睡眠の都市伝説の真意 =062=

☆彡 睡眠の都市伝説を斬る =三島和夫・睡眠研究者= 彡☆

【この企画は“Webナショジオ・連載/睡眠の都市伝説を斬る”に追記補講した】

朝型勤務補講: 朝型、夜型って何? =1/3=

 睡眠研究=1

​​  ナショジオの連載を始めてもうすぐ1年。 睡眠科学、睡眠医療、睡眠社会学など様々なテーマについて徒然なるままに書かせてもらったけど、中でも前回の「朝型勤務がダメな理由」は読者からの反響が大きかったなー。

  国の肝いりで、公務員はじめ、大手から中小企業まで幅広に呼びかけたとなると、他人ごとじゃないですからね。私なんか朝型勤務を申し渡されたら、即、辞表を出す覚悟です! オーストラリアでゆるキャラでもやります!

あはは。でもこのご時世、転職も楽じゃないよね。ゆるキャラも早出の仕事、多いと思うよ。それにキミ、英語できないでしょ。

……  ナショジオ日本版のFacebookに書き込まれたコメントをみても朝型勤務について賛否両論巻き起こっているし、一部には誤解もあるようです。そこで今回は夜型に悩むヒツジ君に参加してもらって質疑応答形式で補講を行うことにしました。ヒツジ君も自分の朝型夜型について考えてみてね。

じゃ、さっそく私事で恐縮ですが、ご指摘通りひどい夜型で困っています。前回「夜型の人が朝型勤務になると早起きの努力がエンドレスに続く」というような意味合いのことを書いてあってガックリしました。どんなに頑張っても朝型になるのはムリなのでしょうか?

それ、よくある質問なんだよね。質問返しで悪いけど、次の2つの〇×分かる?
1)「朝型生活をしていると朝型体質になる」
2)「朝型生活をしていると早起きが楽になる」

?? 同じような意味だと思いますが……

正解は1)が×で、2)が○。

また専門バカのこだわりと怒らずに聞いてね、大事なことなので。ポイントは「朝型」といっても朝型「体質」と朝型「生活」という2つの意味があるということなんだ。そして、朝型夜型についての体質は「クロノタイプ」とも呼ばれていて、これは変えられない。過去の研究から、個人のクロノタイプの決定には遺伝的影響が約50%、加齢の影響が数%程度関わることが分かっている。一方、環境的影響はないか、あってもごく小さいとされていて、目覚ましや光を使って朝早く起きる生活を続けても朝型体質に変わることは期待できないんだ。

ただ、前回も紹介したけど、早起き生活を続けていれば体内時刻が徐々に前倒しになって早起きは確かに楽になる。これが朝型生活になるということ。でも、朝型体質になったのではなくあくまでも努力の結果であって、その努力の大変さはクロノタイプによってずいぶん違うんだ。夜型体質の人は気を抜いたり、早起きの必要がなくなると夜型生活にすぐ逆戻りするので「エンドレスの努力が必要」と少しラジカルな書き方をしたわけ。そうでもしないと夜型体質の大変さを理解してもらえないからね。

つまり、クロノタイプは身長の高低などと同じく(多因子)遺伝的に決まる部分が非常に大きいんだ。以前、225組(450名)の夫婦のクロノタイプと睡眠状況の調査をしたことがあるけど、夫婦生活が長くなってもクロノタイプが近似してくる傾向は見られなかった。寝食を共にしているのにね。似たもの夫婦という言葉があるけど、朝型夜型については当てはまらないようだね。このように個人のクロノタイプというのは安定というか頑固なんだ。

睡眠研究=2

=資料・文献 (The Wallstreet Jouurnal)= 

米労働者3分の1が睡眠不足―5兆6000億円の生産性損失(2/2)

企業はこれまで、睡眠不足が生産性に及ぼす影響には注意を向けてこなかったが、今や徹夜勤務もいとわない金融など人使いの荒い業界でも、睡眠が関心の的となっている。

「成功のための睡眠」という著書を持つコーネル大学のジェームズ・マース教授(心理学)は、昨年ゴールドマン・サックスで睡眠不足をテーマとした講義を行った。参加希望者が約1000人と定員を上回り、別室を使って放送せざるを得なくなるほどの人気だった。同教授は、従業員の間でうたた寝が目立つヘッジファンドのD.E.ショーでも講演を行っている。

夜勤があったり不注意なミスが命を奪う恐れがあったりする職場は、深刻な睡眠不足をもたらす。

P&Gは、夜勤勤務のある2工場に睡眠不足を解消するための数週間にわたるプログラムを導入しようと、睡眠問題の専門家であるナンシー・ロススタイン氏と話し合っている。同社は、6月にはプログラムを開始したいと考えている。

ロススタイン氏は、就寝する1時間前には画面のある電子機器を閉じることが重要だと力説する。画面から発光される青色光が、睡眠をもたらすメラトニンの分泌を抑制するからだ。しかし、スマートフォンやラップトップ・コンピューターに慣れ親しんでいる人にとっては、この指示は簡単なことではない。

Too early

=== 続く ===

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民族のソウル・フード探訪 =165=

 ◇◆ 世界魂食紀行 ソウルフード巡礼の旅   ◇◆

【“NATIONA GEOGRAPHIC/日本語版(文=中川明紀・編集者)”に追記補講】

★  ラーメンのルーツはウイグル料理にあり?!= 3/3= ★

​​​​ ​​郷土料理ー1

 それにしても、おもしろいのはハラルフードなのに作り方や見た目、味は中華に近いこと。ウイグルは東西文化の交差点なのだなあとしみじみ思う。しかし、そんな私にグプルジャンさんは「純粋なウイグル料理ですよ」と言った。 そして、「ラグメンがラーメンのルーツですからね」と繰り返す。

そうそう、それが目的だった。麺の発祥地は中国だといわれている。西アジア説など諸説あるのだが、10年ほど前にウイグルの東隣りの青海省で約4000年前の手延べ麺の化石が発見された。もっともこれはアワとキビでつくった麺で、小麦麺となるともっと時代が下るのだが、「穀物の粉を練った生地を使うものは麺」という中国の考え方に沿うと、現在では最古の麺となる。また、包丁などの道具がない時代であるから、手延べ麺は麺づくりの原初的な方法だといえる。

いっぽう、ラーメンの語源は中国語の拉麺にあるとされている。「拉」は引っ張るという意味。いまやほとんど製麺機でつくられているラーメンも、本来は手延べ麺である。もちろん、遊牧民だったウイグル族が定住したのは4000年前よりずっと後のことだから、ウイグル族のラグメンが元祖と言うのは難しいかもしれない。

ただ、この地域周辺で麺が生まれ、中国では次第に切り麺のほうが普及していくなか、原初的な手延べ麺はウイグル族に受け継がれたと同時に、シルクロードを通って日本に伝わりラーメンに進化した。つまり、ラグメンにラーメンの原型が残っているということであれば、それほど逸脱していないように思う。

ちなみに、ラグメンが西に伝わってパスタになったという話もある。とにかく麺の歴史は謎に満ちていて、カップヌードルを発明した日清食品の創業者・安藤百福(ももふく)も、そのルーツを探るべく中国全土を歩いたという。だから解明されたらおもしろいけれども、グプルジャンさんと話すうちに大切なのはそこではない気がしてきた。

なぜなら、ラグメンを純粋なウイグル料理だというグプルジャンさんの言葉が誇りに満ちているからだ。「日本人はお寿司を日本の文化として誇りに思っているでしょう。ウイグル族にとってラグメンは日本のお寿司と同じ。私たちの文化には欠かせない大切な料理なのです」

国は中国であれど、ウイグル族としての誇り。その強い思いが宿っているからこそ、高度な手延べの技術も連綿と受け継がれているのだろう。そう思うと、ラグメンの味わいがよりいっそう深く感じられた。

郷土料理ー2.jpg

=資料=

テュルク系遊牧民であるウイグル(回紇、回鶻)は4世紀ごろから中国史上に現れ、唐代の745年にはモンゴル高原にウイグル可汗国(回鶻)を建国し、蒙古高原の覇者となる。 唐の政経に参与する一大勢力を形成した。 遊牧民族であるウイグルは家畜を主な食料とし、その乳から作る乳製品(酪や馬乳酒)も重要な食料であった。

840年にウイグル可汗国が崩壊すると、大多数のウイグル人は中央アジアや天山山脈北東に移動し、カラハン朝天山ウイグル王国を築いた。 この両国が数世紀にわたってタリム盆地を2分して支配したため、タリム盆地のテュルク化は一気に進んでいった。

現在の東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)は、南部のタリム川流域、ホータン周辺などの地域が肥沃であり、各種の果物が取れたことから、徐々に各地に定住するようになり、中東からもたらされていた小麦の他、栗、エンドウ豆などの栽培をするようになった。 6世紀ごろの干ばつでいったん廃墟となったホータン周辺であるが、もともとはオアシスがあって都市国家が繁栄していた。 また、タムリ盆地北域のトルファン周辺などでは仏教に帰依する者もいたが、その場合は精進料理を受け入れたと考えられる。

ウイグル人は1060年代にイスラム教を国教として受け入れ、コーランに示された規律にしたがって飲食を含む全ての生活を行うようになったが、この頃まで小麦粉を主食とし、羊肉や野菜を食べる農耕主体の生活に移っていた。 1074年に完成した調味料、炒め物などの調理法の影響を受けて多様性を持ち、現在のウイグル料理、あるいはウイグル人の食生活の姿になったと考えられる。

郷土料理ー3

 === 続く ===

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