ネアンデルタール人・絶滅の謎 =1/5=

Ӂ 長期連載:探検的・冒険的行動で世界を視座するフィルドワーク Ӂ

【この企画はナショジオ記載文趣“古代文明・歴史・冒険・探検”にその背景を追記・補講した】

〇● 現生人類と共存していた時代、ネアンデルタール人の身に何が起きたのか ●〇 

なぜ彼らだけが滅びたのか

そのヒントはDNAと歯に隠されていた

◇ ネアンデルタール人 その絶滅の謎 =1/5= ◇

ネアンデルタール-1

 人間の骨を二つ見つけた――1994年3月、スペイン北部ビスケー湾のすぐ南にある洞窟(どう くつ)を踏査していた探検家たちから、地元の警察にこんな連絡が舞い込んだ。エル・シドロンと呼ばれるその洞窟は、人里離れた森にあり、スペイン内戦のとき、人民戦線の兵士たちがフランコ軍の攻撃を逃れて隠れていた場所だ。当時の人骨ではないか。そう考えての通報だった。だが、駆けつけた警官が発見したのは、それよりもはるかに古い時代に起きた、悲劇の現場の跡だった。

 警察は数日間でざっと140の骨を掘り出し、首都マドリードの科学捜査研究所に分析を依頼。6年近い歳月を費やして調べた結果、意外な事実が浮かび上がった。なんとその骨は、約4万3000年前にこの地域で暮らしていたネアンデルタール人の集団の化石骨だったのだ。

 その後、エル・シドロン洞窟の古人骨の調査は、マドリードの国立自然科学博物館の学芸員アントニオ・ロサスに引き継がれた。2000年以降、彼のチームは、少なくとも9人のネアンデルタール人のものとみられる、1500の骨のかけらを発掘した。ロサスは、最近見つけた頭部や腕の骨の破片を見せてくれた。どちらも端がぎざぎざになっている。

 「これは誰かにたたき割られた跡です。脳や骨髄が目当てだったのでしょう」。骨には石器で肉をそぎとった跡もあり、骨の持ち主が人肉食の犠牲になったことを物語っている。飢えを満たすためか、それとも儀式のためか – 誰が何の目的で食べたのかは定かでない。わかっているのは、死後まもなく(おそらく数日以内に)、骨の下の地面が突然崩れたことだ。骨は動物に荒らされることもなく、土砂もろとも地下20メートルの鍾乳洞に落下し、温度の安定した洞窟で砂と粘土にそっと包まれた。そのため、ネアンデルタール人の謎を秘めた貴重な遺伝子が、現代まで保たれてきたのだった。

 ネアンデルタール人は、私たちに最も近かった人類の仲間で、ほぼ20万年間にわたって、ユーラシア大陸に散らばって暮らしていた。その分布域は今の欧州全域から中東やアジアにまで及び、南は地中海沿岸からジブラルタル海峡、ギリシャ、イラク、北はロシア、西は英国、東はモンゴルの近くまで達していた。西ヨーロッパで最も多かった時期でも、その数はせいぜい1万5000人程度だったと推定されている。

ネアンデ-2

 エル・シドロン洞窟の悲劇が起きた4万3000年前には、気候が一段と寒くなり、ネアンデルタール人は欧州のイベリア半島と中欧、地中海沿岸の限られた地域に追い込まれていた。加えて、アフリカから中東、さらにその西へと向かう現生人類の進出も、分布域の縮小に追い打ちをかけた。それから1万5000年ほどで姿を消し、あとにはわずかな骨と多くの謎が残された。

 ネアンデルタール人と現生人類の分布域が重なっていた約4万5000~3万年前に、いったい何が起きたのか。なぜ一方だけが生き残ったのか。エル・シドロン洞窟に眠っていた骨に、その手がかりが残されているのかもしれない。

ネアンデルタール人をめぐる謎

 現生人類の進出以前に、欧州にほかの人類がいた痕跡が初めて注目されたのは、150年ほど前のこと。1856年8月、ドイツの都市デュッセルドルフからほど近いネアンデル渓谷( タール )で、石灰岩を切り出していた労働者が骨を発見した。まゆの部分が極端に張り出した頭骨(とう こつ)の一部と、数本の太い手足の骨だった。

 洞窟に住む、知能の低い粗暴な原始人 – ネアンデルタール人については発見当初から、そんなイメージが広がり、長いこと信じられてきた。確かに、化石の大きさや形から、体型は筋肉質でずんぐりしていて(男の平均は身長約160センチ、体重約84キロ)、大きな肺をもっていたと推測される。ネアンデルタール人の男が寒い地域でその体を維持するには、1日5000キロカロリーのエネルギーが必要だったという試算もある。これは、3000キロ以上の道のりを走り抜く過酷な自転車レース、ツール・ド・フランスの出場選手並みの消費カロリーだ。

 とはいえ、低いドーム状の頭骨に収まった彼らの脳は、私たちの脳の平均をわずかながら上回る大きさだ。道具や武器は、欧州に住みついた現生人類のものと比べると原始的だったが、その頃アフリカや中東にいた現生人類の技術レベルには決して劣らなかった。

ネアンデ-3

//////参考資料///////

Ӂ 補講・ネアンデルタール人(Neanderthal) 1/7 Ӂ

ネアンデルタール人は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代石器の作製技術を有し、を積極的に使用していた。

なおネアンデルタール人は過去に「旧人」と呼称されていたが、ネアンデルタール人が「ホモ・サピエンスの先祖ではない」ことが明らかとなって以降は、この語は使われることが少ない。

現生人類であるホモ・サピエンス誕生は約28万年前であるが、ホモ・サピエンスの直接の祖先のうち、25万年前以上前に活動・生息していた人類祖先も旧人段階にあったと考えられるため、ネアンデルタール人だけが「旧人」に該当するわけではない。 ホモ・ヘルメイホモ・ローデシエンシス、そしてホモ・サピエンス・イダルトゥ発生以前の古代型サピエンスも旧人段階に該当する人類であると考えられる。

また、上記の通りネアンデルタール人は広い地域に分布して多数の化石が発見されており、それらは発見地名を冠した名称で呼ばれる。例として、ラ・シャペル・オ・サン人(La Chapelle-aux-Saints、以後は「ラ・シャペローサン人」とする)、スピー人、アムッド人などが挙げられる。

ホモ・サピエンスの誕生を概略すると、ヘルト人すなわちホモ・サピエンス・イダルトゥから約80万年前にネアンデルタール人が分岐し、40-50万年前にはデニソワ人すなわちホモ・サピエンス・アルタイが分岐し、最終的にヘルト人から約28万年前に現生人類ホモ・サピエンス・サピエンスが分岐して、その後10万年前までにヘルト人は絶滅した。これらはヒト属の兄弟種にあたる。

本稿では「ネアンデルタール人類」の用語を用いる。ネアンデルタール人から最も拡張した学術用語として旧人段階の人類全てをネアンデルターロイドと呼ぶこともあり、ホモ・ローデシエンシスまでをも含むこともある(世界大百科事典)が、命名の経緯はどうであれ実質は進化段階を示す用語であり、ネアンデルターロイドは生物学的単一種を意味しない。本項ではネアンデルタール人類について記述する。

ネアンデ-4

・・・・・つづく

 

・・・・・ ヒト属ホモ・エルガステル、ホモ・エレクトゥス ・・・・・

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