古代エジプト/男装の女王 =5/6=

Ӂ 長期連載:探検的・冒険的行動で世界を視座するフィルドワーク Ӂ

【この企画はナショジオ記載文趣“古代文明・歴史・冒険・探検”にその背景を追記・補講した】

●  21年にわたり、男の格好で古代エジプトを治めたハトシェプスト女王  ●〇

王家の谷で100年以上前に発見されたミイラが

時空を超えて真実を語り始めた

◎ 古代エジプト 男装の女王 =5/6= 

男装の女王-9

 カーターは、その近くにあるKV60号墓で、もう一つの発見をしていた。棺に刻まれたヒエログリフから、このミイラはハトシェプストの乳母と推定されたが、床の上のミイラはそのまま放置された。このミイラはおそらく、紀元前1000年頃、第21王朝の時代に神官たちが盗掘者から守るために多くのミイラを隠したときに、この墓にもちこまれたのだろう。

    それから年月がたち、KV60号墓の入り口に通じる通路のことも、床に置かれたミイラのことも忘れ去られてしまった。この墓が再び発見されたのは、1989年6月のことだ。

 エジプト学者のドナルド・ライアンが、装飾のない小さな墓を調べるために王家の谷を訪れた。その初日、現場に到着したときには遅い時間だったので、ライアンはとりあえず辺りを歩いて、発掘の道具を置いておくことにした。

 ある墓のそばを通りがかったとき、この近くにKV60号墓があったことを思いだし、入り口の通路をほうきで掃き始めた。30分ほどして、石を敷いた通路の床に切れ目が見え始め、地下に通じる石の扉が現れた。それを開けると階段があった。1週間後、ライアンはエジプト人の調査員とともに、ベートーベンのピアノソナタ『悲愴』のテープを流しながら、“失われた”墓に下りていった。

 「気味悪かったですよ」と、ライアンは話す。「それまでミイラを見たことがなかったのでね。一歩ずつ、とても慎重に進んでいきました。すると、床に女性が横たわっているではありませんか。肝をつぶしましたよ」

 古代に盗掘にあって荒らされた墓に、ミイラは横たわっていた。左腕は曲げられ、胸の上に置かれていた。一部の学者によれば、それは第18王朝の王妃に共通する埋葬のポーズである。「棺の顔をかたどった部分のかけらと、はぎとられた金箔を数片見つけました」。横の小部屋には、ミイラを包むための布が山積みになり、ミイラ化した牛の脚1本が転がっていたほか、「食料のミイラ」もあった。復活の日まで長い旅をする死者のために包んだ食べ物だ。

ハトシェプスト-12

 ミイラを調べるうちに、高位の人物の遺体ではないかという思いが強まっていったと、ライアンは言う。「非常にすぐれた防腐処理が施されていたうえ、王族のポーズをとっていましたから、これは王妃ではないかと思ったんです。もしかしたらハトシェプストかもしれないと」

 誰であれ、散らかった床に、死者を裸で横たえておくわけにはいかない。ライアンはそう考えて、地元の大工につくらせた粗末な棺に、ミイラを納めた。長い年月、誰のものとも知れずに放置されていたミイラが、ようやくその名を取り戻すときが近づきつつあった。

決め手は「歯」

 ドナルド・ライアンがKV60号墓を再発見してから20年近くたって、ザヒ・ハワスはエジプト博物館の学芸員に協力を依頼した。身元不明で、第18王朝の王族とみられる女性のミイラをすべて集めてほしいと頼んだのだ。KV60号墓で発見された2体、やせた女性と太った女性のミイラもその中に含まれていた。

 やせたほうのミイラは、博物館の屋根裏の倉庫に納められていた。太ったほうのミイラKV60a号は、まだ王家の谷の墓に残されていたが、これも運びだされた。2006年末から2007年初めの4カ月間、この2体を含めた4体のミイラが、CT(コンピューター断層撮影)スキャンにかけられ、死亡時の年齢や死因の推定など、詳しい分析が行われた。

 だが、CTスキャンでは決め手となるような手掛かりは得られなかった。そうこうするうち、ハワスはあることを思いだした。1881年、デイル・エル=バハリの王族のミイラが数多く出土した場所で、ハトシェプストのカルトゥーシュが刻まれた木製の小箱(ミイラの内臓を入れる箱)が見つかっていたのだ。

 この小箱にはハトシェプストの肝臓が入れてあると考えられていたが、CTスキャンで調べてみると、驚いたことに歯が1本入っていた。調査チームの歯科の専門家が、第二大臼歯であると鑑定した。カイロ大学の放射線医学の教授アシュラフ・セリムがミイラのあごの画像を改めて調べたところ、太ったミイラKV60a号の上あごにある抜け跡にこの歯がぴったり収まることがわかった。「抜け跡と歯を計測し、一致することを確かめました」と、セリムは話す。

ハトシェプスト-13

//////参考資料///////

Ӂ 参考資料・王家の谷 Ӂ

王家の谷(おうけのたに)は、エジプトテーベ(現ルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群のこと。古代エジプトの新王国時代の王たちのが集中していることからこの名があり、24の王墓を含む64の墓が発見されている。西の谷と東の谷があり、東の谷に60、西の谷に4の墓がある。

新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていたことから、トトメス1世によってはじめて自分の墓のありかを隠す目的でこの谷に初めて岩窟墓が建設された。その後の長い歴史の中で王家の谷にある墓の多くも盗掘を受けたが、1992年に発掘されたツタンカーメン(トゥトアンクアメン)王の墓は唯一未盗掘で、副葬品の財宝が完全な形で発見された。

墓にはKV1~KV64という名前がつけられている。KVはKings Valleyの頭字語、数値は発見順の連番である。ただし西の谷の墓はWVで始まり、WV22~WV25となっている。 墓の中での撮影は写真、ビデオとも禁止されている。外では可。 2014年、ミイラ約50体が埋葬された共同墓地が新たに発見された。

発見された主な王墓

ツタンカーメン王墓(KV62) / トトメス1世王墓(KV38) / トトメス3世王墓(KV34) / ラムセス1世王墓(KV16) / ラムセス2世王墓(KV7) / ラムセス3世王墓(KV11) / ラムセス4世王墓(KV2) / ラムセス6世王墓(KV9) / ラムセス7世王墓(KV1) / ラムセス9世王墓(KV4) / ラムセス10世王墓(KV18) / セティ1世王墓(KV17) / セティ2世王墓(KV15) / アメンヘテプ2世王墓(KV35) / ハトシェプスト女王墓(KV60) /アイ王墓(WV23)

女王葬祭殿-3

・・・・・つづく

・・・・・Valley of The Kings Mortuary Temple of Hatshepsut・・・・・

・・・・・ハトシェプスト女王葬祭殿とメムノンの巨像・・・・・

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