食糧危機・食の未来と貧困 =41=

◇◆ 食べ物と日本人の進化 :  馬場悠男 =7/9=   ◇◆

 第二回 食べ物で顔はこんなにも変わる =後節= 

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 「江戸時代、庶民はせいぜい1日に一度しか米を炊きません。 都市部などでは薪を買うにもお金がかかりますしね。 だから、それ以外は冷や飯を食べます。  いまのように電子レンジもありませんから、まずこれがかたい。  おかずもメザシやタクアンなどが多く、全体的にかたいものを食べていたんです。  これが上流階級になると毎食米を炊くし、おかずも焼いた魚の切り身などやわらかいものを食べていた。  咀嚼する力がさほど必要ありませんから、顎が発達せず、華奢で細長い顔になったと考えられます」

 かたいものを食べていた縄文人は顎がしっかりしていた。  咀嚼の力が違うだけでそこまではっきりと骨格が変わってしまうものなのか。  しかも、江戸時代のこの現象は“美の概念”にも影響をおよぼしたという。  2007年に馬場さんが国立科学博物館の坂上和弘研究主幹と一緒に行った、東京・上野の寛永寺にある徳川将軍家の墓の遺骨の学術調査は、それをよく表していた

  江戸時代前期は、将軍の正室はたいてい顔が細長く顎が小さかったが、側室は顎がしっかりした庶民顔だった。 正室は皇族や公家から輿入れをしているが、側室には庶民出身の大奥女官から選ばれていたからだ。  しかし、これが江戸時代後期になると正室も側室もみな細長い顔をしているのだという。

   「京都から輿入れした正室の顔が細長いことから、美女の顔はそういうものだという概念が世の中に浸透したのです。 さらに、平安時代以降、北方アジア人的な一重で細い目が良いとされる伝統が続いていました。 浮世絵に描かれた瓜実顔で目の細い“美女”はその象徴でしょう。  そうやって生まれた紋切り型の美の概念のもとで、野心を持った連中が将軍の側室にするために面長な女性を大奥へと送り込んだと考えられます」

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 12代将軍家慶の側室で、13代将軍家定の生母である本寿院などはその典型で、遺骨を調べると、まさに細長い顔をしていたという。  現代も、雑誌やテレビに登場する女優やモデルが美のイメージをつくる。  美への捉え方は違っても、世間の流行に左右されるのはいつの時代も同じだ。

  なお、縄文人と同様に、大奥の女性の骨についても米田さんたちは食べていた食物を調べた。  基本的に江戸時代の庶民と同じで、米と魚介類を食べる伝統的なものだが、魚介類の比率が高かったとのことだ。

  「必要なカロリーと必須アミノ酸、ビタミンがあれば、何を食べていても、骨格そのものには大きな変化はありません。ただ、顔は食べ物の影響を強く受けます。  そして、食べ物による顔の変化こそが、現代のさまざまな病気を生み出している原因のひとつと言えるのです」

  美の概念だけでなく、健康にも影響を与えるとは恐るべし。  いったい、病気を生み出す顔とはどういうものなのか。 私の顔はどうなのか慌てて聞くと、とりあえず大丈夫らしいが……。

  明治以降の顔や体つきの変化を追いながら詳しく伺っていこう。  

=== 続く ===

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