民族のソウル・フード探訪 =115=

◇◆ 世界魂食紀行 ソウルフード巡礼の旅   ◇◆

【“NATIONA GEOGRAPHIC/日本語版(文=中川明紀・編集者)”に追記補講】

★  まるで異国!アメ横の多国籍食品街 = 1/3 = ★

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​郷土料理ー1

​​​​​​ 今年も残りあとわずか。クリスマスや忘年会、そしてお正月の準備にと忙しくも活気に満ちた時季がやってきた。そんな師走のある日、私と編集Tさんが立っていたのは東京・上野のアメヤ横丁。買い出しに来た人びとで賑わう様子が、年末の風物詩にもなっている商店街だ。

魚屋や乾物屋の威勢のいい声が飛び交う通り。とはいえ、この日の目的はカニでもタイでもなかった。ごった返す人をかき分け、商店街の真ん中あたりにあるアメ横センタービルへと向かう。

きっかけは横浜市でマレーシアのソウルフード(前記参照)を食べたときのことだ。料理をつくってくれたアマンダさんは、日本のキッチンではほとんどお目にかかれない調味料をたくさん揃えていた。聞けば、アメヤ横丁に外国の食材や調味料が豊富に揃い、多くの外国人が買い物に訪れる場所があるという。それはおもしろそうだと、我々も買い物に行くことにしたのである。

ビルの地下1Fに海外の食材を売る店が集まっていると聞き、建物の階段を下りる。まず目に飛び込んできたのは山積みにされたココナッツやパパイヤの実。顔を上げると奥の棚には赤や黄色、緑のポップなパッケージの缶詰や袋が並び、向かいの魚屋では旬の上海ガニが大量に売られている。そして、アジアや南米、アフリカの人たちとおぼしき買い物客。一瞬にして異国の市場に迷い込んでしまったようだ。

「うわー、カエルの肉も売ってますよ!」と前を歩いていたTさんが驚く。どれどれと見に行くと、隣で長ネギのような野菜を手に取る女性。何の野菜か尋ねると、「パンダンリーフというハーブですよ」とフィリピン出身のMさんは教えてくれた。「お米に入れて炊くといい香りがするんですよ。ほかではあまり手に入らないので買いにきたんです」

パンダンリーフはほんのりと甘いにおいがした。そういえば、アマンダさんも「パンダンリーフがなかなか手に入らない」と言っていた。ほかにもちまきに使ったりと、フィリピンやマレーシアではよく使うハーブのようだ。「ここはフィリピンの食材が豊富。神奈川に住んでいるので月に1度くらいだけど、いろいろ買い込んでいくんです」

そう言って、Mさんは魚やバナナ、フルーツ缶などを次々とカゴに入れていく。「今日はブコサラダをつくるのよ」とMさん。ブコとはココナッツのことで、ブコサラダはココナッツといろいろなフルーツを生クリームやコンデンスミルクで和えたもの。サラダというよりデザートのようだが、フィリピンではとてもポピュラーな食べ物らしい。

「ふだんもよく食べるし、正月とか特別な日にもつくります。仕事で疲れた後に食べると最高! ここはココナッツもあるし、ナタ・デ・ココの瓶詰めもいろいろ揃っているので、遠くても買いにきちゃうんです」と言って、緑色のシロップに入ったナタ・デ・ココをカゴに入れた。ずいぶんとにぎやかな色のサラダだ。

「青森や福島から来るお客さんもいますよ」と、その食材店「新井商店」の新井一博さんが教えてくれた。この店は全国的にも有名なのだ。新井商店では主にフィリピン、タイの食材や調味料を扱っている。売れ筋商品を尋ねると「シニガンが人気ですね」と新井さん。フィリピンで全国的に食べられているスープの素だというので購入してみることにした。

郷土料理ー2

アメヤ横丁は、東京都台東区の御徒町駅-上野駅間の山手線の高架橋西側と高架下の約500メートルを中心に約400店を有する商店街である。 正式名称はアメ横商店街連合会であるが、アメヤ横丁のほか、アメ横上野アメ横アメ横商店街などと通称されることが多く、商店街の看板にも「アメ横」と表示されているものがある。

元々は民家や長屋がひしめき合う下町特有の住宅街であった。 空襲に因る被災(国鉄の設備)を避けるため、強制的な建物移転が行われた。 しかし東京大空襲によって周辺一帯は焦土と化し、戦後はバラック小屋が乱立した。 そして屋台や露天で商売をする人々が目立ち始めるようになる、これらは公の営業許可を受けないため闇市と呼ばれた。 十分なモラルがない中で、様々な人間が多種多様な物資を売買しており、それらに群がる愚連隊や暴力団などが入り乱れ白昼の発砲事件なども起きその度にMP(米陸軍憲兵)と警察が対処に当たるというような状況が続いていた。

1946年、手を焼いた当局が近くの実業家・近藤広吉に頼み込み、80軒の商店を収容した「近藤マーケット」を作らせた。 近藤マーケットは出所の怪しい者を排除して出店させたため、アメ横はようやく正常化へと向かっていった。 なお、東上野に現在も残る「キムチ横丁」は、このときアメ横から移転した韓国人・朝鮮人が作ったものである。 そして、1982年12月21日に旧・国鉄上野変電所跡にアメ横センタービルが完成した。

1980年代に入ると、核家族化(年末に地方から帰京する子供の数が激減した)が進んだ事に伴い鮮魚を扱う店が減少していった。 代わって若者向けのスポーツ用品店が1990年代に目立って増えた。 また、アメ横センタービルの地下は中国や東南アジアの食材が売られており、多くの中国人が買い物に訪れるため、店員も中国人が多く、中国語が飛び交うようになった。

平成になって目立ち始めたのが「閉店セール」である。実際には毎日閉店セールと称して通行人に、たたき売りのイメージを抱かせて販売している。 その他、つまみやチョコレートなどを専門に1000円で山盛りサービスといったパフォーマンスを披露して販売している。 魚屋の呼び込みでは一年中マグロや鮭の切り身を1000円で道行く人に声をかけて販売している。これらは一見の客を対象に売られているものの昭和時代と較べて品質のきわめて低いものはなくなりつつある。

郷土料理ー3

 === 続く ===

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