ダーウィンになれなかった男 =10/10=

Ӂ 長期連載:探検的・冒険的行動で世界を視座するフィルドワーク Ӂ

【この企画はナショジオ記載文趣“古代文明・歴史・冒険・探検”にその背景を追記・補講した】

〇●  150年前、ダーウィンと同時に進化の理論を提唱した博物学者、ウォレス ●〇 

常識にとらわれず、好奇心のままに突き進んだ  

学会など眼中にない男の壮快な生涯を追う  

◎  補講・アルフレッド・ラッセル・ウォレス =4/4(10/10)=  ◎   

ダーウィンとの論争=そのほかの論争と活動・評価=  

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◎平らな地球裁判

1870年にジョン・ハンプテンという名の地球平面説の支持者が、水を用いて地球が凸型に湾曲していることを示せた人に500ポンド支払うという雑誌広告を掲載した。資金難に苦しんでいたウォレスはこの挑戦に興味をそそられた。彼は運河に沿って6マイル離れた位置に二つの物体を設置した。それらは水面から同じ高さの位置に固定された。その二つの物体の延長線上の橋に望遠鏡を取り付けた。望遠鏡を覗くと一方はもう一方よりも高く見えた。これは地球の湾曲を示していた。

雑誌の編集者はウォレスの勝利を宣言したが、ハンプテンはそれに従うことを拒み、ウォレスを告発した。ハンプテンは数年にわたる攻撃キャンペーンを開始した。結局、複数の名誉毀損訴訟にウォレスは勝ったが、掛け金以上の訴訟費用と不毛な論争は長い間ウォレスを苦しめた。

◎予防接種反対

1880年代初頭に天然痘予防接種義務化についての議論に参加した。ウォレスは当初これを個人の自由の問題と見なした。しかし予防接種の反対者によって提示された統計のいくつかを見たあと、予防接種の有効性を疑い始めた。当時、病原体説はまだ新奇で一般的に認められてはいなかった。さらに誰も予防接種が働く理由を説明するヒトの免疫系の知識を持っていなかった。

ウォレスは研究を調査し、予防接種の支持者が疑わしい統計データを使用したいくつかのケースを発見した。常に権威に疑いの目を向けていたウォレスは天然痘の発生率の低下は公衆衛生の改善が原因だと確信するようになった。また医者にはワクチン接種によって得られる利益があると感じた。さらにウォレスと他の反対者はワクチンの接種がしばしばずさんな不衛生な方法で行われ危険を引き起こすと指摘した。

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1890年には問題を調査していた王立委員会でその証拠を示した。委員会がウォレスが提出した資料を調査したとき、疑わしい統計を含む問題が発見された。ランセット誌はウォレスと他の反対活動家が統計データを選別的に利用し、彼らの立場に都合が悪い大量のデータを無視したと述べた。委員会は安全性を高めるよう手順を変更し、また接種を拒否した人へ厳しく対処しないと方針を少し変えたが、予防接種が効果的で義務化されたままでなければならないと判断した。

1898年にウォレスは委員会の調査を非難するパンフレットを書いた。ランセットはそれに応酬し、委員会に提出したのと同じ誤りを多く含んでいると述べた。

◎火星の運河

1907年に短い本『火星は生存可能か?』を出版しパーシヴァル・ローウェルによって提唱された火星の運河説を批判した。これによってイギリス科学界でも火星の環境に関する議論は論ずるに値すると認識されるようになった。自分自身の数ヶ月の研究と他の専門家からの意見を参考に、火星の気候と大気の状況の科学的な分析を行った。

とりわけ大気のスペクトル分析が水蒸気の存在の兆候を示さないと指摘した。またローウェルの分析には深刻な問題があり、特に地表の温度を非常に過大評価しており、低い気圧は液体の水の存在を不可能にしていると指摘した。彼の人間中心的な哲学、宇宙に存在する人類は我々だけであると信じたいというウォレスの想いがこの話題に興味を引かせた。

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死後の評価 及び 受賞歴・著書

著述活動の結果、死の時点でウォレスは長期にわたって活躍した科学者、社会運動家として広く知られていた。ジャーナリストは様々な問題における彼の視点を報道した。多くの名誉博士号を受け、ロンドン王立協会会員、コプリ・メダル受賞者、メリット勲章受章者でもあった。とりわけ自然選択説の共同発見、生物地理学への貢献は彼を突出した重要人物とした。彼は疑う余地無く19世紀でもっとも偉大な博物学者・探検家のひとりであった。

にもかかわらず、彼の名声は死後急速に薄らぎ、長い間科学史においてさほど重要ではない人物として扱われていた。多くの原因が推測されている。謙虚さ、ダーウィンの名を立てすぎたこと、自分の評判に気を留めず人気のない説を擁護する意欲、型にはまらない彼のアイディアへの科学界の不人気などである。近年、いくつかの伝記の発表と著作の復刊、ウォレス研究に関するウェブサイトの公開によって再び名前が知られるようになった。

現在では進化学者に送られる最高の賞と見なされるダーウィン・メダルの最初の受賞者である(1890年)。1868年には王立協会からロイヤルメダル、1892年には王立地理学会からファウンダーズメダル、1908年にはコプリ・メダルを受賞した。同年、英王室からメリット勲章を受け、ロンドン・リンネ学会からは自然選択説発表50年を記念して創設されたダーウィン=ウォレス・メダルの唯一のゴールドメダルを受賞した。

1893年に王立協会会員に選出された。ロンドン昆虫学会の会長、英国学術協会の人類学部長・生物学部長などを歴任した。1898年にロンドンで行われた国際心霊学会議の議長を務めた。月と火星に彼の名を冠したクレーターがある。2005年には彼を記念した研究施設がサラワクに開設された。

ウォレスは非常に多作であった。2002年にウォレスの著作を分析した科学史家マイケル・シャーマーによれば、22冊の本と747篇の小論を書き、そのうち508が科学的なもので、うち191がネイチャー誌に発表された。747の小論のうち29%が博物学と生物地理学、27%が進化理論、25%が社会評論、12%が人類学、7%が心霊主義に関するものであった。

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・・・・・つづく

・・・・・Wallace, Darwin’s Forgotten Frenemy・・・・・

・・D.Attenborough and B.Bailey give brilliant talks at London’s Natural H.Museum・・

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