現代の探検家《河江肖剰》=002=

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Ӂ 新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰= Ӂ

◇◆ 第一回 ピラミッド発掘調査への道のり = 2/3= ◇◆

 あれは中学2年生か3年生の頃だった。 日曜日の夜にサッカーの練習から帰ってくると、リビングのテレビがついており、エジプトのピラミッドの前で、2人のフランス人が何かを熱心に話す姿が映っていた。

彼らは、「北面に位置する大ピラミッドの入口が中心になく、東側に7.2メートルほどずれているのは、とても奇妙なことだ」、 「内部の通路や部屋も大ピラミッドの中心軸の線上ではなく、すべて東側に位置しているが、それは左右対称を伝統とする古代エジプトの建築と合わない」、 「そのため、もしかすると西側には、これまで発見されていない未知の空間があるのではないか」……そんなことを熱く語っていた。

座ることも忘れて、立ったままそのテレビ番組を見ていたと思う。

この2人、ジャン=パトリス・ゴワダンとジル・ドルミオンというフランスの建築家は、その後、「オペラシオン・ケオプス」(「ケオプス作戦」の意。 ケオプスとは大ピラミッドを造ったクフ王のギリシア名)というプロジェクトを立ち上げ、エジプト政府から許可を得て、精密重力計を使ったピラミッドの密度調査を行った。  調査の結果、ピラミッド内部の「水平通路」の西側に密度の異常が見つかった。

そこで2人は、水平通路の壁にドリルで穴を開け、もしその奥に未知の空間があれば、ファイバースコープで内部を撮影しようと考えた。 しかし実際に穴を開けてみると、予想だにしないことが起きた。 穴から砂があふれ出てきたのである。

なぜ砂が出てきたのかはわからなかったが、ピラミッドは石材を積み重ねただけの建造物でないことはわかった。 しかし、遺跡に穴を開けて調査するという行為に世界中から非難が殺到し、彼らのプロジェクトは中止に追い込まれた……

このテレビ番組が、私がエジプトに興味を持ったきっかけだった。 そして、このWebナショジオの連載で追々書いていくが、不思議な縁から、四半世紀を過ぎたいま、この未知の空間と関わるピラミッド研究に取り組み始めている。

砕け散った夢とロマン

高校時代は勉強もそっちのけで武道三昧だった。 大学受験に失敗したとき習っていた古武道の師匠から、なんのために大学に行きたいのか聞かれた。 「古代エジプトの歴史が好きなので、できれば、そのことを勉強したい」と答えると、ではまず、エジプトに行ってくればいいと助言された。

師匠は半ば冗談で言ったのかもしれないが、私は「なるほど!」と単純に納得し、その日からエジプト行きの準備を始めた。 当時を振り返ると、最も有り難かったことは、両親や友人を含め、誰一人としてエジプト行きに反対しなかったことである。

1年ほどかけてお金を貯め、大阪の伊丹空港からシンガポール航空で、エジプトの首都カイロに向かった。 機内では、不安を感じながらも、エキゾチックな砂漠の冒険が始まることを夢見ていた。 しかし到着すると、そのような幻想はすぐに砕け散った。

カイロは東京以上に人が多いという印象を受けた。 砂ぼこりの舞う町の雑踏は車のクラクションと排ガスに満ちあふれ、半分壊れたようなタクシーに乗ったり、店でものを買ったりするたびに交渉しなければならず、とにかく疲れる町だった。逃げるようにピラミッドがあるギザの遺跡に向かったが、そこも都心部以上に騒がしい場所だった。
 ピラミッドは、砂漠の真ん中に孤立して立っているのではなく、町のすぐそばに立っている。 実際、泊まっていた安宿から車でわずか30分ほどの距離にあり、毎日、数万人の観光客と、何百人もの物売り、むちを持った厳めしい顔のツーリスト・ポリスがひしめく、喧噪に満ちた世界有数の観光地だったのである。

日本で想像していたことと、まったく違う世界に戸惑う日々だったが、帰ろうとは思わなかった。 とにかく、まずここで生活を始めたかった。 遺跡のガイドの仕事があると聞いたため、日本人を専門とする現地の旅行会社バヒ・トラベル・エージェンシーに連絡してみた。 すると、アラビア語どころか、英語もおぼつかない10代の若造であるにもかかわらず、雇ってもらえることになった。

ギーザ (Giza/Gizeh)は、ナイル川中流の西岸に位置する。 首都・カイロからみてナイル川を挟んでおよそ20km西南にあり、現在では拡大したカイロの都市圏に内包されているが、行政上はカイロから独立したギーザ県の県都である。 人口はおよそ200万人。

古代エジプト以来の町であり、クフ王のピラミッドをはじめとするギザの三大ピラミッドと、ギザの大スフィンクスがある遺跡の町として世界的に有名である。 その一帯からダハシュールにかけてのピラミッド地帯は、1979年に「メンフィスとその墓地遺跡」として世界遺産に登録された。

ギーザの台地がエジプトの人々によって着目されたのはきわめて古く、エジプト第四王朝の諸王によって三大ピラミッドや寺院群が築かれた。 7世紀にエジプトを征服したアラブ人が現在のカイロの地にエジプトの首都を置いて以来、ギーザは首都近郊の都市として歴史に登場する。 エジプトの外港であるアレクサンドリアから陸路でカイロに向かうとナイル川の西岸を進むことになり、交通路はギーザからナイル川の中洲を経てカイロに至った。

このため時代によってはギーザからカイロにかけてはナイル川を渡る石橋がかけられるほど緊密に結ばれ、首都近郊の都市として有力者の邸宅が置かれることもたびたびであった。 軍事的にもギーザはカイロを巡る戦争における重要な拠点であり、10世紀のファーティマ朝や18世紀末のナポレオンなどナイル川の西岸からカイロに迫った勢力は、まずギーザを制圧してからカイロを征服している。

19世紀のムハンマド・アリー朝期にはギーザのピラミッドとスフィンクスがヨーロッパからやってくる外国人が必ず訪れる名所となり、カイロとギーザを結ぶ近代的な大通りも建設された。 20世紀にはカイロの都市化とともにギーザはその郊外地区としてカイロにいっそう結びつき、人口が爆発的に増大した。 またギーザのピラミッド地区は観光地化され、エジプトを代表する観光地として世界中から観光客を集めている。

・・・・・ ピラミッドはこうして造られた :  2/5 ・・・・・

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現代の探検家《河江肖剰》=001=

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Ӂ 新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰= Ӂ

◇◆ 第一回 ピラミッド発掘調査への道のり = 1/3= ◇◆

河江 肖剰(かわえ ゆきのり、1972年9月26日- )は、日本のエジプト考古学者、博士(歴史学)。 名古屋大学大学院文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター共同研究員。 米国ナショナルジオグラフィック協会のエマージング・エクスプローラー。 米国古代エジプト調査協会のメンバー。 専門は、エジプト学、ピラミッド研究、3D計測、住居考古学。・・・・とウイキペディアは記す。

来歴としての紹介文は、兵庫県宝塚市出身。 1992年から2008年までエジプトのカイロ在住。 1992年、エジプトのランド・オペレーターであるバヒ・トラベル・エージェンシーでガイド/通訳として働く。 そして、2003年、カイロ・アメリカン大学人文社会科学エジプト学卒業。

2004年からピラミッド研究の第一人者であるアメリカ人考古学者マーク・レーナー率いる米国古代エジプト調査協会の調査プロジェクトに参加。区画責任者として、ギザのピラミッド群を造営した人々の居住地であるヘイト・エル=グラブ遺跡(通称「ピラミッド・タウン」)の発掘に従事。

2006年、米国古代エジプト調査協会の日米合同調査によるケントカウエス女王墓の3D計測調査を担当。 2007年、アメリカ・エジプト調査センターによるルクソール東岸修復保全プロジェクトに考古写真の専門家として参加。 同年、米国古代エジプト調査協会によるルクソール緊急考古学調査に参加。

2008年、エジプト考古最高評議会事務総長ザヒ・ハワスの要請を受け、エジプト最古のピラミッドであるサッカラの階段ピラミッドの3D計測プロジェクトにフィールド・ディレクターとして従事。

2012年、論文”3D Data of the Tomb of Khentkawes [I] and its interpretation”(『ケントカウエス一世女王墓の3Dデータとその解釈』)で、名古屋大学大学院文学研究科人文学専攻博士課程後期課程修了、博士号(歴史学)取得。 2012年から15年まで日本学術振興会特別研究員として、メンフィス地区の3D計測調査に従事。

2013年からギザ3D調査(Giza 3D Survey)プロジェクトを立ち上げ、TBS「世界ふしぎ発見」の協力を得て、2度に渡りクス王の大ピラミッドに登頂。 大ピラミッドの『頂上部』と『くぼみ』と『洞穴』の3D調査を完遂させた。

2015年からチェコ・エジプト学研究所と共同で、アブシールのピラミッド群の3D計測調査を開始。 同年には、ナショナルジオグラフィック日本語版から、創刊20周年を記念して企画された「日本のエクスプローラー」の一人として選ばれ、翌年の2016年には、米国ナショナルジオグラフィック協会によって、先進的なビジョンをもった気鋭の科学者や探検家の一人として「新世代の探求者(エマージング・エクスプローラー、Emerging Explorer)」に選出された。

