現代の探検家《田邊優貴子》=077=

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○

【この企画は“Webナショジオ・連載/日本のエクスプローラー”に追記補講した】

Ӂ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= Ӂ

◇◆ 北緯79度の花畑 = 3/3 = ◇◆

  私はまた立ち上がって歩きだし、ゆっくりと深呼吸をするように一歩一歩進みながらこの極北の原野に漂う匂いを自分の中に残そうとした。 そのまま何気なしに歩いていると、突然ツンドラの起伏の中からけたたましい声でピーピーと鳴きながら一羽の鳥が飛び出してきた。

ムラサキハマシギだ。 体の色はグレー、茶、黒、カーキ、白が混じり、ツンドラの大地に完全に溶け込み、カモフラージュされている。少し目を離すとどこにいるのかすぐにわからなくなってしまう。 それにしても、不自然に翼をバタつかせたり、足を引きずるような動きをしながら、そこら中をドタバタと走りまわっている。

ああ、これがそうか。 本で読んだことはあったが、実際に目の当たりにするのは初めてのことだった。 シギの親鳥がわざと傷ついたふりをして外敵の気を引き、ヒナや卵のそばから遠ざける行動である。 演技派なその行動に驚きつつ、微笑ましくも感じたが、卵が冷えてしまってはまずい。

 「ごめんよ」 とつぶやきながら、すぐにその場から離れた。 その迫真の演技は、北極の短い夏の間に子どもを育て上げることへの必死さを物語っていた。 卵のもとからあれ以上遠ざかってしまったら、卵の温度は急速に低下し、夏とはいえ北極では死に至るだろう。 自然の中では、ほんの一瞬の出来事が命を左右することがある。 生きものは、自然は、たくましさや厳しさとともに、必ずあっけないほどの脆さを秘めている。

しかし、私たちが離れていったというのにシギはまだ鳴いている。 早く巣に戻ってと願いながらも、シギの鳴き声に気を取られて歩いているうちに、ふと何者かの気配を感じた。 振り向くと、起伏の向こうに角が揺れるのが見える。 それも結構なスピードでこちらに近寄ってきている。高台に姿を現したのはトナカイだった。

私たちに気づき、50m手前のところでピタッと停止した。 その場は静まり返り、トナカイも私も時が止まってしまったかのような瞬間だった。 が、その静寂はシギが再び鳴き出したことによって崩された。 その瞬間、トナカイは再び小走りを始め、どんどん近づいてくる。もう20mというところでシギは鳴き止み、またトナカイは停止した。

 なぜかはわからないが、どうやらシギの鳴き声が気になって走ってきたようだった。 爛々としているその瞳から、「何? 何があったの? どうしたの?」という声が聞こえてくるような気がした。 彼はこの原野をまるでパトロールしてまわっているかのようで、なんだかたまらなく可笑しかったが、ずっと視線が合ったまま、私たちもどうしていいかわからず、お互いにその場で静止していた。

シギはもう鳴き出すことはなく、ただ沈黙の時間が流れた。 すると、トナカイは目をそらし、体をクルッと回転し、足下のチョウノスケソウを一口だけ食んで、目の前から走り去っていった。 ほんの数十秒の出来事だったが、とてつもなく長い時間が流れたように思えた。 トナカイは一度だけこちらを振り向いたが、その後は振り返ることなく遠ざかり、その姿はもうすっかり小さくなってしまった。

シギはもう巣に戻ったのだろう。 鳴き声も翼の音も聞こえない。 白夜の夕方、斜光線が花畑を遠くまで照らしだしていた。 まるで何事もなかったかのように、かすかな風がチョウノスケソウの白い花を揺らしていった。

なんという不思議な時間だったのだろう。 不思議の国のアリスがウサギを追いかけてもう一つの世界に迷い込んでしまったのと同じように、あのとき私も違う世界に行ってしまったのではないかと錯覚するような出来事だった。 絶対に聞こえるはずもないトナカイとシギの声が、言葉となってはっきりと聞こえたような気がしたのだ。 なんだか滑稽なトナカイの行動と表情はなんだったのだろうか。

張りつめていた緊張が一気にほぐれ、私たちはフカフカの斜面に腰を下ろした。 力が抜け、笑いがこみ上げてきて、その場で大声を出して笑い転げてしまった。

 小屋に戻った私たちは、何かに化かされたようなこの不思議な出来事を他の仲間たちに話した。 ところが、どう説明していいものかわからず、なかなか上手く伝えることができなかった。 私たちにとってはなんとも不思議な時間だったが、それはこの目の前のツンドラの原野では何度となく起き続けていることなのだろう。 そんな自然の中の当たり前の出来事を、私たちはほんの少し垣間見ただけに過ぎないのかもしれない。 けれど、その時間はとても鮮やかに私の心を色づけていった。

その夜、部屋のカーテンを開けると、深夜0時を回っているというのに、外は明るかった。 対岸の山には雲がかかり、オレンジがかったピンク色に染まっている。 徐々に低い霧が立ちこめ、生き物のように山と山のあいだを動いて海を渡り、こちら側へやってくる。 見る見るうちにそれは大きくなり、辺り一面、すっぽりと霧に包まれていった。 あいにくの天候だったが、街からやって来て間もない私の気持ちを、日常からかけ離れた世界へ誘うには十分だった。

明朝、霧は晴れてくれるだろうか。そんなことをぼんやりと思いながら、ベッドにもぐり込み、心はワクワクとしていた。

 ・・・・・ スピッツベルゲン島 ・・・・・

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