”カタコンブ・ド・パリ/納骨堂”  =4/5=

Ӂ 長期連載:探検的・冒険的行動で世界を視座するフィルドワーク Ӂ

【この企画はナショジオ記載文趣“古代文明・歴史・冒険・探検”にその背景を追記・補講した】

〇●  パリの地下には、全長300キロを超すトンネルが走る ●〇

◎ 墓地やギャラリーが広がる、立入禁止の地下世界に潜入した =4/5= ◎

フランス・パリの地下深く600万人が眠る世界最大の地下墓地「カタコンブ・ド・パリ」

フランス・パリの地下には「カタコンブ・ド・パリ」と呼ばれる世界最大のカタコンベが存在している。

カタコンブ-5

パリの大都市の地下に形成されたこの巨大な死者の帝国は、欧州で見られるカタコンベとは違い、初めから墓地として作られたわけではなく複数の歴史的経緯が重なり今日に至った。

曰く、地下に存在する心霊スポット!!

カタコンブ-6

  卵のような形をした下水道の底を、下水がゴボゴボと音を立てながら絶えず流れている。その両側には太い水道管が通っていた。一本は住宅の飲料水で、もう一本は街路の清掃や公園の散水などに使う水だ。ここの下水道の一部は、ユーゴーが『レ・ミゼラブル』を完成させた1859年までさかのぼる。進みながら、足元のどす黒い水のことをなるべく考えないことにした。取材ノートに飛沫(ひ まつ)が散ったら大変だ。キニョンと同僚のクリストフ・ロヨは懐中電灯で壁の割れ目を照らし、パイプの水漏れ個所を調べていく。

 ロヨが、履いている長靴で下水の底をさらった。「よく見ると、いろんなものがあるんだ」。宝石や財布、拳銃、それに人間の上半身を見つけた作業員もいるという。キニョンはダイヤモンドを見つけたことがあると言った。ある通りの下に来たとき、私の足の上に水が勢いよく流れた。どうも、トイレの水が流れてきたらしい。

カタコンブ-4

地下深くで守られる財宝

 パリのオペラ座として知られるガルニエ宮の地下に、多くのパリっ子が噂(うわさ)でしか知らない場所がある。幅55メートル、深さ3.5メートルの貯水池だ。1860年代に基礎工事が始まったとき、大量の地下水に頭を痛めた技術者たちが、地下水をためるために造った。この地下貯水池は『オペラ座の怪人』の舞台でもあるが、実際に潜んでいるのは、怪人ではなく、数匹のナマズ。オペラ座の職員から冷凍ムール貝をもらって丸々と太っているとのことだ。

 1920年代、オペラ座からそう遠くない場所に、不眠不休の工事で、ある地下空間が造られた。それは、フランス銀行の地下金庫室で、深さは地表から35メートル以上もある。分厚い扉に守られたこの金庫室には、およそ2600トンの金が保管されているのだ。

 写真家のスティーブン・アルバレスと一緒に、金庫室に入れてもらった。前後左右、どちらを向いても金が積み上げられている。その光景を見て、私はカタコンブを思い出した。骨と同じように、金の延べ棒にも物語がある。金は昔から人々の欲望を刺激し、ときに盗まれ、溶かされてきた。もしかしたら、ここにある延べ棒の中に、ファラオの酒杯やコンキスタドールの金塊の名残が混ざっているかもしれない。

 銀行の担当者が延べ棒を持たせてくれた。ずしりと重い。全体にでこぼこしていて、底の部分に深いくぼみがある。「これは米国の金です。見た目は最悪です」と担当者は言った。延べ棒1本の価値は400万円を超える。フランスは現在、この資産を少しずつ売っているのだ。

 今年3月、この近くの銀行で金庫破りが発生した。窃盗団は地下のトンネルを使って銀行に侵入、警備員を縛り上げ、200個ほどの貸金庫を開けて中身を盗んで逃走したという。だが、ここ中央銀行の金庫室は、パリの地下空間のどこともつながっていないと役員たちは胸を張る。泥棒に入られたことはないのかと私が尋ねると、ある役員は声を上げて笑った。「そんなこと不可能ですよ!」。本当にそうだろうか。1800年にこの銀行を創設したナポレオンも言っているではないか。「私の辞書に不可能の文字はない」と。

 私たちは鋼鉄の扉をいくつもくぐり、地下10階からエレベーターで地上に戻った。網膜による生体認証のチェックを受け、ガラスの小部屋を通る。やっとのことで銀行の外に出た時、アルバレスも私も熱に浮かされたようだった。

 「ところで、カバンはチェックされた?」とアルバレスに尋ねた。「いいや。きみは?」

 私たちは歩き始めた。しばらく行くと、マンホールがあった。ここは地下につながっている。トンネルは地上の通りと平行して走っていたり、さらに深く潜って地下金庫に達したりするのだろう。私は心の中でそれをたどり、枝分かれした無数の坑道を思い描いた。地下の世界を一度でも知ると、地上にいても、心は地中へと潜っていってしまうものだ。カタフィルたちは「それが当たり前だ」と言っていた。地下には、静かで自由な世界が存在していて、あらゆる可能性が広がっているのだから。

カタコンブ-5

//////参考資料///////

Ӂ カタコンブ・ド・パリ (Catacombes de Paris) =4/5= Ӂ

誕生と装飾

骨が徐々に集団墓地と地上から取り除かれ、その後洗浄され、フォークで荷車に乗せられた。1788年4月7日の奉献式前夜まで、聖歌を歌う聖職者たちの行列の後ろに、黒い布で覆われた骨を運ぶ馬車が連なってカタコンブへ向かった。これは約15ヶ月間続いた。行政は、埋葬の措置をみな同じにした。サン・イノサン墓地、特に教会に隣接する他のパリ内の墓地を例とすれば、1788年1月までに順番に空になっていった。地下の洞窟全体に労働者たちが分散して働いていた。

井戸の底に骨が投じられると、労働者たちが大量に放棄された骨を集めた。そして骨のために用意された地下の部屋に手押し車や木製のカートに乗せて運んだ。各部屋には、骨がどの墓地から運ばれてきたか示す墓地名、そして搬入された日付を記すプラークがはめ込まれている。同じ土地には十字架、骨董品、他の共同墓地の記念物がパリの教会の共同墓地から持ってこられて埋められた。

最初の数年間のカタコンブは、主として骨の集積所となっていたが、1810年からギヨモの後任となったルイ=エティエンヌ・エリカール・ド・テュリーが工事を監督すると、彼は地下洞窟を全ての霊廟と同等の、現実的で訪問可能な墓地に変えてしまった。頭蓋骨と大腿骨の配置を指示に加えて、今日のカタコンブで見られる構成とし、彼は墓石や墓地の装飾を利用して、骨で埋め尽くされた壁を補完することを見出した(これらの多くは1789年のフランス革命後に失われた)。実際の移送作業は1814年まで続いた。

パリ地下-9

フランス第一帝政時代、サン・イノサン墓地のあった場所には野菜や果物の市場が設置されることとなり、基礎工事中に出土した骨は同じ過程を経てカタコンブへ送られた。1842年にようやく再開された移送作業は1860年まで行われ、年800台になろうという馬車がヴォージラールの仮納骨堂へ、そしてカタコンブへ骨を運んだ。このようにして、17箇所の墓地、145の修道院や宗教施設、墓地に囲まれた礼拝所160箇所、これらが地下にある採石場へ骨を提供した。最終的には、オスマンのパリ大改造によって骨がさらに見つかり、順番にカタコンブへ送られた。

全体

カタコンブの入り口はパリの旧ダンフェール門の西側パヴィリオンにある。暗闇の中石造りの狭い螺旋階段を下りる。静寂はゴボゴボと音を立てる水道の音で破られるだけである。モルタルで固められた石の曲がりくねった廊下を行くと、訪問者は自分が彫刻の前にいることを知る。ここが納骨所となる以前の採石場であった頃から存在している。すぐに訪問者は納骨堂に通じる、石作りの入り口にいることに気づく。そこには『止まれ!ここが死の帝国である』(Arrête! C’est ici l’empire de la Mort)と碑が刻まれている。

ホールや洞窟の壁は骨が注意深く配置されている。装飾の一部はほとんど自然の芸術品である。壁一面にハート型のアウトラインに沿って頭蓋骨が埋め込まれていたり、中央の柱が骨を用いて樽状に慎重に配置された円形の部屋がある。通路沿いには、カタコンブ改装前の昔につくられた他のモニュメントを見ることができる。後にエングレーヴィングが加えられた『洗礼を受けたサマリア女』(La Samaritaine)の泉がそれにあたる。カタコンブの他の立ち入り禁止区域につながる通路を遮断するための、錆びたゲートもある。これらの立ち入り禁止区域は改修されていないか観光ツアーにはあまりに不向きであるかのどちらかである。

ダロー通りの建物に通じる洞窟のちょうど前の出口階段の上で、パリ地下洞窟に残る採石場の一例を見ることができる。天井は11mの高さの2つのドームとなっており、経年劣化が進んでいるが石で強化されている。最高地点に達したことを示す日付は、崩壊した洞窟の天井の作業にいつ関わったか、そしてそれ以降に劣化したかどうかを示すものである。18世紀後半のパリでは、今まで知られていなかった地下の洞窟のために家屋や道路が崩落してから、この「落盤」が全国的なパニックの原因となった。

パリ地下-10

・・・・・つづく

・・・・・ 【フランス】カタコンブ ・・・・・

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