2017年には、再び、TBS「世界ふしぎ発見」の協力を得て、ドローンを用いた世界初のギザの三大ダイピラミッドの計測に成功している。 先端技術や数理計画を導入するといった異分野融合的な考古学調査を行いつつ、さらに民間企業やメディアともスクラムを組むという新しいスタイルで、古代エジプトの研究を推進している。

「そんなに興味があるなら行ってくれば」と言われて、エジプトへ飛んだのは19歳のときだった。 それから現地の大学を卒業し、世界的な考古学者のチームに加わって、3大ピラミッドで知られるギザで発掘調査に明け暮れた。 情熱と行動力、そして、客観的なデータを積み重ねる科学者の視点をあわせもった河江肖剰さんは、いま注目のエジプト考古学者だ。 3D計測などの先端技術を取り入れる一方で、巨大な建造物を造った人々の営みにも思いを馳せ、「人間くさい」ピラミッド像を伝えてくれる。

・・・・・ ピラミッドはこうして造られた : 1/5 ・・・・・

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現代の探検家《田邊優貴子》=102=

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Ӂ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= Ӂ

◇◆ 人間の時間と地球の時間-最終章- = 3/3= ◇◆

  生まれたての地球に出会ったときに感じた悠久の時間──それはめぐりめぐって、より一層、その“瞬間”を際立たせ、煌めくものにしていた。 奇跡だったのかもしれない。 地球に流れるはるかな時間、そして、人間が生きることができる時間と、その中で起きたほんの一瞬の出来事。 そんな出来事に、この世で何度めぐり会えるのか。 あの光景はずっとわたしの胸に焼きついたまま、いつまでも消えないだろう。

深夜になると、暗い夜の闇が訪れた。 もうすぐ長い夜が支配する季節がやって来る。 冷え切った空気の中、シェッゲの肩にかかった夜の月が透明に輝いていた。

翌朝、予定通りきざはし浜をあとにしたわたしたちは、昭和基地を経由したのちに、しらせへと戻った。 2月14日、観測隊員を全員載せたしらせは、とうとう北上を開始した。 1週間後には氷海の縁に達した。 氷縁は、比較的たくさんの動物に出会うことができるエリアだ。 氷縁の内側では、アデリーペンギンの群れの他に何組ものコウテイペンギンの群れ、外側ではザトウクジラの群れと遭遇した。

アデリーペンギンやザトウクジラは、冬が来る前にそろそろ北へ向けて旅立つころだろうか。 そして、コウテイペンギンはこれから過酷な繁殖期に向けて南へ旅をするのだろうか。

氷海を脱出したしらせは針路を東にとった。 まだ南緯60度ではあるが、海が氷に閉ざされていない風景は、急に南極から遠く離れてしまったような気分にさせられる。

東進中のある夜、わたしの船室の電話が鳴った。 「オーロラ・オーストラリスから無線で呼び出しが来ています。 至急、艦橋(ブリッジ)へ」

オーロラ・オーストラリス号──それはオーストラリアの南極観測船のことである。 近くを航行中らしいという噂は聞いていた。

帽子をかぶり、わたしは急いでブリッジへ向かった。 ブリッジに入ると真っ暗闇だった。 夜の航海中は船外部の監視の妨げにならないよう、灯りを消しているのだ。 すぐには暗闇に目が慣れず、ブリッジで任務遂行中の人とぶつかりそうになる。

  「こちらです」 手すりを伝いながら、声のするほうへ慎重に歩いた。 少しずつ目が慣れ、無線担当者の姿がおぼろげに見えてきた。 無線機を手にとり、呼びかけた。 「オーロラ・オーストラリス、オーロラ・オーストラリス、こちらしらせ。 感度いかが?」

「しらせ、しらせ、こちらオーロラ・オーストラリス。 感度良好、どうぞ」 ブリッジに上がってくる前から、相手が誰かはもうわかっていた。 無線機の向こうから聞こえてくる声の主は、大学院博士課程時代の研究室の同期だった。 彼はペンギンの研究者で、オーストラリア南極局で研究していた。 この夏、オーストラリアの南極基地へ調査に出かけ、ちょうどオーストラリア基地からタスマニアへ向けての帰途のようだった。

目を凝らしても、外は深い闇。 まるでオーロラ・オーストラリス号が見えるような気配はない。 しかし、無線が届くのはほんの35マイル圏内だという。 この地球の果ての広大な南極海で、同じ瞬間にばったり出くわす……なんて奇跡的なのだろう。

わたしたちは束の間の交信を楽しんだ。 お互いの野外調査の話、5か月ぶりに日本語を話すということ、今日の午後に双眼鏡でしらせが見えたこと、おかげで嬉しくて無線交信したい気持ちを抑えられず呼び出してしまったこと。

 月のない真っ暗闇の夜、懐かしい声なのに実体の見えない話し相手、穏やかで静かな南極海……まるで時空旅行でもしているような気分だった。 世界はぼんやりとした輪郭でしかなかった。 この2か月間、白夜の世界で暮らしてきたわたしにとって、闇夜は少し恐ろしく、けれどその反面、忙しく騒がしかった心に落ち着きが戻ってきたことも感じていた。

不思議な、不思議な夜だった。 闇夜の交信が終わり、ブリッジの外へ出ると、天上には無数の星が瞬いていた。 ひときわ明るく輝く白い星“カノープス”……一万数千年もすれば南極星になるという。 それは、気の遠くなるような、つかみどころのない時間ではないような気がした。 南極で出会ったいくつもの風景がわたしの体の中に同化し、いつの間にか、はるかな時の流れが漠然としたものではなくなっていた。

刻々と風が強さを増してきた。 進行方向の空に、ぼんやりと青白い光が現れ、一本の狼煙のように上がっていった。 やがて明るくなり、ゆっくりと生き物のように形を変え始め、放射状に広がった。

わたしはその場に寝転び、深呼吸するように南極海に漂う冷たい空気と匂いを体の中に残そうとした。 オーロラはしばらくゆらゆらと揺れながら、南極海の上空を悠然と舞っていた。 オーロラの背後には、空高く、南十字星が凛然と光り輝いていた。

極地ー03

・・・・・ Night of the Northern Lights ・・・・・

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現代の探検家《田邊優貴子》=101=

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Ӂ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= Ӂ

◇◆ 人間の時間と地球の時間-最終章- = 2/3= ◇◆

 コケの岬で試料の採集をし終えてから、わたしたちはベースキャンプに向けて戻り出した。 往路とは違う、氷河沿いのルートを通ることにした。 比較的平坦な砂地がメインだった往路とはまったく異なり、一枚岩でできたいくつもの小さな山を越えるルートだ。 アップダウンはあるが、ベースキャンプまでは往路とほぼ同じ2時間ほどで到着する。

いくつの山を越えただろう。ちょうど進行方向、南東の空から低くなった太陽が真っ直ぐに差し込んでくる。 サングラスをしていても目が眩みそうだ。 左手には大陸からつながる氷河の末端が迫り、背後を顧みると、さっきまでいた岬の向こうにそびえ立つダイナミックな氷河がまだ見えている。

越えてきた山々はどこもかしこも、ヤスリをかけたように滑らかな一枚岩でできており、よく見ると、地面には “氷河擦痕”が無数にあった。何万年、何百万年と、氷河期と温暖期が訪れるたびに、氷河が前進と後退を繰り返してできた地球の傷跡。 まだ風化が進んでいない滑らかな岩肌は、つい最近までここが氷河で覆われていたことを物語っている。 こんなにも硬い岩を削るほどの氷河の凄まじい力、そして、この傷跡をつくり出した気の遠くなるような時間の流れをわたしは感じていた。

徐々に高度が低くなる太陽光線が、すべてのものに深く陰影をつくり出した。 同時に、丸みを帯びツルンとした岩々の表面が反射し輝きはじめた。 世界が黄金色に煌めいていた。 まるでツルツルの赤ん坊の肌のようだった。

その瞬間、わたしの内側で音もなく静かに、何かが爆発したような気がした。涙がこみ上げてきた。

“あぁ、そうか……” わたしが今見ているのは、わたしが今この足で立っているのは、生まれたての地球の姿だった。

数千年後、数万年後、もっともっと先、ここはどうなっているのだろう。緑に覆われているのだろうか。 つやつやと煌めく岩肌をしっかりと踏みしめながら、ベースキャンプへと戻っていった。

その夜、ピンク色とオレンジ色に染め上げられた空と氷河を見ながら、みなで地面にすわって外で夕食をとった。 眠りにつく直前、テントの入り口を開け、暗がりの中で目の前に迫る氷河をしばらく眺めた。 ぼんやりとした空が幻想的な夜だった。

翌日、きざはし浜に帰ることになった。 当初2泊3日の予定だったが、“天候が急変しそうなので、撤収するように“という連絡が昭和基地から朝の時点で入ってきたのだ。 空は時折青い部分が見えるが、ほとんどが雲で覆われ、雪がちらつき出しそうだった。なんとか天候は持ちこたえ、昼過ぎにやって来たAussie−1に乗り込み、わたしたちは無事にきざはし浜に帰った。

