民族のソウル・フード探訪 =154=

◇◆ 世界魂食紀行 ソウルフード巡礼の旅   ◇◆

【“NATIONA GEOGRAPHIC/日本語版(文=中川明紀・編集者)”に追記補講】

★   知ってほしいクルドの味 =1/3= ★

​ ​​郷土料理ー1

「ワラビスタンって知ってる?」  池袋で飲んでいた時、友人のMちゃんが聞いてきた。 ワラビスタン……耳慣れない言葉だ。想像もつかないや。 そう答えるとMちゃんはビール片手に身を乗り出してきた。

「埼玉の蕨駅周辺に在日クルド人がたくさん住んでいて、そう呼ばれたりもしているみたい。 1000人以上いるらしいよ」

そんなに住んでるの!? クルド人といえばトルコやイラン、イラクなどにまたがる山岳地帯に住み、ペルシャ語系のクルド語を話す民族。 「スタン」とはペルシャ語で「土地」を意味し、ワラビスタンはクルディスタン(クルド人の土地)をもじって呼ばれているらしい。 「でもなぜ蕨に?」という私の言葉をスルーしてMちゃんは続ける。

「それでね、そこでたまにクルドの料理教室をやっているんだって。 行ってみない?」

クルド料理ってどんな料理なんだろう。やはりトルコやイランに近いのだろうか。 蕨に集まっている理由も知りたいし、これは断る理由がない。 さっそく料理教室を主催する日本クルド文化協会に問い合わせ、参加することにした。

料理教室の会場は蕨駅から歩いて15分のところにある川口市の公民館。 学校の家庭科室のようにキッチン台がいくつも並ぶ部屋で、すでにクルド人の女性たちが準備を始めていた。 「みんなが頭に巻いているスカーフ、小さい花がついているよ。かわいいね!」とMちゃんは早くもウキウキだ。 レース編みだろうか、確かにスカーフの端に繊細な花がついている。

「オヤっていう伝統的な刺繍です。クルドの女性はみんなできますよ」。 黒いスカーフを巻いた女性が教えてくれた。 料理教室の代表を務めるグレさんだ。 トルコでも有名な手芸だそうで、そういえばトルコに行った時に友人がスカーフを買っていたな、と思い出す。

生徒が集まったところで教室が始まった。 今回はサラダ、スープ、メイン、デザートの4品を、4つのキッチン台に分かれてつくるらしい。 クルドの女性たちがそれぞれ担当を持ち、生徒はキッチンを自由に行き来する。 サラダは最後につくるとのことで、まずは3カ所で調理開始。 最も賑わいを見せるメイン料理のキッチンに行き、何をつくるのか問う。

「ドルメ・フシュクです」

クルドの食卓によく並ぶ家庭料理だという。 名前だけではわからないのでキッチンをのぞきこむと、不思議な食材が目に入った。 色は赤と紫、水分がなくシワシワで、ヒモでつながれている。 干し柿をさらに乾燥させたような感じだ。

「干したナスとピーマンです」とグレさん。 ナスやピーマンを干すのかと驚くと、カボチャやキュウリも干すという。 「畑でつくった野菜を干すんです。 遊牧生活を送るクルド人は、夏の間は羊が食べる草が豊富な山で生活します。 干した野菜は一年中食べられるから、保存食として欠かせないんですよ」

干しナスにおいては、富山でも越冬の保存食として食べられている。 しかし、この干しナスが不思議なのは中身がないこと。 「中身はスープに使ったり家畜のエサにしたりします。 ドルメ・フシュクは干したナスやピーマンの中にお米や肉などの具を詰めた料理です」と、ナスとピーマンをもどすために茹でる準備をしながらグレさんは説明してくれた。 茹でている間に中に入れる玉ネギやニンニクを刻むという。

郷土料理ー2

=資料=

クルディスタンは、トルコ東部、イラク北部、イラン西部、シリア北部とアルメニアの一部分にまたがり、ザグロス山脈とタウルス山脈の東部延長部分を包含する、伝統的に主としてクルド人が居住する地理的領域のこと。 チグリス・ユーフラテス川の中上流域を中心に広がる山岳地域。 面積は約392,000km2。 「クルド人の地/国」を意味する。

クルディスタンという名称は、12世紀にセルジューク朝アフマド・サンジャルがエルデランに相当する地域(今日のイランのコルデスタン州とほぼ一致)に設置した州の名前として、はじめて使われた。 今日、クルディスタンとして知られている地域はペルシアとメソポタミアの間、ヴァン糊の南と南東の高山地域のことである。

古代ローマはその絶頂時に、クルド人が住んでいる広大な地域、特に中東の西と北のクルド人地域を支配した。 カルドゥチのようなクルド人王国は、ローマ帝国の封建州となっていた。 紀元前189年から384年、古代カルドゥチは北メソポタミアを支配した。

この王国はティグラナケルト (Tigranocerta) の東に存在した。 トルコの南東にある今日のディヤルバクルの東側および南側に相当する。 カルドゥチは384年までローマと同盟状態にあった。

「クルドの地」の語が初期の記録に現れた一例として、シリア語でのキリスト教の文章がある。 この文章は中東での聖アブディショの様なキリスト教の聖者を記述している。 サーサーン朝のマルズバンがアブディショに出身の地を聞いた際に、彼は両親がアッシリアの村ハザ (Hazza) の出身であると答えた。 そこは、アブディショによると「クルドの地」であった。 この村は、現在のイラクとトルコの国境の北、現在のアルビールの南西12kmに存在する村落である。

郷土料理ー3

 === 続く ===

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