補講・ネアンデルタール人 (6/7)

Ӂ 長期連載:探検的・冒険的行動で世界を視座するフィルドワーク Ӂ

【この企画はナショジオ記載文趣“古代文明・歴史・冒険・探検”にその背景を追記・補講した】

〇● 現生人類と共存していた時代、ネアンデルタール人の身に何が起きたのか ●〇

なぜ彼らだけが滅びたのか

そのヒントはDNAと歯に隠されていた

◇ 補講・ネアンデルタール人(Neanderthal) 6/7 ◇

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ネアンデルタール人文化

彼らの文化はムステリアン文化と呼ばれ、旧石器時代に属している。また、この項目で記されている内容は、ネアンデルタール人の生息年代や生息地域が広大であることからも分かるように、全ての時代・地域で共通してみられる文化であることを必ずしも意味しない。

・人口

これまで数千もの標本が発見されてはいるが欧州大陸での総人口は多くても6千人ほどで、 地球全体でも人口が2万人を超えることはほとんどなかったと思われる。

・石器

ネアンデルタール人は、ルヴァロワ式と呼ばれる剥片をとる技術を主に利用して石器を制作していた。フランソワ・ボルドは石器を60種類ぐらいに分類しているが、実際の用途は非常に限られていて、狩猟用と動物解体用に分類できる。左右対称になるよう加工されたハンドアックス(握斧)や、木の棒の先にアスファルトで接着させ穂先とし、狩りに使用したと考えられている石器などが発見されている。

・住居

洞窟を住居としていたと考えられることが多い。洞窟からはネアンデルタール人の人骨だけでなく、哺乳類の骨が多く見つかっている。遺跡で見つかる骨が四肢に偏っているのは、狩猟の現場で解体し、大腿部などを選択的に持ち帰ったと考えられる。海岸近くの遺跡では食用にならない程小さな貝が見つかることもあり、これはベッド」に用いられた海草についていたのではという説がある。また遺跡からは炉跡が多く見つかっており、火を積極的に利用していたと考えられているが、特定の場所を選択的に炉として利用していなかった。

・埋葬

ネアンデルタール人は、生活の場と埋葬の場を分けるということをしていなかったようだが、遺体を屈葬の形で埋葬していた。1951年から1965年にかけて、コロンビア大学教授R・ソレッキーらの研究チームはイラク北部のシャニダール洞窟の調査で、ネアンデルタール人の化石とともに、ノコギリソウや、ヤグルマギクなど数種類の花粉を大量に発見した。量の多さとこれらの花が現代当地において薬草として扱われていることから、ソレッキー教授らは「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を遺体に添えて埋葬する習慣があった」との説を唱えた。

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・芸術  

芸術や美術については確かな証拠がない。なお、切歯が大きく磨り減っていることから、歯で噛むことで動物の皮をなめして防寒用のコートを作るなど、服飾文化を持っていたとの仮説もある。またフランスの遺跡からはシカやオオカミの歯を利用した、ペンダント状のものが発掘されている(正確な用途は不明)。またショーヴェ洞窟洞窟壁画を、その年代からネアンデルタール人の作品であるとし、最後期のネアンデルタール人は芸術活動が行われていたと考える研究者も存在する。

近年、6万5000年以上前に描かれたスペインのラパシエルガ洞窟の壁画が発見され、ネアンデルタール人が芸術活動を行っていたという見方が強まっている。現生人類がヨーロッパに到達したのは、約4万5000年前と見られており、この時期のスペインにはまだいなかったとされる。2018年2月22日付けのサイエンスに発表された論文によれば、スペインのラ・パシエガ洞窟の他、マルトラビエソ洞窟、アルダレス洞窟で、同じく6万5000年前にネアンデルタール人が描いたと思われる壁画が見つかった。

また、彩色した貝殻を宝飾品として使っていたという。なお、これらの芸術は抽象的な模様のみが見つかっており、動物や人など実際の対象を描く具象芸術については、まだ明確な証拠はない。ただ、動物を描いた壁画のうち、まだ年代が特定されていないものがいくつかあり、それらがネアンデルタール人によって描かれた可能性はあるという。

・食人行為

この他、調理痕のある化石が発見されたことから、ネアンデルタール人には共食いの風習があったと考えられている。一方、反対意見として、埋葬に当たっての儀礼的な肉剥ぎ(excarnationまたはdefleshing)ではないかとする説もある。2016年12月にエレーヌ・ルジェ率いる国際研究チームはベルギーのゴイエ洞窟で切断された痕跡がある人骨を発見し、洞窟に居住していたネアンデルタール人が骨髄を取り出すために人骨を粉砕するなど食人行為をしていたと結論付けた。

・火の利用

前期旧石器時代ホモ・エレクトスを使っていたかどうかについては異論を唱える学者もいる。しかし、中期旧石器時代のネアンデルタール人が火を使っていたことに関しては異論が少ない。

ネアンデルタール人による火の使用の跡はいくつも見つかっている。例えばフランスのドルドーニュ県XVI洞窟からは、乾燥した地衣類を燃料に使った6万年前の炉の跡が見つかっている。また、ブリュニケル洞窟からは少なくとも4万7600年前の炉の跡が見つかっている。

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ただ、ネアンデルタール人が実際に火を起こす方法を知っていたのかどうかについては、論争がある。一般的には、ネアンデルタール人は自ら火をおこすことは出来ず、火山や落雷など、自然の原因で生じた火を使用していたという見方が一般的である。しかし、ネアンデルタール人の道具には、削れた燧石が含まれているという調査もあり、この燧石と黄鉄鉱白鉄鉱を打ち合わせて火花を飛ばし、火を起こせたとする研究結果もある。

ネアンデルタール人進化

ネアンデルタール人の最も古い化石は中部更新世から発見されており、シュタインハイム人、サッコパストーレ人、エーリングスドルフ人その他幾つかが知られている。これらは時代的には典型的な後期ネアンデルタール人より早い時代に出現したという意味で「早期ネアンデルタール人」と呼ばれる。

時代が古いため、一面では原始的であり、脳容量が小さく、眼窩上隆起が発達するなどの特徴があるが、一方で後に出現したネアンデルタール人よりホモ・サピエンスに共通する特徴が多い。すなわち、頭骨は丸みを帯びて後期のネアンデルタール人より頭高が高く、額のふくらみも発達し、更に上顎骨には犬歯窩が存在する(犬歯窩はホモ・サピエンスになって初めて現れる形質)。

このように、早期ネアンデルタール人には後期ネアンデルタール人よりも進化していたとさえ言える特徴があり、大きな謎とされていた。現在では、ネアンデルタール人は下部洪積世にホモ・サピエンスと分岐したとされているので、かつて早期ネアンデルタール人の進歩的特長と言われた部分はホモ・サピエンスの祖先と分かれて間もない頃の、双方に共通する特徴が残っているものだと考えられている。

また、彼らの化石は大部分が女性のものと思われるので、性差により進歩的に見えているとも、犬歯窩と見えるのは土圧による変形に過ぎないとする説もある。

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・・・・・つづく

 

・・・・・ 歯でわかる絶滅したネアンデルタール人の生活・・・・・

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