ネアンデルタール人・絶滅の謎 =5/5=

Ӂ 長期連載:探検的・冒険的行動で世界を視座するフィルドワーク Ӂ

【この企画はナショジオ記載文趣“古代文明・歴史・冒険・探検”にその背景を追記・補講した】

〇● 現生人類と共存していた時代、ネアンデルタール人の身に何が起きたのか ●〇

なぜ彼らだけが滅びたのか

そのヒントはDNAと歯に隠されていた

◇ ネアンデルタール人 その絶滅の謎 =5/5= ◇

ネアンデルタール-9

    ネアンデルタール人のがっしりした体を維持するには、高カロリーの食事が必要だった。特に高緯度地方や、気候が厳しさを増した時期には、女や子どもも狩猟に駆り出されただろう。片や、現生人類は集団内で分業が成立し、食生活が多様化していたので、リスクを分散できたはずだと、スタイナーは語る。また、

 社会集団の規模も重要だった。古人類学者のトリンカウスによれば、ネアンデルタール人の社会単位は、3世代が集まった大家族ほどの規模だったという。それに対して、欧州で発見された初期の現生人類の遺跡の中には、「もっと大規模な集団だったことを示す遺跡が見つかっている」と、彼は話す。

 集団が大きくなると、その中の人々にも社会生活にも影響が出てくる。必然的に人と人とのやりとりが増え、成長過程で脳の働きが活発になる。こうした状況は、言語の発達を促し、間接的には平均寿命の伸びも促すことになる。長寿になれば、世代間で知識が伝承される機会が増え、生き延びる知恵や、道具づくりの技術が、ある世代から次の世代、さらにはある集団から別の集団へと伝えられるようにもなる。

 ロンドンの自然史博物館のクリス・ストリンガーによれば、ネアンデルタール人が絶滅した頃は、欧州の気候が最も厳しくなった時期にあたる。過去の気候の調査で、およそ3万年前から、氷床の範囲が最も拡大した1万8000年前頃までの間に、地球の気候がめまぐるしく変動したことがわかっている。ときには、わずか数十年の間に気温が極端に変化した。

 現生人類は、ネアンデルタール人よりも社会集団の規模がわずかに大きく、わずかに生存能力が高かったおかげで、こうした過酷な条件下で生き延びたのかもしれない。ほんのちょっとの差が「極端な気候変動の中で、両者の命運を分けたのでしょう」とストリンガーは話す。

 となると、一つの疑問が残る。ネアンデルタール人から現生人類への交代劇は、ゆっくりとした平和的なものだったのか、それとも比較的短期間に起こった敵対的なものだったのか。

 「ほとんどのネアンデルタール人と現生人類は、生涯の大半を通じて、直接顔を合わせることはなかったでしょう」と、ユブランは慎重に言葉を選ぶ。「居住域の境界近くでは、遠くから互いの姿を見かけることもあったと想像されます。その場合、互いに相手を避けるだけでなく、排除しようとした公算が高いと思うのです。近年の研究によれば、狩猟採集民は、さほど平和的ではなかったようですから」

最後の痕跡

 ジブラルタル半島の突端にある石灰岩の崖、通称「ジブラルタルの岩」には、ネアンデルタール人が暮らした巨大な洞窟がある。ジブラルタル博物館の進化生物学者クライブ・フィンレイソンの案内で、そのゴーラム洞窟に入った。

ネアンデ-18

 海に面したこの洞窟には、ネアンデルタール人が12万5000年前から生活した跡があちこちに埋まっている。石製の槍の先端や、削る作業に使われた石器(削器(さっ き))、炭化したマツの実、たき火の跡などだ。2年前、フィンレイソンらは放射性炭素による年代測定法で、たき火跡に残された炭を調べ、いくつかは2万8000年前のものであることを突き止めた。知られている限りでは、ネアンデルタール人が残した最後の痕跡だ。

 フィンレイソンは、花粉や動物の骨などから、5万~3万年前の環境を推定した。当時、ジブラルタルは砂地に囲まれ、洞窟は地中海から3、4キロ離れていた。一帯は、ローズマリーやタイムが生える草原地帯で、砂丘のところどころにコルクガシやイタリアカサマツなどの木が立ち、浜辺にはアスパラガスが生えていた。

