ダーウィンになれなかった男 =8/10=

Ӂ 長期連載:探検的・冒険的行動で世界を視座するフィルドワーク Ӂ

【この企画はナショジオ記載文趣“古代文明・歴史・冒険・探検”にその背景を追記・補講した】

〇●  150年前、ダーウィンと同時に進化の理論を提唱した博物学者、ウォレス ●〇 

常識にとらわれず、好奇心のままに突き進んだ  

学会など眼中にない男の壮快な生涯を追う  

◎  補講・アルフレッド・ラッセル・ウォレス =2/4(8/10)=  ◎   

ダーウィンとの論争=ウォレス効果と進化論=  

ウォレス-15

1889年の『ダーウィニズム』でウォレスは自然選択について説明した。その中で、自然選択が二つの変種の交雑の障害となることで生殖的隔離を促すという仮説を提唱した。これは新たな種の誕生に関与するかも知れない。このアイディアは現在ではウォレス効果として知られている。

彼は1868年という早い時点で、ダーウィンへの私信で自然選択が種分化に果たす役割について述べていたが、具体的な研究を進めなかった。今日の進化生物学でもこの問題の研究は続けられており、コンピューターシミュレーションと観察によって有効性が支持されている。

ヒトの進化と目的論

1864年に『人種の起源と自然選択の理論から導かれる人間の古さ』を発表し、自然選択説・進化理論を人類に適用した。ウォレスは精神組織が発達した知性の高いゲルマン人種のような優等人種は増加する一方で、劣等人種は逐次消滅してきたとし、人間の進化は有色人種の消滅まで続くとした。

ダーウィンはこの問題についてまだ述べていなかったが、トマス・ハクスリーはすでに『自然の中の人間の位置』を発表していた。それからまもなくウォレスは心霊主義者となった。同時期に彼は数学能力、芸術能力、音楽の才能、抽象的な思考、ウィットやユーモアは自然選択では説明できないと主張した。そして結局、「目に見えない宇宙の魂」が人の歴史に少なくとも三回干渉したと主張した。一度目は無機物から生命の誕生、二度目は動物への意識の導入、三度目は人類の高い精神能力の発生であった。

またウォレスは宇宙の存在意義が人類の霊性の進歩であると信じた。この視点はダーウィンから激しく拒絶された。一部の史家は自然選択が人の意識の発達の説明に十分でなかったというウォレスの信念が直接心霊主義の受容を引き起こしたと考えたが、他のウォレス研究家は同意せず、この領域に自然選択を適用するつもりは最初から無かったのだと主張した。

ウォレス-30

ウォレスのアイディアに対する他の博物学者の反応は様々だった。ライエルはダーウィンの立場よりもウォレスの立場に近かった。しかし他の人々、ハクスリー、フッカーらはウォレスを批判した。ある科学史家はウォレスの視点が、進化は目的論的ではなく、人間中心的でもないという二つの重要な点で新興のダーウィン主義的哲学と対立したと指摘した。

進化理論史におけるウォレスの位置

進化学史ではほとんどの場合、ウォレスはダーウィンに自説を発表させる「刺激」となったと言及されるだけであった。実際には、ウォレスはダーウィンとは異なる進化観を発展させており、彼は当時の多くの人々(特にダーウィン自身)から無視することのできない指導的な進化理論家の一人と見なされていた。ある科学史家はダーウィンとウォレスが情報を交換し合って互いの考えを刺激し合ったと指摘した。

ウォレスはダーウィンの『人間の由来』でもっとも頻繁に引用されているが、しばしば強く同意できないと述べられている。しかしウォレスは残りの生涯を通して自然選択説の猛烈な支持者のままであった。

1880年までに生物の進化は科学界に広く受け入れられていた。しかし自然選択を進化の主要な原動力と考えていた主要な生物学者はウォレスとアウグスト・ヴァイスマンランケスターポールトンゴルトンなどごく少数であった。1889年に『ダーウィニズム』を出版し、自然選択に向けられる科学的な批判に応えた。

ウォレス-31

心霊主義

1861年に義兄に宛てて、人類の多数にとってある種の宗教は必要であると書いた。ウォレスはまた骨相学を強く信じており、若い頃から催眠術にも関心を持っていた。レスターの学校では生徒たちを使って実験を行った。彼はまず催眠術の実験から始めた。これは論争の的であった。ジョン・エリオットストンのような初期の催眠術の実験者は医学界と科学界から厳しく批判された。ウォレスの催眠術に関する経験は後年の心霊主義の調査に引き継がれた。

1865年に姉ファニーと供に心霊主義の調査を始めた。まず文献を調査し、その後交霊会で観察した現象をテストしようと試みた。そしてそれらは自然的な現象であるという信念を受け入れた。残りの人生の間、少なくともいくつかの交霊会での現象は本物だったと確信したままだった。たとえ多くの詐欺の告発が行われても、トリックの証拠が提出されても、彼にとって問題ではなかった。

歴史家と伝記作家はいったい何がウォレスに心霊主義を受け入れさせたかで意見が一致していない。ある伝記作家は婚約者に婚約を破棄された時に受けた衝撃を示唆した。他の研究者はそれに対して、物質界と非物質界、自然界と人間社会のあらゆる現象に対して科学的で合理的な説明を見つけたいというウォレスの願望を強調することを好む。

心霊主義は完全に唯物論的で機械論的な科学にさらされており、英国国教会のような伝統的な教義を受け入れがたいと感じていた教養あるビクトリア朝時代の人々の心に響いた。しかしウォレスの視点を深く追求した何人かの研究家は、これはウォレスの科学や哲学の問題ではなく、宗教に関する問題だったと強調した。

心霊主義と関係した19世紀の知識人には若い頃のウォレスが憧れた社会改革者ロバート・オウエンや、物理学者ウィリアム・クルックスジョン・ウィリアム・ストラット、数学者オーガスタス・ド・モルガン、スコットランドの出版業者ロバート・チェンバースなどがいた。

ウォレス-32

・・・・・つづく

・・・・・Alfred Russel Wallace and the Spirit World with Michael Cremo・・・・・

・・・・・A.R.Wallace: a journey into adventure, discovery, and evolution・・・・・

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