湿地に眠る 不思議なミイラ =1/2=

Ӂ 長期連載:探検的・冒険的行動で世界を視座するフィルドワーク Ӂ

【この企画はナショジオ記載文趣“古代文明・歴史・冒険・探検”にその背景を追記・補講した】

〇●  北欧の泥炭湿地からしばしば出土する不思議な「湿地遺体」●〇  

黒光りするこの不思議なミイラは、これまでに数百体発見され

鉄器時代の北欧で行われていた謎めいた生け贄の儀式を今に伝えている

◎ 湿地に眠る 不思議なミイラ =1/2= ◎  

湿地遺体-1

 その男の遺体は、2003年のある冬の日、アイルランドの土の中から掘り出された。男の髪は生前に整えた形を保っていた。後頭部は短く刈りあげ、頭頂部の髪を20センチほど伸ばして鳥のとさかのように盛りあげ、松脂で固めてあったのだ。だがそれは、この不思議な遺体にまつわる謎のほんの始まりに過ぎなかった。

 男の遺体が見つかったのは、泥炭の加工場にある巨大なふるいの中だった。全裸で頭部がひどく左にねじれ、両足と両腕の前腕部が失われていた。クローニーカバンという小さな町の湿地から泥炭とともに掘り出された際に、掘削機械が引きちぎったのだ。

 頭部と胴体には暴行を加えられた跡が残っていた。何者かに深手を負わされた後で、湿地に放りこまれたのだろう。鼻はひどくつぶされ、頭骨は砕かれ、腹部は刃物で切り裂かれていた。湿地に横たわっている間に、水分をたっぷりと含んだミズゴケの重さで頭部は平たく押しつぶされ、タンニンを含んだ黒い水が皮膚をなめし、毛髪は赤茶色に染まっていた。

 遺体の調査に呼び出されたのは、刑事ではなく、考古学者だった。通常の殺人事件の被害者ではなかったからだ。「クローニーカバン人」と名づけられたこの男は「湿地遺体」と呼ばれる珍しいミイラだ。酸素が乏しい湿地の中で、ミズゴケから生成される抗菌物質で自然に防腐処理されてミイラ化した。紀元前後の数百年間、鉄器時代の北欧で行われていた謎めいた儀式を今に伝えている。これまでに数百体がデンマークをはじめとして、アイルランド、英国、ドイツ、オランダの湿地から発見された。

 湿地遺体の存在が広く知られるようになったのは、19世紀末のことだ。それ以来、様々な説が提示されてきた。現在では、X線CT(コンピューター断層撮影)装置や三次元画像処理、放射性炭素年代測定法といった最新技術で、湿地遺体や同時に出土したごく少数の遺物の分析が行われるようになった。

 

ミイラ-12

 鉄器時代のヨーロッパ人は信仰や慣習に関する文字の記録を残していないため、ほかに調査方法はほとんどないのが実情だ。それを考えれば、過去の湿地遺体の研究がひどい誤解の連続だったのも不思議ではない。

 数十年前、無文字時代のゲルマン社会の史料に当たろうとすると、研究者たちは紀元1世紀のローマの歴史家タキトゥスの著作に頼るしかなかった。だが、ライン川以北の習俗に関する彼の記述は、また聞きを重ねたものだった。タキトゥスは、ゲルマン人が同性愛者や臆病者を殺し、遺体を杭に固定して湿地に沈めたと主張したが、それは彼が退廃的と考えていたローマ人の行為をやめさせるためだった。

 タキトゥスの著作の影響で、多くの湿地遺体は、不名誉な行為の罰として拷問を受けた末に処刑され、鉄器時代のヨーロッパで一般的だった火葬をされず、湿地に埋められたと解釈された。たとえばドイツ北部で1952年に発見された「ヴィンデビーの少女」は、密通の罪を犯した女性の遺体だと考えられた。タキトゥスの著作に、密通したゲルマン女性は髪の毛を剃られたという記述があったからだ。その後この女性は目隠しされ、湿地に沈められたのだろうと研究者は考えた。近くで見つかったもう一つの遺体は女性の愛人とみなされた。

 だが、米ノースダコタ州立大学のヘザー・ギル・ロビンソンがこの遺体の骨格やDNAを詳しく調べた結果、従来の説は覆された。ヴィンデビーの“少女”と考えられていた遺体が、若い男性である可能性が高まったのだ。別の研究者が行った放射性炭素による年代測定で、愛人とされた遺体は、ヴィンデビーの“少女”より300年も前の人物だったことも判明した。

