現代の探検家《田邊優貴子》=090=

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Ӂ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= Ӂ

◇◆ 旅に出る理由 = 4/4= ◇◆

  さて、今日はどこに寝ようか。 無意識のうちに、夕方になると寝るのによさそうな場所を探しながら走る癖がついていた。 結局その日は海岸沿いで寝ることにした。 コンロを出し、数日前にスーパーで買ったウィンナーをコッヘルで焼き、おにぎりと一緒に食べた。

目の前の日本海が荒々しく波の音を轟かせている。 海からの強い風が顔にまっすぐ吹きつけてくる。  空には雲一つない。 太陽が水平線にどんどん近づいていき、波で削られたゴツゴツの奇岩群が真っ赤に染まっていった。 その赤い大きな岩々に幾度も荒波がぶつかっては、砕けたしぶきを水平線に沈む夕陽がオレンジ色に染め上げていった。

なんだか涙がこみ上げ、溢れそうになった。 目の前で繰り広げられている光景の美しさとともに、“私は生きている”という感覚が爆発したかのように押し寄せ、私の心を震わせていた。 そして、太陽は水平線の向こうへ消えてなくなり、一瞬のうちに世界は夜になった。 海からの風が強さを増してきた。

翌朝8時、5月の澄みわたった空の下、私は勢いよくペダルを踏み、意気揚々と出発した。 福井に出てからずっと日本海沿いを走ってきたが、ついにこの日、進路を東へと転換させた。 懐かしい匂い。

まだ頂上に雪を冠った岩木山がそびえ立つ津軽平野には、りんごの白い花がどこまでも咲き乱れていた。 午後4時過ぎ、とうとう実家に到着した。 自転車に乗って実家の庭に帰ってくるなんていうのは高校生以来のことだった。

  自転車に乗って京都を出発してからというもの、毎日、寝る場所を探し、テントをたて、朝昼晩の食事の心配をし、空を見上げては天候を読み、風の匂いと目の前に広がる風景から季節を知った。 いくつもの心震える風景、できごとに出会った。 私にとって、その一日一日が“生きている”ということを実感させるものだった。

いつ歩けなくなるかわからない、という単なる漠然とした感覚が、いつの間にか自分の中ではっきりしたものに変わっていた。それは、自分の生きる時間が有限であるという実感だった。 そしてそのことはむしろ、生きていくことへの大きなパワーになりうるものだった。 心震えること、自分の持ち時間が限られていること、これらは私が生きる大きな原動力なのだとわかった。

凍っていた心はすっかり融けきって、それどころか、これまで感じたことのないようなスーッとした気持ちが芽生えていた。 胸のなかがスッキリと晴れわたっていた。  “好きなことをしよう”  なんでもない、ただそれだけのことだった。

ペルーで出会ったあの星空、エチオピアで見たオレンジ色の月の出、アラスカで出会ったいくつもの風景、出来事、急激に訪れた秋、生きものたちの輝き、人の気配のない世界、果てしない原野の広がり、雪と氷に覆われた世界……。
いくつもの心震える光景が浮かんでは、どんどん強い光となって煌めき始めた。 “とてつもなく大きな自然とかかわって生きていこう。 そう、それも地球の果ての”

それから一年後、私は東京へ引っ越すことになった。 京都の家を引き払い、友人たちに別れを告げて出発した。 東京へ向かう車のなか、ステレオにつなげたiPodから、くるりの「ハイウェイ」が流れてきた。 “僕が旅に出る理由はだいたい100個くらいあって……”

私は口ずさみ、これから始まる北極や南極での研究に胸を踊らせながら、自転車や引っ越しの荷物をいっぱいに詰めた車で高速道路を軽快に走っていった。

 ・・・・・ Northern Polar Lights ・・・・・

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現代の探検家《田邊優貴子》=089=

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◇◆ 旅に出る理由 = 3/4= ◇◆

 生きるということは一体何なのかわかるはずもないが、そこにつながる何かがあるような気がして、大学時代からバックパックをかついでさまざまな国へ旅に出ていたのだと思う。 この世界のすべてのものに意味や理由を求めていた私にとって、アラスカで感じた“理由なんてない”という感覚はとてつもない衝撃で、そのときの心の震えは“今自分が生きていること”そのものであり、“これから自分が生きていくこと”へつながるものでもあった。

感動や情熱を抑え込むことをやめてみよう、と決心することで、今の凍っている心をとかし、生きているという感覚を取り戻したかった。 そうしなければ、これから生きていけないような気がした。 そんなとき、さて、時間も何も気にせずに……と思った瞬間にふと出たのが、 “実家に自転車で帰ろうかな” という、なんてことのない考えだった。

普通、研究室で日々実験や研究に勤しんでいたこの頃ならば、絶対に無理なことだった。 だから、“自転車で帰ろうかな”と思い浮かんだとしても、“いや、今は休めないからできないな”と、大小さまざまな理由を挙げて気持ちを抑え、行動を起こさなかっただろう。

しかし、いつも通りここでこの気持ちを抑えてはいけない、色々な困難や面倒ごともあるが、そんなことを気にしていては動けない。 ただそんな思いで自分を激励し、力づけた。

今になってその頃の日記を読み返すと、まるで自分への果たし状のような気負った文面に気恥ずかしい気持ちになる。 しかし、その頃の私にとって、その自転車の旅はそれほど大きな意味を持つものだったのである。 かくして、私は自転車で旅に出ることにした。

何をするでもない、ただ自転車で京都から実家のある青森まで行く、それだけの旅。 2004年5月のよく晴れた朝、テントとシュラフ、ガスとコンロを積み込んで、私は自転車に乗り込んだ。 それは25歳、京都にはすでに初夏の薫りが漂っていた。

 朝早いうちに京都の自宅を出発し、すぐに私は汗だくになった。 いくつの峠を越えただろうか。 キラキラと輝く琵琶湖を横目に湖の西側を通り、すっかり暗くなった頃にやっと日本海が見えてきた。 敦賀の港に到着して、ひとまずその周辺で一日目の夜を迎えることにした。 寒くもなく暑くもない、風のない静かな夜。 目の前の日本海は不気味なほどに凪ぎ、ほんのり湿気を帯びた空気が漂っている。

今夜、私はどこに寝てもいい。 不安など何もなく、ただそれだけのことなのに、叫びだしたいほどの自由がそこにはあった。

それから福井、富山、石川を通り、新潟へと進んでいった。 がむしゃらに進む日もあれば、のんびり進む日もあり、ぶらりと町や村や山、自動車の通れないような海沿いの崩れかけたトンネルに寄り道する日もあった。

北上するにつれ、日に日に気温は低下し、京都を出発した頃には半袖だったのが、新潟の北部に差しかかる頃にはその上に長袖とレインジャケット、さらに山形に入ってからは中にフリースを着込んでいった。 その辺りから、道端に生えている草が急激に変わっていき、木々の緑も深い色から淡い色になっていった。 遠くに見える鳥海山の残雪が美しかった。 初夏の薫りなどどこにもない、東北はまだ春の真っ只中にあった。

国道101号

 天気のいい日は海岸にたたずみ、日本海に沈んでゆく夕陽をいろんな場所で見た。新潟では入り組んだいくつもの厳しい峠を越えた。 山形では夜中に、小さな村の中心部にある足湯で温まり、村の人と話をしながら疲れを癒した。 秋田ではあまりの強風に、ペダルを漕いでも漕いでも進まなかったり、テントが飛ばされそうになったこともあった。 どしゃ降りの雨に打たれながら走ることもあった。

そして京都を出発してから15日目、ついに秋田と青森の県境を示す看板が見えてきた。 快晴の空の下、国道101号線をゆっくりと走り、私はあまりの嬉しさに大声を上げながら県境を越えた。

荒々しい岩に日本海の波が打ちつけ、背丈の低い草が海岸沿いで揺れていた。 そんな人を寄せつけないような風景がそこからしばらく続いていった。 1時間に自動車が1台通るかどうかで、民家も滅多にない。 波の音と風の音がただ聞こえている。妙に静かで妙に不気味な雰囲気が漂っていた。 自分の生まれ育った青森という土地。 それなのに、あまりにも殺風景なその雰囲気は、まるで地の果てにでも来たかのようだった。

 ・・・・・ 国道282号:坂梨峠 ・・・・・

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現代の探検家《田邊優貴子》=088=

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◇◆ 旅に出る理由 = 2/4= ◇◆

 それから私は、毎日のようにワンダーレイクとマッキンリーが見渡せる小高い山の上に登って、その全貌が現れるのを待ち続けた。 が、マッキンリーの山頂まですべてに雲がかからない日はなく、必ず山全体のどこかが雲のなかに隠れていた。 そして、あっという間に2週間が過ぎ、私はアラスカを発って帰国しなければならない日になってしまった。

デナリ最後の日、ワンダーレイクの畔に座り込み、ピンクと紫に染まった透明な空と、真っ赤に染まった原野をただひたすら見続けた。 その光景は、いつまでたっても見飽きることはなかった。

陽がだいぶ傾きだしたころ、ツンドラの起伏の中から一頭のムースが現れ、湖に入っていった。 脚の途中まで水のなかに浸かり、ムースはゆったりと水を飲み始めた。 あんなにも大きなムースが、その原野の広がりのなかではあまりにも小さかった。 その姿は、斜めから差し込む光でキラキラと反射していた。 燃えるような赤がどこまでも続く世界の中で、小さな小さなムースがこれまでより一層輝いて見えた。 時折頬をかすめる冷たい風が、もうすぐ冬が来ることを告げていた。

このアラスカでの2週間、ずっと胸がザワザワし、ずっと心が震えていた。すべてが圧倒的だった。 音もなく静かな、けれど、体全体にほとばしるような衝撃を私は感じていた。 そこにはもう、理由や意味なんていうものは何もなかった。

京都に戻ってからの私は、研究室で悶々とした日々を送っていた。 自分の将来など何もわからないままにアラスカへ行った2年半前のことをよく思い起こすようになった。 アラスカで見た風景、アラスカで感じた“理由なんてものはない”という感覚、心が震えたできごと。 自分の胸のなかにあったそれらがどんどん大きくなっていくのを日々感じていた。

しかし、その気持ちが一体何なのかもわからず、どうしていいのかわからなかった。 その頃の私にはまだ、大学時代のバックパックの旅の数々や、アラスカで感じたことを、自分のなかに吸収して何かに換える土壌が出来上がっていなかったのかもしれない。 そのうち元の暮らしに戻り落ち着いていくのだろう。そう思っていた。

今はなんとかこの現状を受け入れるように、自分に言い聞かせようとした。 どんどん大きくなる、そのよくわからない思いを必死に抑えつけた。 が、抑えれば抑えるほど、さまざまなことに対して純粋に感動できなくなり、世界を面白くないもののように感じるようになっていった。 それは、私にとってまるで心が凍ってしまったかのような日々だった。

一年近く経った頃、私はある決心をした。 ──感動や情熱を抑え込むことをやめてみよう。 たったそれだけのことだが、私にとっては大きな決心だった。 そして、時間に追われている日々の生活のなか、それがいかに難しく大変なことかもよくわかっていた。 けれど、今、とにかくそうしなければいけない、それだけは確かなことだと思った。

 いつからか、私の頭の片隅には、常に生きることへの自問自答と、焦りに似た気持ちがあった。 それには、今はもう他界した母方の祖母のことが影響していた。

母の実家へ遊びにいくと、祖母はいつも座っているか寝ている状態だった。 自由に立って歩くこともできなければ、箸や茶碗を持つこともできない。 話す言葉は不明瞭であまり聞き取ることができない。 もちろん笑った表情や雰囲気でなんとなく何を言っているのかはわかるのだが。

物心ついた頃からそれがあたりまえの状態だった私にとって、特にその状況を不思議に思うことはなかった。 ただ、祖母は母が中学生の頃に“歩けなくなった”ということだけは話に聞いて知っていた。

ある時、いつだったかよく覚えていないのだが、それが遺伝性の病であることを知った。 ふとしたときに「あれって何の病気なの?」と母に尋ねたのだと思う。

病名は、脊髄小脳変性症。 運動神経にかかわる脊髄や小脳が変性する難病で、未だ根本的な治療法は見つかっていない。どうやら親から子へ、徐々に発病する確率は低下し、発症する年齢は上がり、症状は軽減する場合が多いらしい。

それを聞いたとき、“もしかしたら、私もそのうち歩けなくなるのかもしれない”という思いが湧いた。 とは言え、そのときはたいした絶望感もなく、さほど気にはしていなかった。 が、そのうち、叔父たちの症状が悪化し、いつしか母にもその症状があらわれはじめ、徐々に生きるということへの虚無感のようなものと焦りが私につきまとうようになっていた。

・・・・・ “Northern Lights Relaxation” ・・・・・

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現代の探検家《田邊優貴子》=087=

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◇◆ 旅に出る理由 = 1/4= ◇◆

  2003年8月、アンカレッジ空港に到着した私は、2年前とはまったく違う風景に驚いていた。 あんなにも白いベールで覆われ、夜が支配していた世界はどこにもない。 季節は夏。 町も人々も木々もすべて活気に満ちていた。

到着した翌日、アンカレッジのスーパーマーケットで食糧を買い込み、旅の準備をして、私はプリンスウィリアム湾へ向かった。 まずはカヤックで氷河の海を旅することにしていたのだ。 プリンスウィリアム湾に到着すると、あいにくの天候だった。

どんよりとした空、鏡のようにピタッと止まった海。 氷河で削られた急峻な山々が連なり、いくつもの氷河が海に落ち込んでいる。海の上にはいくつもの氷山が浮かび、低く垂れ込めた霧のような雲のようなベールが、まるで生き物のように姿を変えながら山と氷山の間を動いていく。  少し湿気を帯びた空気、不気味な静けさが漂っていた。

カヤックを海に浮かべ、ゆっくりと漕ぎ出した。 静寂のなか、聞こえるのはカヤックのオールで水を漕ぐ音だけ。 時折、カヤックの横にアザラシが顔を出し不思議そうについてくる。

徐々に奥へ進み、小さな氷山が無数に浮いている入り江に入っていった。 吸い込まれそうなほど青い色をした氷山と氷山の間を通ろうとしたそのとき、不意に上空から静けさを切る音が聞こえてきた。 バサーッ バサーーッ 大きくて黄色の鋭いくちばし、悠然と黒い翼を広げて羽ばたく、白い頭をした一羽の鳥。 その鳥は目の前の氷山の上にスッと降り立った。 翼を折りたたみ、すべてを見透かすような鋭い目でじっと私を見下ろしていた。

(ハクトウワシ……) 写真でしか見たことのないその鳥の名前を私は心の中でつぶやいた。 その氷山に近づくと、すぐにハクトウワシは飛び立ち、頭上を通り過ぎてどこかへ消えていった。

 カヤックの旅を終えた私は、デナリ国立公園に向かった。 そこにはツンドラの原野がどこまでも果てしなく広がり、いくつもの蛇行した川が流れている。 短い極北の夏はそろそろ終わりに近づき、もう紅葉が始まる、そんな季節だった。 私は、一瞬でその世界に心奪われてしまった。

気の遠くなるような広がりのなか、毎日原野を歩き、真っ赤に熟した甘いブルーベリーを食べた。 人の気配がまったくない川べりにたたずみ、キラキラと光りながら流れる水面(みなも)をただ眺めた。 小高い丘に登り、頭上に吹く夏の終わりの風を感じながら、眼下に広がるツンドラの絨毯といくつもの湖沼や川を一日中、見続けた。 22時を過ぎて太陽がやっと沈み、短い夜が来ると、たき火をして暖まった。

いつものようにふかふかのツンドラのカーペットを歩き、ワンダーレイクという湖の畔まで向かっていたある日、私は起伏の向こうに動く茶色いものを見つけた。 距離にして200メートルほど。  瞬時に緊張が走った。 恐らく親子だろう、2頭のグリズリーだった。