 雪が降り出したのはその翌朝からだった。

スカーレンからきざはし浜に戻り3日経った、2010年2月4日。 とうとう、きざはし浜最後の夜だった。

その日、1か月前に持ってきた物資を全員でパッキングし直し、小屋の中を片づけ、なんとか撤収の準備を終えた。もういつでも帰ることができる状態になると、なんだか急にさびしい気持ちになってきた。 この夏、やれることはすべてやったのだが、そうは言ってもやはり南極を離れるときはいつも名残惜しくなる。 撤収のために食糧もほとんどパッキングしてしまったので、その夜はレトルトカレーやレトルトビーフシチューなど、それぞれ思い思いのレトルト食品を夕食にした。

夕食後、小屋の中に置いてある宿帳に、 ──次にここへ戻って来るのはいつだろう。 数年後、戻って来ることを願って。

それではまた。 と書き残した。 ふと、窓から外をのぞくと、シェッゲが赤く染まっていた。

慌ててダウンを羽織って外に出ると、ほのかに風が吹いていた。 わたしは海岸に立って、どんどん赤くなるシェッゲをただ黙って見ていた。 ふと、風がピタリと止まり、海が群青色の鏡になった。 そこにはもう一つのシェッゲがくっきりと写し出された。

最後の残照が一瞬、シェッゲを燃えるような赤に変えると、じわじわと夜の闇が押し寄せた。 シェッゲの背後から丸い月がゆっくりと姿を現し、地平線の近くだけに青い地球影が浮かび上がった。 同時に、急激に気温が低下し、海はまたたく間に凍りついていった。幻想的だった海の鏡は消えてしまった。

閃光のような出来事だった。 今年、もし日照が少なければ、海岸沿いの海氷が融けることはなかっただろう。 ほんの数日前ならば、シェッゲはこんなにも赤く燃える色にはならなかっただろう。 もし風が止まなければ、もしほんの数分くらい海が凍るのが早ければ、海は鏡にならなかっただろう。

来年だって、50年後だって、わたしが生きているあいだには、もうあんな光景に出会えることはないのかもしれない。 あの瞬間、すべての偶然が重なって、確かに、わたしはあの光景に出会った。

・・・・・ Yellowknife Aurora ・・・・・

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Ӂ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= Ӂ

◇◆ 人間の時間と地球の時間-最終章- = 1/3= ◇◆

「白い谷にはね、青い石が眠ってるんだよ」 わたしは秘密の地図を広げながら、白い谷の場所を指差してみせた。

2010年1月30日、午前9時30分。きざはし浜小屋の撤収を5日後に控え、スカルブスネス露岩域からさらに30キロメートル南に離れたスカーレンという露岩域にわたしたちは来ていた。

2泊3日の野外調査の予定だった。 必要最小限の調査用具、テント、シュラフ、食糧。 できる限り荷物を少なくして、オーストラリア人パイロットのピーターが操縦する小型ヘリコプターでやってきた。 この年、しらせには、自衛隊の大型ヘリコプターCH101が2機の他に、観測隊がオーストラリアからチャーターした5人乗りの小型ヘリコプター、通称“Aussie−1”が搭載されていた。

あまり物資を運ぶことができないAussie−1だが、その分とても小回りが効き、徒歩で行けないようなエリアへ調査に出かけるのには素晴らしく適していた。 CH101では着陸できないような恐ろしく狭い地点にも着陸することができ、わたしはいつも驚かされた。

ピーターに別れを告げ、すぐさま3人分のテントを設営した。  「みんな、久しぶりの1人暮らしだね」   「はは。うん、そうだね」  笑いながら、テントの中にマットを敷き、自分の荷物を入れ、シュラフを広げた。 いつもは小屋の中で3人暮らし。 けれど、今日は贅沢に1人につきテント1張りだった。

1人の空間で寝るのは45日ぶりくらいだろうか。 と言っても、みなすぐそばにテントを張っているのだが。

短い期間での調査だったので、すぐに出かける準備をした。 ここスカーレンに来たことがあるのはわたし1人だけ。 ポケットから1枚の秘密の地図を取り出し、ここのエリアの湖や植生について一通り説明し、おもむろにある一点を指差した。 そこが、青い石の眠る白い谷がある場所だった。

 青い石———それはサファイアのことだ。

南極ではいたるところに宝石がある。 と言ってももちろん原石そのままの状態で、とりわけよく見つかるのがガーネットだ。 この赤い石は本当にもうどこにでもあり、とある海岸はガーネットの砂で覆われて赤い色をしているほどである。そして、ここスカーレンの一角には白い大理石でできた谷があって、そこにはサファイアの原石がたくさん見つかるのだ。 2年前に来たときにわたしは自分の地形図上に“白い谷”と書き込み、まるで宝の地図のように思わせぶりに、そのポイントに星印をしるした。

だから、ポケットから出した秘密の地図は、秘密でもなんでもないのだ。 普段から使っている国土地理院発行のスカーレンエリアの地形図を、使いやすいようにA4サイズに印刷し、必要な情報を自分で書き込んであるだけものである。 しかも当たり前のことだが、わたしを含め、みな、青い石なんかよりも先に湖の調査をして、コケ群落がある岬に行こう、という意見で一致した。

わたしたちはいつものように湖の調査を手際よく終え、正午過ぎにはコケ群落がある岬のほうへ向かった。 その岬はベースキャンプから歩いて2時間ほどの距離にある。

この1か月間歩き慣れたスカルブスネスとはまた違った風景がスカーレンには広がっていた。 湖から平坦な砂地をずっと歩いていくと、向こう側に大きな氷河がいくつも見えてきた。 いくつかの小高い丘を越えていくうちに、どんどん氷河が大きく迫ってくる。丘を越え、氷河に近づくたびにわたしの胸は大きく高鳴っていった。 ついに海岸線が見える最後の丘を登り切った。 視界を遮るものは何もなく、急激に海へと落ち込んでいる切り立ったいくつもの氷河が凄まじい迫力で目に飛び込んできた。 一気に心が震え、頭の先まで閃光のようなものが突き抜けた気がした。

「わぁ────!!!」  抑えきれず、わたしたちは声に出して叫んでいた。

青く澄んだ空が海に映り込み、太陽が氷河の亀裂に青く陰影を落としている。 その光の差し方と色、360度のパノラマ。 とてつもなく壮大な景観だった。

海岸線と平行したまま丘の上を歩いていくと、海岸沿いに緑色のコケ群落が見えてきた。 砂浜にコケのカーペット、そして背後には無数の氷塊が浮く海とダイナミックな氷河。

なんとも不可思議だった。 けれど、その不釣り合いな光景こそ、南極が持っている一面なのだろう。わたしにとって、生まれて暮らしてきた場所で出会ったことがわたしの世界であり、常識であるだけなのだ。 南極で目にするものの多くを不可思議に感じるのも無理はない。

わたしの常識をはるかに超えているのだから。 そしてそれは、いつも何かを語りかけてくる。 わたしの心を震わせ、好奇心を駆り立て、想像力を解き放ってくれる。

・・・・・ Northern Polar Lights – 2 Hours ・・・・・

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現代の探検家《田邊優貴子》=099=

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Ӂ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= Ӂ

◇◆ 生と死の風景 = 3/3= ◇◆

 2日後の夕方のことだった。

その日も大きな唸り声が小屋の外で轟いていた。 またあの親子池の流出口のほうからだった。 駆けつけると、いつもの幼いアザラシは砂地を這い回って、騒々しく鳴いていた。 よく見ると、少し体長が大きく、というよりも長くなってはいるのだが、体は痩せ細って、肋骨が浮かび上がっている。

アザラシは海には向かわずそのまま湖の中に入り込み、泳ぎ出した。 途中途中で水面に顔を出しては、何度も何度も叫ぶように鳴き続け、海とはまるで真逆のほうに向かって進んでいく。

「そっちじゃないよ!」  幾度か話しかけてはみるが、どんどん海から離れていく。 途中の湖岸に上陸し、パニックを起こしたように鳴きながらさまざまな方向へ進もうとするが、角ばった石でゴロゴロとした陸地を痩せ細った体を引きずっている姿がとても痛々しい。 腹部にはいくつもの傷がついている。

恐らく、長時間にわたって、そしてこれまで何度も必死に陸の上を動き回っているに違いなかった。

しばらくすると、鳴き疲れ、動き疲れたのか、憔悴し切った様子でその場で目をつぶって力なく横たわった。 しかし、少しすると動き出し、また湖のほうへ戻ってしまった。

アザラシの進む方向へ、わたしも湖岸を走りながら追いかけていった。 心の中で“海のほうへ戻ってくれ……”と願いながら。

しかし、アザラシはそのまま湖の向こうへ泳いでゆき、海からはすっかり遠く離れてしまった。 あそこから戻ってくるのはもはやとても難しいだろう。

アザラシの行方を追うのはもうやめよう……わたしは歩みを止め、遠く離れていくアザラシの姿を目に焼きつけ、小さくなる声が消えるまでただ黙って湖の畔で立ち尽くしていた。

