族たちの顔がのっぺりとしているのも、渡来系弥生人が支配階級だったことを示している。

「弥生時代から後、人骨で特徴的なのは身長の変化です。よく、歴史を遡るほど身長は低くなっていくと思われていますが、現代を除くと日本人の身長が最も高かったのは弥生時代なんです。時代を経るごとに身長はどんどん小さくなっていき、一番低かった時代は江戸から明治にかけて。弥生時代に平均が163cmあった成人男性の身長は、この頃には156cmまで下がっています」

これまた意外だが、稲作による農業生産の拡大で人口が増加するにしたがい、動物性タンパク質の分け前が減って栄養的に偏りが出たため、体がその状況に適応していったと考えられる。 戦乱が終わって太平の世となった江戸時代は人口が約1200万人から3000万人を超えるまでになったので、その現象も加速したのだろう。

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  「江戸時代にはもう一つ、おもしろい特徴があります。ヒトの骨を観察、計測して集団ごとの特徴を区別したり、比較したりするのが私の研究ですが、江戸時代の人骨を調べているうちに、庶民の顔は幅が広く顎もしっかりしているのに、上流階級は顔が細長くて顎の小さな人が多いことがわかったのです」

その原因こそ、食べ物にあるのだと馬場さんは話す。

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=== 続く ===

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