極北の原野で生を営む野生のグリズリーに初めて出会った。 あの小学生のときに観た映像のなかでも、ひときわ強烈な存在だった。 それ以来、ずっと会いたかった。とてもとても会いたかった。 2頭のグリズリーは、必死にブルーベリーを枝ごと貪っている。  冬眠に向けて脂肪を蓄えているのだろう、その体はとても大きくまるまるとしていた。

なんという存在感なのだろう。 彼らの姿をついに目前にすることができて、私のなかには緊張感とともに大きな感慨があった。

9月に入り、ある朝、テントから顔を出すと、そこから見える光景に私は目を疑った。  たったの一晩で、世界の色がガラリと変わっていたのだ。 赤い……真っ赤だ…………。

気温が低下し、急激に紅葉が進んでいたのである。  もはや昨日とはまったく違う。 ツンドラの原野は燃えるような赤い色になっていた。  またたく間に秋が訪れていた。
ふと原野のはるか向こうに目を向けると、上空に真っ白な小さい雲が光り輝いていた。 周囲の雲とはまったく色が違う。なぜあの部分だけ……不思議に思ってじっと見つめていると、私は信じられないことに気づいた。

その瞬間、体から頭に血がのぼるような感覚になった。 地平線よりはるか空高くに浮かんでいたその雲は、雲ではなく、なんとマッキンリーの一部だったのだ。 信じがたいほど高い位置にそれはあった。 しかも、山頂と他の部分は雲で覆われ、全貌が見えない。 つまり、見えているのは山頂の部分でさえもないのである。 私はもういても立ってもいられない、叫びだしたい気持ちだった。

 ・・・・・ 南極のオーロラ ・・・・・

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◇◆ 旅、旅、旅 = 3/3= ◇◆

  1月になり、ついにアラスカへ旅立つことにした。 バンクーバー空港からアンカレッジへ向かう飛行機の中、私はずっと窓ガラスに顔を押し付けて外の風景を見ていた。 眼下には、竜の背中のようなゴツゴツとしたロッキー山脈がどこまでも広がっている。

雲が徐々に増え、いつのまにか機体の真下はすっぽりと雲に覆われてしまった。 すると、突如、その雲を大きく突き抜けて赤く輝く山が見えてきた。 それこそが、かの有名な山、マッキンリーだった。太陽高度がどんどん低下し、雲はオレンジ色とピンク色に染め上げられた。

いつかテレビで観た映像と目の前の風景がオーバーラップし、私はどうしていいかわからない思いで見つめていた。 その後すぐ、飛行機はアンカレッジ空港に到着した。 アラスカに降り立つと、すぐにブルックス山脈の周辺を目指した。なんとか人口50人ほどの小さな村へたどり着き、その村にしばらく滞在させてもらえることになった。 ちょうど北極圏に入った辺りに位置している村だった。

果てしなく広がる雪原に、まばらに生える針葉樹林。 大きくそびえ立つブルックス山脈の峰々は分厚い雪に包み込まれている。 昼間になると辺りはピンク色の光で染まり、すぐに暗い夜がやって来る。 そして、夜になると気温はマイナス45℃まで下がる。 そこは一日のほとんどが夜に支配される世界だった。 ずっとずっと憧れ続けていた世界が、まさにそこにあった。

 私がその村を目ざした理由のひとつは、オーロラだった。 その村はオーロラ帯の真下の山麓に位置し、町からもはるか遠く離れ、周囲から隔てられている。絶対に素晴らしいオーロラが見える確率が高いと思っていた。 私は映像でしか観たことのないオーロラを、どうしても自分の目で見てみたかった。

それも、町の中ではなく、真っ暗な原野の中で、とびっきりのものを見たい……そう考えたのだ。

しかし、毎晩のように待ってもなかなか見ることができずに時間は過ぎていった。 ある快晴の夜、今日こそはと祈るような思いで私は空を見上げていた。 真っ暗闇の中、天上には無数の星。北極星はほぼ真上に瞬いている。 こんな快晴の日は今までになかった。 足下からどんどん体温が奪われ、痛いほどの冷たさが伝わってくる。 フェイスマスクを外して直接空気を吸うと、鼻と肺が痛い。 時折吹く小さな風がわずかに木々を揺らし、かすかな音が聞こえる。

やがてすっかり風は止み、木々が揺れる音も闇の中に消えていった。空 ににじんでいる星の光さえも凍りつき、今にも落ちてきそうな夜だった。 じっと見つめていた北極星の横に、ぼんやりとした細長い煙のような雲が現れ、やがて緑色の光となって揺らめき始めた。 それはゆらゆらと、ゆっくり形を変えながら上空いっぱいに広がっていった。

  「わあ───っ!」 初めて見たオーロラだった。 無意識に声が出て、寒さも忘れ、私は雪原の上に寝転んだ。 オーロラはみるみる輝きを増し、激しく形を変えながら一瞬にして全天を覆ってしまった。 オーロラの光で針葉樹林のシルエットが浮かび上がり、一瞬燃えるような強い光に変わると、周囲の山々が緑色に染まった。 不気味なほどの静寂の中、空から音が聞こえてくるような気がした。

私の鼓動は速くなり、もはや言葉も失っていた。気がつくと涙がにじんでいた。 この旅を、最後の長期バックパックの旅にするつもりだった。 学部を卒業すれば、もうこんな旅はできなくなるだろう。 だからこそ1年間休学をして、念願だった極北の地へ旅をすることに決めたのである。 大学の4年間、さまざまな旅をしてきたが、これほどまですべての物事に心が震え続けた旅はなかった。 最後の旅としては最高の締めくくりだった。

京都に戻った私はそのまま大学院に進学し、研究者を志し始めた。 しかし、研究室での毎日に追われながらも、心の片隅にはいつもどこかにあのアラスカでの日々があった。 冬の寒い朝、大学までの道を歩いているとき、実験室で作業をしているとき、研究室の窓から見える空が夕焼けのオレンジ色に染まったとき。 アラスカのほんのりピンク色に染め上げられた雪の世界と、オーロラがゆらゆら舞う夜空を想った。 それだけで世界が果てしなく無限に広がるように感じ、日に日に思いは募っていった。

2003年8月、私はアラスカ行きの飛行機に再び乗りこんでいた。 もはやじっとしていられない。 もう一度行きたい。 ただそれだけだった。 それは24歳の夏。 あれから2年が経っていた。

・・・・・ Night of the Northern Lights ・・・・・

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◇◆ 旅、旅、旅 = 2/3= ◇◆

 いまだにその光景は色あせることなく心に残っている。 あれから、アラスカ、カナダ、南極、さまざまな場所で満天の星空を目の当たりにした。 けれど、私の中で一番の星空は、やはり、あの夜の、チチカカ湖の島で見た星空だ。 南極や極北の地で見た星空にくらべれば本当のところ星々の明るさや数では劣るのかもしれないが、あの星空は私にとって大切なことを初めてはっきりと気づかせてくれた空なのだ。

大いなる自然へのひれ伏すような心の震え。 今となってはもう当たり前で、とても単純なことでしかない感覚なのだが、あのとき、あの星空によって、私という人間を知ることができたような気がするのだ。

ペルーから京都に戻ると、大学生としてのいつもの日常が待っていた。 あの旅のことを周りの友人たちにどんなふうに伝えていいのか、自分の中でどう吸収していいのか、いろいろ考えたのだが、無理だった。 結局、核心の部分は何も話すことができなかった。

 どこかに違和感を抱えながら大学のキャンパスを歩き、アルバイトでお金を貯め、時間を作ってはバックパックで旅をする。 そうやって時間が流れていった。 ペルーであの星空に出会ってからというもの、私の旅はもっぱら大きな自然を求めるものばかりになっていった。 大学4年になるころ、周りの友人たちは研究室に入り、卒業論文や就職活動に忙しそうだった。

そんな中、私は大学を一年間休学することに決めた。 将来どうしたいのか何も見えないのに、このまま流されるように進んではいけないような気がしていた。 何よりも、私にはどうしても行きたいところがあった。 いつか絶対に行きたい、そう思い続けながら機会を逸してなかなか行けずにいた場所。 そこへ行ったからといって何があるわけでもない、確固たる何かを求めていたわけでもない。しかし、今、行かなければならないことだけはわかっていた。

それが、アラスカだった。 小学生の頃、家でテレビを観ていた私は、突然流れ始めた映像に目が釘づけになった。 映っていたのは、夜空をゆらゆらと舞う神秘的なオーロラ、氷河とクジラの海、真っ白で険しい山々、ツンドラの原野、蛇行する川、そこに生きるグリズリー、カリブー、ドールシープ……。

 何の番組だったのかは覚えていない。 ただ、とにかくいても立ってもいられない気持ちになったのをよく覚えている。 それからというもの、近所の草むらで遊んでいても、フッと風が吹くだけで胸がワクワクした。 風が吹いて草がなびくと、その風をつかまえようと夢中で走って追いかけた。

“この風はどこからやって来たんだろう? もしかしたら遠いどこかの国、いや、もっともっと遠い地球の果てで生まれてやってきた風なのかもしれない。 あのオーロラが空で揺れているとき、もしかしたらまさにその瞬間、この風はそこで生まれたのかもしれない” そんなことを思うようになった。

とにかく、あの映像との出会いは、子どもながらに世界の広がりと時間の流れというものを初めて意識した出来事だったように思う。 大学を休学した私は、約8か月間ひたすらアルバイトをしてアラスカ行きの費用を貯めた。 その間も、旅の計画を練っては胸がザワザワするのを感じた。 はっきりとした行き先はなかなか定まらなかったが、出発時期だけはすぐに決まった。

冬がいい。 12月になったら出発しよう。そして、まずはカナダのロッキー山脈辺りに行って、それからアラスカのブルックス山脈の周辺に行こう。 2000年12月、ついに私は日本を出発した。 不安なことなど何ひとつなく、これから向かおうとしている世界にただ胸を躍らせていた。 とにかく出発すること、それだけだった。 21歳の冬、もうあと数日で22歳になろうとする頃だった。

まずカナダに入った私は、ロッキー山脈の麓の小さな町に滞在しながら旅をしてまわった。 気温はマイナス30℃まで下がり、すぐに夜が訪れる。 吐いた息ですぐに髪の毛が凍りつく、キンとした空気が漂っている世界だった。 山間部には、いくつもの氷河と湖があり、どの湖も分厚い氷で覆われていた。

ある静かな夜、湖の氷の上に立つと、その氷が驚くほどどこまでも透明なことに気づいた。 足下をのぞくと、湖底に沈んでいる倒木や枯れ葉……分厚い透明な氷の下にある水中の世界がはっきりと見えた。 月の光が足下で柔らかく反射し、まるで自分が水の上に浮かんでいるような錯覚に陥った。 天上には満月が上がっていた。

月夜の凍りついた静けさ。 山々は雪のベールで覆われ、湖の中の世界は氷づけにされている。 動くものは自分以外何ひとつない。 なんて美しいのだろう。 あまりにも神秘的で、時が止まったかのような夜だった。

]

・・・・・ 北極点への旅 ・・・・・

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【この企画は“Webナショジオ・連載/日本のエクスプローラー”に追記補講した】

Ӂ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= Ӂ

◇◆ 旅、旅、旅 = 1/3= ◇◆

 2010年11月も終わろうとしているある日のこと。 街路樹はすっかり落葉し、冷たい風が吹いていた。 もうすぐ冬がやってくる。立て続けに行った南極と北極での感覚がやっと抜け、東京の街の流れの速さにほんの少し慣れてきて、もとの暮らしに戻りつつある頃だった。

三鷹の自宅へ帰ると、郵便受けに一枚の絵葉書が入っていた。 見慣れない切手。 消印には、“Jalalabad”という文字。 消印の日付を見ると、2か月近くも前に投函されていた。 アフガニスタンからの葉書……名前を見るまでもなく、私の頭の中に送り主の顔がすぐに浮かんだ。 それは高校時代からの親友。 彼女は10か月ほど前に、仕事でしばらく滞在していたスーダンからアフガニスタンに移り、そのままアフガニスタンで働いていた。

