民族のソウル・フード探訪 =067=

◇◆ 世界魂食紀行 ソウルフード巡礼の旅   ◇◆

【“NATIONA GEOGRAPHIC/日本語版(文=中川明紀・編集者)”に追記補講】

★ 南アフリカで愛されるネバネバ料理 =1/3= ★

​​​​​​​​​ ​​​​​​​​​​ガーナー料理ー1

 「オクラって何語か知ってますか?」  打ち合わせの最中、いつものように編集Tさんが尋ねてきた。 オクラって大根おろしと醤油をかけてツルツルッと食べる、あのオクラだよね。夏に食欲がないときなんかでも食べやすい。 いかにも和食って感じだし……日本語じゃないんですか?

そう答えると、「それがね、アフリカの言葉らしいんですよ!」とTさんが身を乗り出す。 「そうなの!?」とさっそく調べてみると、その語源は西アフリカの国ガーナの現地語「nkuruma(ンクラマ)」に由来し、英語で「オクラ」と呼ばれるようになったのだが、今は現地でも逆輸入され浸透しているようだ。 また原産は諸説あるもののアフリカ北東部で紀元前から栽培されていたといわれている。

「とくにアフリカの西部では欠かせない食べ物なんだそうです」とTさん。

へえ~、アジア辺りが原産かと勝手に思っていたけどアフリカとはおもしろい。 そう答えるとTさん、にやりと笑って「アフリカのオクラ料理、食べに行きましょう!」と言う。 話によると、「横浜赤レンガ倉庫」でアフリカ諸国の文化や料理を体験できるイベント「アフリカンフェスティバルよこはま」が開催されるらしい。

桜も散り始めた4月初旬、イベント会場の赤レンガ倉庫を訪れた。 建物の中に入ると、打楽器の独特なリズムが聞こえてくる。 辺りはすでに人であふれかえり、熱気に包まれていた。

打楽器の音に合わせて踊ったり、各国の特産物を吟味したりと寄り道をしながらも飲食コーナーへと向かう。 そこにはセネガル、ブルキナファソ、ガーナなど国名を掲げたブースが軒を連ねていた。 「語源の国ならオクラがあるはず」とまずはガーナのブースに足を向け、店の前で客に呼びかけている男性に尋ねた。

「オクラの料理はありますか」

「おー、オクラ! ありますよ、オクロシチュー。ガーナの人気料理です」

ハイテンションで答えてくれたのは店の主人でガーナ出身のチャールズ・ニューマンさん。 来日して21年、レストラン業などに携わり、いま新しくガーナ料理の店を出す準備をしているところだという。 「うちの奥さんがつくったオクロシチューは美味しいからぜひ食べて」と笑顔のチャールズさんからお皿を受け取る。

「シチュー」と言うだけあってかなり煮込んである様子。 細かく刻まれた野菜がたっぷりと入っているが、これがどうやらオクラのようだ。 スプーンですくうと糸を引く。口に入れるとネバネバしていて、少々油っぽい。  ややピリ辛だがオクラの青みと苦みが汁にしっかりと染みこんでいる。 独特な味わいだ。

ガーナー料理ー2

ガーナ共和国、通称ガーナは、西アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。 東にトーゴ、北にブルキナファソ、西にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。 首都はアクラ

脱植民地化が活発であった最中の1957年に、サハラ以南のアフリカにおいて初めて現地人が中心となってヨーロッパの宗主国から独立を達成した国家である。 イギリス領ゴールド・コーストと呼ばれていたが、独立に際して国名をガーナに変更した。 初代大統領ンクルマは、アフリカ統一運動を推進したことで有名。 かつてゴールド・コーストと呼ばれた海岸を保有しており、ダイヤモンドやを産出する。 カカオ豆の産地としても有名。 2010年12月から沖合油田で原油生産が始まり、国際的に大きな注目を集めている。

この地域が注目されるのは、紀元前2000年紀のキンタンポ文化の出現からである。新石器時代後期に位置づけられるこの文化の人々は、森林とサヴァンナの境界地帯に住み、交易を行いつつも狩りと採集によって暮らしていた。  2世紀頃からハニ遺跡で製鉄がおこなわれたことがわかっている。

13世紀から16世紀はベゴーをはじめ幾つかの町がサハラ交易の一端を担ったともおもわれるが、ボノ・マンソに見られるように地域的なものにとどまった町もあったと思われる。 また、西方からアカン人モシ人エウェ人ゲン人グベ人が移住し、先住民と対立しその後圧迫していった。

15世紀にはポルトガル人が到来し、エルミナなどに城塞を築き、奴隷貿易の拠点とした。 その後、金が産出することがわかると「黄金海岸」と呼ばれるようになった。 その後、金と奴隷の貿易を奴隷制が廃止される19世紀まで続けた。 大西洋三角貿易により多くの人々がアメリカ大陸に連行され、労働力として使われることとなった。

17世紀には奴隷貿易で力を蓄え、ヨーロッパ人から購入した銃火器で周辺の民族に対して優位に立ったアシャンティ人オセイ・トゥトゥアシャンティ王国を建設し、大いに繁栄した。

しかし19世紀に入り、アフリカの植民地化が進んだことや、南北アメリカのプランターにとって奴隷がコスト面で採算の取れない存在になったことにより奴隷貿易が衰退すると、アシャンティ王国の財政基盤は揺らいだ。

ガーナー料理ー3

 === 続く ===

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