民族のソウル・フード探訪 =033=

◇◆ 世界魂食紀行 ソウルフード巡礼の旅   ◇◆

【“NATIONA GEOGRAPHIC/日本語版(文=中川明紀・編集者)”に追記補講】

★ パラグアイの子供が最初に覚える料理とは =3/3= ★

 パラグアイ料理ー7

 「ソパもパラグアイでは欠かせない食べ物なの。 週末は必ず家族や友人たちとアサード(バーベキュー)をやるんですが、そのときに大きなソパを焼いてみんなで取り分けて食べるんですよ」

コーンスターチにチーズ、卵などを入れてつくるこの料理は、正確には「ソパ・パラグアージャ」という。ソパがスペイン語で「スープ」を意味するように、昔、料理人がスープをつくろうとして誤って煮詰めてしまい、固形になったものを味見したら美味しかったことから、つくられるようになったとか。

実際のソパはふわふわの生地からチーズがとろりと溶け出していて、口に入れると崩れるほどやわらかい。 チーズの塩気が先にくるが、舌に残るのは乳製品のやさしい甘み。 「パラグアイのコーンスターチでないとこのふんわり感は出ないんです」と、コーンスターチを祖国から取り寄せているというグラディスさん。 中米が原産と言われ、5000年前から栽培されているトウモロコシもまたマンジョカ同様によく食べられている。

「パラグアイの女の子は12~13歳になると母親と一緒にキッチンに立って料理を覚えます。 そうやって母の味を受け継いでいくんですが、最初に覚えるのがこのチパとソパ。私の母親は去年亡くなりました。 でも、こうやってキッチンに立ってチパやソパをつくっていると母のことが身近に感じられます」

グラディスさんはそう言って、パラグアイの国民的飲料テレレ(マテ茶)を出してくれた。 「私には娘がいないので日本に来てからはずっと一人で料理してきたけど、お店を開くことになったら貴雄が料理を覚えるって言ってくれて。 料理を教えていると私もつい厳しく言ってしまうので息子とケンカすることも多いですが、我が家の味を継いでくれると思うとやっぱり嬉しいですね」

実は、店を開くまでパラグアイに行ったことがなく、料理もあまり食べなかったという貴雄さん。

「たぶん、心のどこかで反発していたんです。生まれ育ったのは日本だから。 でも店を手伝うようになって気持ちがかわった。そこで料理の勉強も兼ねてパラグアイに行ったんです。 そうしたら空港に降り立った瞬間、なぜか涙が出て止まらなかった。初めて来たとは思えない懐かしさを感じたんです」。 このとき、貴雄さんはパラグアイへの郷土愛を自覚したという。

二人で店を切り盛りしているため、「接客が忙しくて、料理の腕がなかなか上達しない」と苦笑いしながらも、いつかは跡を継ぎたいと貴雄さんは語る。 「それなら次は、貴雄さんがつくったチパやソパを食べにきますよ」と、「かあちゃんの味」を受け継ぐ日を楽しみに店を後にした。

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※ キャッサバの歴史 : 現在栽培されているキャッサバの原型となったことが分かっているM. e. flabellifolia亜種の分布は中央ブラジル西部を中心としており、ここで少なくとも1万年前には栽培が始まった。 しかし種全体としてはブラジル南部とパラグアイのあたりで発生したらしい。 現存するキャッサバの全ては栽培種を祖先としている。

メキシコ、タバスコ州のサンアンドレス遺跡から出土したキャッサバの花粉から、6600年前までにはそこでキャッサバが生育していたことが分かっている。 現存する最も古いキャッサバ栽培の証拠は、エルサルバドルにある1400年前のマヤ遺跡ホヤ・デ・セレンで見つかった。 食料用の作物としての有用性から、スペインによるアメリカ大陸の植民地化が始まる15世紀末までには南アメリカ北部、中央アメリカ南部、西インド諸島の人々の主食となっており、モチェ文化鐙型注口土器など、コロンブス以前に作られた工芸品のモチーフともされた。 スペイン人とポルトガル人による植民地化後も栽培が続けられた。

17世紀に奴隷貿易が盛んになると、アフリカから新大陸までの月単位を要する輸送期間、奴隷を船内で生かしておく必要があった。 ブラジルを支配していたポルトガル人は栽培が容易なキャッサバを奴隷貿易用の食料として採用し、アフリカを中心に全世界に広めた。 ブラジル先住民はキャッサバやトウモロコシを主食としていたがポルトガル人が米を導入し、ブラジルでは17世紀頃初めて栽培され、キャッサバやトウモロコシともにブラジル人の主食となっていった。 地域によるが、現在もキャッサバはブラジル人の食生活に欠かせない食材である。

※ パラグァイの食習慣 : パラグアイは、お隣ブラジルやアルゼンチンと同様、肉食文化の傾向が強く、国民食はアサードです。 アサードは「焼いた肉」の意味で、網焼きや鉄板焼きにすればパリジャーダ、串焼きにすればチュラスコ(ブラジルのシュハスコと同じ言葉)とも呼ばれ、ともあれ肉を豪快に焼いて豪快に食べるものです。 肉は牛肉がメインとなります。 そもそもそのあたりの国々でアサードを食べるのは、牧畜文化の伝播なのでしょう。 今はチキンもまた安価に出回るため、パラグアイでもポジョ(鶏肉)料理は大変に好まれています。 ポジョアサード(グリルしたチキン)やポジョフリット(フライドチキン)などはどこでも見ることができます。 ・・・ということで、パラグアイに行くと、体は野菜不足を訴えますのでご用心。

「パラグアイ人は野菜を食べない」に続く合言葉が、「彼らは野菜がわりにテレレを飲む」。

パラグアイ人は、お茶をいつも携帯しています。 グアンパ(カップ)にジェルバ(乾燥した薬草茶葉)を入れ、テルモ(大きな水筒)から冷水を注ぎ、ボンビージャ(先端に茶こしのついた金属ストロー)で冷浸茶を飲むのです。 冷水を入れればテレレで熱湯を入れればマテと呼ばれます。 お茶好きの日本人から見ても驚くくらい大量のテレレを飲み、テレレからビタミンや健康成分をとるのです。 ひょっとしたら、野菜を加熱する和食や中国料理の文化よりパラグアイのほうがビタミンを上手に摂取しているのかもしれません。

パラグアイ料理ー9

 === 続く ===

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