ちょうど私が南極から日本への帰路についているさなか、砕氷船しらせの中で“アフガニスタンに行くことになった”というメールを受け取った。 南極から帰ったら、休暇をとってアフリカに会いに行く約束をしていたのだが、新しい行き先を見てさすがに会いに行くことはできないと知ったのだった。

出会った頃、高校生だった私たちは、お互いに見知らぬ世界への漠然とした憧れを抱いていた。 高校を卒業し、私は京都、彼女は東京へ移り、二人とも大学の講義などそっちのけで、それぞれバックパックを背負って世界中を旅して回った。 一人で旅をすることもあれば、現地のどこかで待ち合わせて二人で旅をともにすることもよくあった。 彼女はアフリカやアジアの世界へ飛び込んでいった。 それは民族や社会、人間そのものへの興味だったのだろう。 そして私はカナダ、アラスカ、北欧……極北の大いなる自然に強く惹かれていった。

 惹かれる対象は違っていたが、そのころから二人とも求めていたものは同じで、今だってもしかするとあまり変わらないのかもしれない。 それは、私たちの現実である日常と並行して流れている他の何か、自分たちの心や存在そのものを動かし揺さぶるような絶対的な何か、確かな何か。 そんな、自分が今生きている日々の暮らしの中では決して見えてこないものごとが存在する世界を求めていたのだろう。

私はアフガニスタンから2か月もかけて届いた葉書を読みながら、その親友とともに旅したペルーでのある夜のことを思い出していた。 それはもう15年前、私が19歳の夏だった。

私たちはその旅の中で、ペルーとボリビアにまたがったアンデス山脈の中部、標高3800メートルほどに位置するチチカカ湖に浮かぶ小さな島を訪れ、あるケチュア族の島民の家に泊まることになった。 その夜、家の主人から「今夜は向こうの丘でお祭りをやっているから、見に行ってみたらどうだい?」と促され、私たちはその祭りを見に行くことにした。

ロウソクを片手に部屋の扉を開け、外へ出たその瞬間、目の前に広がる光景に息を飲んだ。 月明かりもない真っ暗闇の中、天上に覆いかぶさる満天の星空がそこにあった。 それは、ここからそのまま別の星へ旅立ってゆけそうな近さで迫っていた。 言葉を失い、ただただ私はその場に立ち尽くした。 ふと隣を見ると、親友もまったく同じ状態で呆然と星空に見とれていた。

 島には電気は通っていない。 近くに大きな町もない。 そして標高は3800メートル。 しかもその日は新月だった。 恐ろしいほどの真っ暗闇の中、おぼつかない足取りで歩き出すと、前後左右上下の感覚がわからなくなりそうになる。 まるで宇宙に放り出されたような気分だった。

遠くの丘の上から、祭りの音、村人や子どもたちの声が聞こえてくる。 ──そうだ。 そう言えば、祭りを見に行くんだった。

「どうする? 行く?」   「いや、ここにいよう」 暗闇の中、私たちは地面に座り込み、その信じられないような星空を見続けることにした。

ただ無言で星空を眺めて、1〜2時間も経ったろうか。 親友が小さな声でボソッと話した。 「インカ帝国の遺跡とか、インカ道とか、ケチュア族の暮らしとか、古い町並みとか、いろいろすごいものを見てきたよね……でも、今回の旅の中で、何よりもこの星空に一番感動したよ」
私もまったく同じ感覚だった。 生まれてから19年間。 ほとんどの時間を青森で過ごし、高校卒業後に暮らしはじめた京都でごく普通の大学生だった私にとって、その旅で出会ったのは本当に真新しい出来事、風景ばかりで、毎日が驚きや感動の連続だった。 日々嬉しくて、面白くて、興奮して、ワクワクして、あっという間に3週間が過ぎていった。 それでも、今目の前に広がる、信じられないほど無数の星がまたたくこの空にかなうものは何もなかった。 こんなにも心が震えることはなかったのだ。

 ・・・・・ 北極圏の風景 ・・・・・

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