 デンマークでは、コペンハーゲン大学のニルス・ルノープらの法医学者たちが国内で見つかった湿地遺体の再鑑定を行い、拷問や暴行によるものと考えられてきた損傷の一部が、実は死後数百年たってからできたものであることを突きとめた。コペンハーゲン北西部の湿地で1952年に発見された「グラウベール人」は、最も保存状態のよい湿地遺体の一つで、細部まで丹念に調べられている。遺体の骨は、湿地の酸性の水分のせいでカルシウムなどのミネラル分が失われ、ガラスのようになっていた。かつて行われたX線検査では分析が難しかったが、今ではX線CT装置による検査で、グラウベール人の頭骨は湿地の泥炭の重みで押しつぶされたもので、発掘作業中に少年が誤って遺体を木靴で踏みつけたこともわかった。

ミイラ-13

//////参考資料///////

Ӂ 参考資料・ミイラ考 4/5 Ӂ

日本 : 密教系の日本仏教の一部では、僧侶が土中の穴などに入って瞑想状態のまま絶命し、ミイラ化した物を「即身仏」(そくしんぶつ)と呼ぶ。仏教の修行の中でも最も過酷なものとして知られる。

この背景にあるのは入定(“にゅうじょう”ないしは生入定)という観念で、「入定ミイラ」とも言われる。本来は悟りを開くことだが、死を死ではなく永遠の生命の獲得とする考えである。入定した者は肉体も永遠性を得るとされた。

日本においては山形県庄内地方などに分布し、現在も寺で公開されているところもある。また、中国では一部の禅宗寺院で、今もなおミイラ化した高僧が祀られている。

木の皮や木の実を食べることによって命をつなぎ、を読んだり瞑想をする。まず最も腐敗の原因となる脂肪が燃焼され、次に筋肉として消費され、皮下脂肪が落ちていき水分も少なくなる。生きている間にミイラの状態に体を近づける。生きたまま箱に入りそれを土中に埋めさせ読経をしながら入定した例もあった。行者は墓に入る前にの茶を飲み嘔吐することによって体の水分を少なくしていたといわれている。漆の茶にはまた、腐敗の原因である体内の細菌の活動を抑える効果もあった。

これらは死を前提にするため当然ながら大変な苦行であり、途中で断念したものも存在する。湿潤で温暖な気候の日本では有機体組織を腐敗から防ぐのは非常に困難を伴い、死後腐敗してミイラになれなかったものも多い。ミイラになれるかなれないかは上記の主体的な努力によることと、遺体の置かれた環境にも大きく影響するだけでなく、関係者により確実に掘り出され、保存の努力が成されるか否かにも左右される。生入定においては当人が死後に「即身仏」として安置されることを望んでいない場合もあるが、望んでいた場合でも死後の処理が遅れた、ないしは処理が不完全だったために即身仏として現在安置されていないケースもある。

社会主義諸国の指導者 : 社会主義国では、過去の指導者を神格化する目的でその遺体をミイラ化(エンバーミング)し、民衆に公開することがある。レーニンレーニン廟)、スターリン金日成金正日錦繍山太陽宮殿)、毛沢東毛主席紀念堂)、ホー・チ・ミンホー・チ・ミン廟)など。この場合強力な防腐処置によって腐敗を止めていると考えられている。その他、生前の本人の希望によりミイラにされる遺体も存在する。

ミイラ-14

・・・・・つづく

・・・・【閲覧注意】 衝撃の約2400年前のミイラ「トーロンマン」奇跡の保存状態・・・・

・・・・・【閲覧注意】世界の驚くべきミイラ23枚の画像・・・・・

 -/-/-/-/-/-/-/-/-

前節へ移行 ;https://thubokou.wordpress.com/2019/06/21/

後節へ移動 ;https://thubokou.wordpress.com/2019/06/23/

 ※ 下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます  ⇒ ウィキペテ ゙ィア=に移行
*当該地図・地形図を参照下さい

  

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【疑心暗鬼;民族紀行】 http://bogoda.jugem.jp/

【浪漫孤鴻;時事心象】 http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【閑仁耕筆;探検譜講】 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon