バイキング_北米定住(3/7) ; 歴史深層が真相(006)

――あなたはサガのことを「中世アイスランドの比類ない口述文学であり世界的な遺産」であると書かれています。サガは事実でしょうか、それとも虚構でしょうか。

 サガは13世紀のアイスランドで書かれ、その後も写本にされたり、書き写されたりしていました。アイスランドではある意味、中世は20世紀になるまで終わらなかったと言えます。「サガ」という言葉は、ノース人の言語で「言う」を意味する「sayer」に由来します。ここからも、サガの起源について推しはかることができます。

 サガは、13世紀の筆記者が適当に頭の中で思い浮かべて書いたものではありません。サガには何世紀も前から口伝えで受け継がれてきた長い歴史があります。サガは幾度も繰り返し語られ、世代から世代へと伝わってきた物語です。しかしだからといって、これが紛れもなく事実だということにはなりません。

 物語は途中で変わり、改変され、装飾され、事実が抜け落ち、情報のかけらが付け足されていくものです。ですから、文字で記録される時点ですでに、事実と虚構を区別するのは非常に難しいのです。

――トロルや小人は映画『ロード・オブ・ザ・リング』で一般の人に馴染み深い存在となり、ドラゴンはTVドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』のストーリーで重要な役割を担っています。サガにはそういった想像上のクリーチャーがたくさん登場しますね。

 それは確かですが、同時にサガには、非常に現実的な面もあります。すべてのサガにドラゴンやエルフが山ほど登場するわけではありません。また面白いのは、そういった生きものは明らかにノース人の世界観の一部分として認識されていたということです。サガに登場するとき、彼らは必ずしも空想的なものとして描かれるわけではありません。

 たとえばごく普通のサガのエピソードの中で、誰かが夢を見たり、あるいは山を歩いていたりすると、そういったクリーチャーが突如として現れることがあります。トロルが自分の視界の端をうろうろと歩きまわっているという概念は、彼らにとってごく当たり前のものなのです。

 極北に住む人々は昔から、超自然的で、時に悪魔的なものを連想する傾向にあり、その起源は古くは聖書の時代に遡ります。そうしたものはアングロ・サクソン人の世界観にも脈々と受け継がれており、19世紀のハンス・クリスチャン・アンデルセンが書いた『雪の女王』などに見ることができます。

 北へ行くほど風景は荒涼とし、山や深い岩の裂け目、奇妙な岩の造形が見られるようになります。ですから、そういった人を寄せ付けない場所に住めるのは、それ自身が人ではない、たとえばトロルのような存在だろうと想像しやすくなるわけです。(参考記事:「バイキングの軍事都市、ドイツで発見?」 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/6384/ )

明日に続く・・・・・・

⨁⨂参考資料: ランス・オ・メドーの歴史 ⨂⨁

ランス・オ・メドー(L’Anse aux Meadows)の歴史

10世紀から11世紀のグリーンランドやニューファンドランドの気候は21世紀現在よりも温暖だったとみられる。 レイフ・エイリクソンの航海について詳しく書かれたサガ(『グリーンランド人のサガ』および『赤毛のエイリークのサガ(赤毛のエイリークルのサガ)』)によれば、986年にビャルニ・ヘルヨルフソン(Bjarni Herjólfsson)がアイスランドからグリーンランドに渡る途中、地図もコンパスもない航海で嵐に襲われ、グリーンランドを探して西へ向かっていたところ偶然森に覆われた陸地を見たという。

10年後、この話を聴いたレイフはビャルニの船を使い、35人の仲間とともにその土地へ向け出航し、葡萄が豊富で冬でも霜の降りない土地に着き、木の少ないグリーンランドに多くの材木を積んで帰ってきたという。 ランス・オ・メドーは、

  1. 最初の宿営地
  2. 先住民たち(スクレリングと彼らは呼んだ)に追われた後に作った宿営地
  3. サガには出てこない宿営地 

のいずれかだと推測されている。

サガはさらに、1010年ごろのソルフィン・ソルザルソン(Thorfinn Karlsefni, トルフィン・カールセフニ・トールズソン)による入植の試みにも触れている。 トルフィンに率いられた135人の男と15人の女はヴィンランドへ渡り、レイフの使った宿営地(おそらくランス・オ・メドー)に住み、ここを入植地とした。 この入植者の中に、赤毛のエイリークの私生児でレイフ・エリクソンの異母姉妹にあたるフレイディス・エイリークスドティール(Freydís Eiríksdóttir)がいたという。

彼らはスクレリング(おそらく、アメリカン・インデアンのベオスック族たちと交易したがやがて対立し、グリーンランドへ撤退した。 サガに出て来る入植地とランス・オ・メドーの関連については確認されていないが、ランス・オ・メドーの地が西暦1000年ごろのノース人の入植地であったことは確かである。

ランス・オ・メドーは、グリーンランドと、ランス・オ・メドーよりさらに南の入植地(セント・ローレンス湾南部周辺)との中継地だった可能性や、グリーンランドに住んでいたノース人たちの越冬地だった可能性も指摘されている。 ここが居住地として使われたのはせいぜい2、3年だった。 文献の研究と考古学的研究の双方から、先住民との関係悪化が放棄の原因と見られている。 女性をめぐるノース人と先住民の争いや、思わぬ悪天候も放棄の理由として示唆されている。

ランス・オ・メドーは、アルゴンキン族の間にあるサグネ王国の伝説(毛皮と金属をたくさん持った金髪の民族の国)ともされているが、推測の域を出ない。

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