わたしはただ傍観していることしかできない。 手出しをすることは決して許されることではない。 わたしたちは境界を越えてはならない。 それは目に見えない掟のようなものだ。

切ない気持ちでいっぱいだった。 当たり前の自然がそこにあった。 その時、椿池の畔で見つけた、人知れず横たわる幼いアザラシのミイラと目の前で繰り広げられている光景とがオーバーラップした。

自然はいつも脆く、そして力強い。 その脆さに煌めきを感じ、わたしはいつも心を揺さぶられる。 それは、日常の暮らしの中で忘れている、生きていることの根源的な悲しさと、いとおしさを問いかけてくるからなのかもしれない。

誰かの生命(いのち)が無くなって、誰かの生命になっていく。 生き物は、生まれたときからすでに悲しみを背負っているのかもしれない。 生きるということは悲しいものなのかもしれない。 けれど、それが生きることなのだろう。生き物はそうやって長い間、生命を紡いできた。

さまざまな生き物が絶え間なく生まれては消え、この星にはこんなにもたくさんの、こんなにもすてきな生態系が出来上がってきた。

 この夏、何度も迷い込んできたあの幼いアザラシと、鮮やかな緑のコケに囲まれた幼いアザラシのミイラは、そっと、遥かなる生命の物語を語りかけてきた。

それから2日間、雪が降り続けた。 すべてをリセットするかのように、雪は南極の大地を真っ白に覆い尽くしていった。 雪が止んだ朝、劇的に季節がめぐっていた。 つい数日前まで見ていた世界はもうどこにもない。 空にはどこまでも透明な青が広がっていた。 宇宙まで見えてしまいそうな青だった。

この日、ついにこの夏最後の調査に出かけた。 真っ白な、サラサラとした雪の上を長靴でしっかりと踏みしめて歩いてゆく。自分の歩いた後ろに道ができていく。 サングラスをはずすと、澄んだ太陽光線の照り返しが眩し過ぎて目を開いていることができない。

親子池の脇を通り、長池の方向へ進んでいくと、いつもの斜面の手前で、わたしが通っていたのとは対岸側へと続く小さな道を見つけた。 10センチメートル弱の小さな三つ又の足跡が無数についている。アデリーペンギンの歩いた跡だった。 よく見ると、歩くたびに揺れる尻尾がつけたジグザグの線も描かれている。

それはきざはし浜とは逆方向にある海岸から一直線につながっていた。 早朝から餌採りにやって来ているのだろう、そろそろヒナも換羽を終えて旅立つころだろうか……なんとなく微笑ましくその足跡を辿っていくと、途中でそのペンギン道と交差する不思議な道にぶつかった。 太い一本の筋と、その筋の両側に短い斜線が等間隔で描かれていた。

アザラシの通った跡だった。 その形跡を目で追ってみると、クネクネとさまざまな方向へ行ってはまた戻り、いくつもの蛇行した道がその辺一帯に残されていた。 わたしはアザラシの道を辿って歩いた。

ずいぶんと海から離れた斜面へと登っていった。 そして、小高い丘の中腹あたりでいつしか沢のなかに迷い込み、道はそこで途絶えていた。

丘の上から親子池のほうを見下ろすと、わたしがそれまで見たことのない真っ白なきざはし浜の風景があった。

澄んだ空気から、懐かしい冬の匂いがした。

あと2日。 南極から旅立たなければならない日がすぐ目の前に迫っていた。

・・・・・ むき出しの地球南極大陸(3) ・・・・・

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現代の探検家《田邊優貴子》=098=

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○

【この企画は“Webナショジオ・連載/日本のエクスプローラー”に追記補講した】

Ӂ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= Ӂ

◇◆ 生と死の風景 = 2/3= ◇◆

 静寂の中、亡骸を取り囲むように、コケや地衣類など、小さな生命が力強く息づいていた。 アザラシは栄養となって、いつの日か自分の姿がすっかり消えるまで、この小さな生命を大きく育てあげるのかもしれない。 生き物の気配など何もない荒涼とした世界で、まるでそれは、小さなアザラシのために誰かが作ったお墓のようだった。

その、あまりにもわかりやすい生と死の風景に、わたしはしばらくその場で呆然と立ち尽くした。 ゆっくりとゆっくりと、生命は廻っている。

それから数日経ったある日のことだった。 その日の調査も終わり、夕食の用意のかたわら、わたしはきざはし浜小屋の外へ出ていた。 風のない静かな海は鏡のようになり、ちょうどいい光の加減が当たった岩壁“シェッゲ”が海に映し出され、空には紫色の半月が昇っていた。

プシュ────ッ。 急にすぐ近くから聞き慣れない音が聞こえた。 とっさに音がする辺りを見ると、そこにはちょうど頭だけを海面から出し、鼻をプクッと広げて呼吸をしている一頭のアザラシの姿があった。 目が合った瞬間、アザラシはまた海の中に潜り込んでしまった。

わたしも突然の訪問者に驚き、かがんで水中に目を凝らすと、思ってもみないことに、アザラシはなんとすぐ目の前に顔を出したのである。 お互いの顔が、距離にしておよそ30cm。 真ん丸の潤んだ大きな黒い目が、なんの警戒心もなく、好奇心旺盛にこちらを真っ直ぐに見つめている。 一瞬、時が止まったような気がした。細長いヒゲが前後に小さく動くのさえもはっきりと認識できる。

それにしても、顔つきがなんだか幼い。 浮かび上がってきた体を見て、その感覚が間違いでないことがわかった。 体長はピンと伸びている状態で1メートルちょっとくらいだろうか。 きっと、今年産まれたばかりの、離乳して間もない赤ちゃんだろう。 顔だけでなく、体全体もまだ丸みを帯びた可愛らしい形をしている。

水中に潜り、ウロウロと少し泳いでは顔を出し、わたしが話しかけるとまたこちらにス──ッと寄ってくる。 こんな行動をしばらく繰り返し、いつの間にかどこかへ行ってしまった。

  “何か探しているのかなぁ……” そんなことを思いもしたが、一日の終わりにアザラシの赤ちゃんにあんなにも至近距離で出会えたことに心が弾み、その日はなんとなく幸せな気分で眠りについた。

それから2週間くらい経った頃だった。 夕方になって外に出ていると、不意にどこからか大きな唸り声のような重低音が響き渡ってきた。

「ヴォ──ッヴォ────ッ」 耳を澄まして音のする方向を探すと、小屋のすぐそばにある湖“親子池”から海へ水が流れ出る辺りからだった。 小屋の周囲を取り巻く岩壁にその音は反響し、繰り返し、繰り返し聞こえてくる。明らかにただ事ではない声だった。

声のするほうへ走り、少し小高くなっている岩を越えると、海岸の砂地にニョロニョロと動く灰色のものが見えた。 近寄るにつれ、正体が分かった。2週間前に現れた、あのアザラシの赤ちゃんだったのだ。 少しパニックになった様子で、ひたすら大きな声で鳴き続け、周囲をバタバタと動き回っている。 声も枯れそうだった。 鳴き疲れ、動き疲れたのか、アザラシはその場で眠り始めた。

きっと、母親を捜しているのだろう……しばらくのあいだその様子を見つめ、なんとか海に戻ってくれることを祈りながら、わたしは小屋へ戻った。 翌朝、少し心配になって、昨夜アザラシが眠っていた場所まで行ってみたが、そこにはもうアザラシの姿は消えてなくなっていた。

“よかった…………きっと海に帰っていったんだ”  胸を撫で下ろし、いつものように湖の調査に出かけた。

しかし、その10日後、あのアザラシの赤ちゃんはわたしの前に再び姿を現した。 すっかり白夜も終わり、夜になると海岸から見える岩壁“シェッゲ”が、地平線に沈む太陽で真っ赤に染まる時期になっていた。 海岸に腰を下ろし、まるでそこだけが燃えているような赤い光景に見とれていた。

ふと、ピタッと張り付いたように静かだった海の、とある一点がほのかにざわめきはじめた。 小さな波紋が現れたのだ。 ジッと目を凝らすと、黒い何かがわずかに水面から出ている。

“あ!! もしかして————”  近寄ってきて海の中から顔を出したのを見て、確信した。 また戻ってきたのだ。

背後には赤く輝くシェッゲ。 不気味なほどに静まり返った海はこの世のものとは思えないほど不思議な青緑色に染まり、その中をゆっくりと、流れるように泳ぎ回る幼い小さなアザラシ。 時折、アザラシが顔を出すと水面にそっと波紋が生まれる。

言葉にしがたいほどに美しい光景だった。

わたしはなんて素晴らしい世界に生きているのだろう。 この世界に生まれてきたこと、これからも生きていくこと、それ自体意味のあることではないのかもしれない。 が、わたしは今見ているこの光景だけで、そのことを心から肯定できると思った。 それくらい、この光景は強い力を持ってわたしの心の中に入り込んできた。

アザラシはしばらくの間、いつものようにウロウロと泳ぎ回って、いつのまにかどこかに消えていなくなっていた。 少し心配だったが、もしかしたらしっかりと独り立ちして、自分の力で餌を採って暮らしているのかもしれない、そう思うと少し落ち着いた。

・・・・・ むき出しの地球南極大陸(2) ・・・・・

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