 しかし、やがて風景は一変する。3万~2万3000年前、氷期の寒冷化の影響がイベリア半島南部まで及び、このあたりは低い草が生えているだけの半乾燥地帯となった。こうした視界が開けた場所では、ずんぐりとした筋肉質のネアンデルタール人よりも、投げ槍をもつ、長身で細身の現生人類のほうが、動き回るのに有利だったのかもしれない。

 しかし、イベリア半島のネアンデルタール人を絶滅に追い込んだのは、現生人類の進出よりもむしろ、気候の劇的な変化だったはずだと、フィンレイソンは話す。「小集団の生き残りが10人まで減ってしまえば、3年ほど厳しい寒さが続くか、地すべりが1回起きただけで滅びてしまうでしょう」

 滅亡のシナリオがどんなものであれ、ゴーラム洞窟には、その後の展開を物語る“署名”が残されていた。最後のたき火跡にほど近い、洞窟の奥のほうで、フィンレイソンらは最近、岩壁に残された赤い手形を見つけた。現生人類がジブラルタルに進出してきた証拠だ。

 色素の分析は終わっていないが、これまでの結果から、手形は2万300年~1万9500年前のものと推定されている。「新たな時代の幕開けだ – この手形を見ると、私たちの祖先が、そう高らかに宣言しているかのようです」

ネアンデ-19

//////参考資料///////

Ӂ 補講・ネアンデルタール人(Neanderthal) 5/7 Ӂ

ネアンデルタール人類の特徴(2/2)

  • 四肢骨は遠位部、すなわち腕であれば前腕下肢であればの部分が短く、しかも四肢全体が躯体部に比べて相対的に短く、いわゆる「胴長短脚」の体型で、これは彼らの生きていた時代の厳しい寒冷気候への適応であったとされる(アレンの法則)。
  • 男性の身長は165cmほどで、体重は80kg以上と推定されている。骨格は非常に頑丈で骨格筋も発達していた。
  • 成長スピードはホモ・サピエンスより速かった。ただし寿命、性的成熟に至る年齢などは、はっきりとしない。1歳2ヶ月ほどで乳離れをしており、出産間隔も短かったとの説がある。2017年、スペイン国立自然科学博物館などが発表した論文によれば、ネアンデルタール人は成長速度が早かったのではなく、成長期が長かった可能性があるという説を唱えた。おそらく12歳ほどと思われるネアンデルタール人の少年の頭蓋骨を調べたところ、この少年の脳の重さは、成人ネアンデルタール人の87.5%ほどであったという。12歳時点のホモ・サピエンスの脳の重さは、大人の95%ほどになっているとされる。この事から、ネアンデルタール人は成長期がホモ・サピエンスよりも長くなっており、大きな頭蓋骨を持つに至った理由とされる。

以上のような相違点はあるものの、遠目には現生人類とあまり変わらない外見をしていたと考えられている。また、思春期に達して第二次性徴が現われるまではネアンデルタール人としての特徴はそれほど発現せず、特に女性の場合には(ネアンデルタール人類に限らず、現生人類を含む全ての進化段階で)形質の特殊化が弱いと考えると、我々現生人類はネアンデルタール人から見て幼児的・女性的に見えたかもしれないとも指摘されている。

その他、高緯度地方は日射が不足するため黒い肌ではビタミンDが不足してしまうこと、およびDNAの解析結果より、ネアンデルタール人は白い肌で赤い髪だったとの説がある。

ネアンデ-20

・・・・・つづく

 

・・・・・ 【ナショジオDVD】謎の人類 デニソワ人・・・・・

-/-/-/-/-/-/-/-/-

前節へ移行 ;https://thubokou.wordpress.com/2019/07/23/

後節へ移動 ;https://thubokou.wordpress.com/2019/07/25/

 ※ 下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます  ⇒ ウィキペテ ゙ィア=に移行
*当該地図・地形図を参照下さい

  

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【疑心暗鬼;民族紀行】 http://bogoda.jugem.jp/

【浪漫孤鴻;時事心象】 http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【閑仁耕筆;探検譜講】 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon