“知のフロンティア・学究達/124”木部暢子(08/10)

◇◆木部暢子(08) /  第4回 「方言」と「言語」の違いとは =2/2= ◆◇

実はこのプロジェクトは始まったばかりで、2010年に喜界島、2011年に宮古島を調査して、2012年9月に八丈島と12月に与論島を調査する予定だという。

喜界島の調査では、すでに「3点セット」が作られ始められていた。

「これ、語彙はまだ2000にいってないんですけどね。地元の人向けのものと、言語学者が使うインターナショナル・フォネティック・アルファベットで書かれたものと2種類あります。文法書がこちら。まず音韻概説があって、この辺がアクセント──」

と大部な冊子を指さし教えてくださった。辞書の冒頭の語彙は「毛」で発音は「ひー」、「血」は「つぃー」、「帆」は「ふー」。語彙はずいぶんと違う印象だ。

なお、インターナショナル・フォネティック・アルファベットは、訓練を受けた人なら世界中の誰が読んでも同じ音声が復元できるように作られている。世界で使われているほとんどの音声が記述できる言語学仕様の表記法だ。

テキスト、辞書、文法書という3点セットは、むしろ古典的なもので、現在は録音資料の録音と活用も、ひとつの大きなテーマになっている。というか、3点セットにそれぞれ、音声をリンクさせた形で公開することも可能なわけだから、木部さんのプロジェクトでは、印刷媒体だけではなく、ウェブサイトで3点セットを公開した上で音声データをリンクする準備をしているという。

最初に想像した以上に手間がかかりそうな調査研究だ。また、待ったなしの調査でもある。

「このような大々的な調査は、1年に1地点か2地点くらいが限界ですね。喜界島と宮古島には40人ほどが行きました。研究者と学生が半々くらいで、それぞれ1週間くらいの滞在です。調査団をグループに分けて、例えば文法調査する人だとか、音声、発音を調査する人だとか、それぞれ、たくさんの人に方言を聞いたんですね。喜界島の場合は、80人ぐらい話者が来てくれました。年齢的にはかなり高齢。大体70歳以上ですね。そういう方たちは日常会話では方言を使っていて、すらすら出てくる。最近使わなくなった言葉をちょっと思い出せないっていうのは、ありましたが」

ちなみに、出てこない言葉には、おたまじゃくしとか、カエルとか、子ども時代には親しくとも、そのうち話題にしなくなるものが含まれていたそうだ。遊びの名前などもきっとそうだろうと想像した。

また、危機言語の調査・保存をする時、木部さんは新たな問題に突き当たった。喜界島は周囲が100キロ、人口8千人の小さな島なのだが、それでも集落ごとに言葉は違う。調査しようにも、いったいどこの言葉を中心にすればいいのか、という点。

「理想は集落全部やりたいんです。でもそれは無理なので、全域が均等になるようにピックアップしていくわけです。喜界島の中心地は今は湾という地域なんですね。港もあれば、空港もある。でも、湾の言葉で喜界島の方言を残すと他の地域の人は自分たちの言葉が湾の言葉に飲み込まれた気持ちになる。それはどこに行ってもそうで、奄美大島でも、徳之島でも同じです。

だから、私はいつも言っています。例えばテキストの見本、文法書の見本ができたら、これを直して自分たちバージョンをつくってくださいって。それでも、私たちも気をつけなきゃいけないなと思うんです。少数のものを守ると言いながら地方に行って、実は地方を単一化してしまうという過ちを犯してるのでないかと。いつも、そういう心配を持ちながら調査しなきゃいけないと思っています」

グローバルに言語の多様性を守る活動が、ローカルな多様性を犠牲にしてしまう可能性!

言語という人類のあり方の粋ともいえる現象は、本当に「取扱注意」であり、言語学者はそれをわきまえて進まねばならないのだ。

次回は“第5回 消滅危機言語をなぜ守らなければならないのか”に続く・・・

■□参考資料: 「大阪弁は消滅危機言語」という意外な現実 (1/3)  □■

方言が消えると、何が困るのか?—

 約2500言語が「消滅危機」

「消滅危機言語」ということばを聞いたことがあるだろうか。

「絶滅危惧種」なら聞いたことがあるが、消滅危機言語は聞いたことがないというかたが多いのではないだろうか。

絶滅危惧種とは、絶滅のおそれのある野生生物のことで、IUCN(国際自然保護連合)や学術団体、NGO、日本の環境省、各都道府県などがレッドリストを公表している。

消滅危機言語はその言語版にあたる。すなわち、使用する人が極めて少なくなり、近いうちに消滅のおそれのある言語のことで、2009年にユネスコがそのリストを公表した。

それによると、世界に存在する約6,000ないし7,000の言語のうち、約2,500が消滅の危機にあり、日本では八つの言語――アイヌ語、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語――が消滅の危機にあるという。

野生生物の絶滅と言語の消滅は、どちらも同じくらい深刻な問題のはずだが、人は往々にして野生生物には敏感で、人間の言語には鈍感である。

たとえば、日本の在来種のトキは2003年に絶滅したが、中国からトキを借り受けて人工増殖を行い、産まれたトキを自然界に戻す事業が国や地方自治体の主導で実施されている。

その取り組みは、環境省のホームページやマスコミなどで紹介され、一般市民もまた、結果に一喜一憂する。

大阪弁も危機言語

一方、言語に関しては、文化庁が危機的な状況にある言語・方言の実態調査やアーカイブ化の事業を実施しているものの、極めて小規模な予算であり、言語の消滅を食い止めたり、自然界(地域社会)で言語を復活させたりする活動には、とても結びつかない。

何より、消滅危機言語に対する一般市民の関心度が低いのがいちばんの問題である。

「消滅危機言語というのは、アイヌ語や沖縄のことばのことだろう?」「生物や言語が消滅するのは、自然の流れであって、しかたないんじゃないの」と思っている人が多いのである。

しかし、じつはそうではない。

たとえば、大阪弁も危機言語である。大阪というと、東京に対する西の拠点として独自の言語と文化を堅持しているような印象が強いが、必ずしもそうではない。

一例をあげれば、大阪弁の代表格に「さかい」という語がある。「だから」の意味で、「大阪で生まれた女やさかい」(BORO)の「さかい」であるが、今から30年前、すでに20歳代の若者は8.9%しか「さかい」を使っていないという調査報告がある(真田信治『方言は絶滅するのか』PHP新書)。 ・・・・・・明日に続く

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「日本の消滅危機言語・方言の記録とドキュメンテーションの作成」木部暢子

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“知のフロンティア・学究達/123”木部暢子(07/10)

◇◆木部暢子(07) / 第4回 「方言」と「言語」の違いとは =1/2= ◆◇

  木部さんは、「消滅危機方言の調査・保存のための総合的研究」という共同研究のプロジェクト・リーダーだ。

 この研究を国立国語研究所が各研究機関と連携して行う背景には、やはり、2009年のユネスコ発表の影響がある。なにはともあれ国連機関が国際的スタンダードとして示した危機言語の中に、日本国内で話されているものがいくつも含まれていたのだから。

 目下のところ年に1~2カ所のペースでフィールドワークをして、危機言語の記録を作っているのだそうだが、そこに行く前に「方言か独立言語か」という問題に軽く触れておこう。

 ユネスコの危機言語の発表が報道されたとき、多くの人が「八丈語や奄美語」って方言じゃないの? と感じたようで、木部さんもよく質問されたという。この素朴な疑問の背景には、純粋に言語学的というより、歴史、社会、文化、政治などが複雑に絡まった複合的な事情が横たわっている。

 木部さんによると──

「言語学的に、同じ言語かどうかというと、まずお互いに通じるか通じないか、かりに通じないにしても地理的なつながりの中で連続的に変化しているかどうかを重視します。でも、国という概念が入ってくると、もう政治的な背景を抜きでは語れないんですね。例えば、奄美、沖縄の場合は、言語的な定義からは、本土とは通じませんし、ちょうどトカラ列島を境にしてはっきりと切れている。言語学的には別言語と呼んだほうがいい。でも、奄美語、沖縄語といってしまうと、じゃあ、ここは日本じゃないのかというイメージを地元の人たちが持ってしまう。日本に復帰するかどうかとか、復帰してよかったのかとか議論している時には、そうは言えませんよ。でも、最近になって、やっと、奄美語、沖縄語と言ってもいいかなって思える雰囲気ができた」

 その背景は、「日本ではないのか」という議論ではなくて、「言葉は我々の文化」という意識が芽生えてきたからだという。だから、2009年の段階で、例えば沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語などと、ユネスコから独立言語として扱われたことも、それほど問題にはならなかったそうだ。

 というわけで、「消滅危機方言の調査・保存のための総合的研究」の出番。ユネスコとは違い、あくまで「方言」としているのは、木部さんら研究者の見解とは違い、国立国語研究所としてはもう少し慎重になっているということか。

 なにはともあれ、この研究はどのように行われているのだろう。消滅の危機にある方言(言語)の調査・保存とは?

「言語の保存で一番望ましいのは、地元の方が子どもたちに残してくれることなんですね。わたしたちに何ができるかというと、手助けになるものをつくることです。外国語を学ぶのとおなじで、テキストをつくって、グラマー、文法書をつくる。それから辞書もつくる。この3つで、3点セットって言ってるんですけども、今は素人でもデジタル録音で、質の良い音声を記録できるので、録音資料を残すこともやっています」

 さらりと言われたが、非常に膨大な時間と努力が必要であるように思われる。ある言語の辞書と文法書をつくるとなると、それだけでも大部なものになるのではないか。

「たしかに、単語は無限といっていいほどたくさんあるので、辞書をつくるとしても、完璧を目指したらきりがないわけですよ。それで、とりあえず2000単語を目指しています。ただ、2000単語の辞書をつくるのも、それだけで大変です。意味記述をして、発音も書いて、辞書の形にしていく。それと文法書。その言語を知らない人、あるいは昔、話していたけど忘れてしまった人が、辞書を引きながら文をつくっていけるものをつくる。録音資料の場合は、それだけでは後の人が使えないので、文字化資料もつくって、この単語は名詞でどんな意味だ、この単語は動詞でどんな意味だとタグをつけていく。それが、ものすごく時間がかかる作業なんですね」

 ・・・・・・明日に続く・・・

■□参考資料: 「いま何もしなければ」なくなってしまう(4/4) □■

地域の言語を守る理由

では,地域の言語を守る理由はどこにあるのでしょうか。これについてよく言われるのは,次のようなことです。

(1)言語は地域の環境や文化・社会の中で,長い年月をかけて作られてきた。テプファー国連環境計画(UNEP)事務局長のことばを借りれば,「伝統,文化の継承を支えてきたことばを失うことは,自然の貴重な教科書を失うことに等しい」(2001年UNEP 閣僚級環境フォーラム,ナイロビでの発言)。

(2)言語はアイデンティティ(自分が自分であること)の象徴である。言語は人々の間に連帯意識をもたらし,コミュニティーのまとまりを強くする。

(3)言語には,コミュニケーションツール(道具)としての役割と知識や思考,感情・感性の基盤としての役割がある。人は言語によって世界を認識し,さまざまな思考を行い,感情や感性を働かせている。その仕組みの多くは,まだ解明されていない。多くの言語や方言がなくなるということは,言語の仕組みを解明する手がかりの多くが失われてしまうことを意味する。

(1)と(2)については,説明の必要はないと思います。ただ,(2)については注意が必要です。なぜなら,(2)は逆にいうと,その言語を使わない人を排除することに繋がるからです。人々を結びつけると同時にそれ以外の人を排除する,諸刃の剣であることを自覚しておく必要があります。

(3)は少し説明が必要かもしれません。言語をコミュニケーションツールとして捉えるならば,じつは言語は1つの方が効率的です。日本における1970年ごろまでの方言禁止教育は,子どもたちが仕事で都会へ出て行ったときに,きちんとコミュニケーションがとれるようにという配慮のもと,方言よりも標準語を優先させた結果です。

一方,知識や思考,感情・感性の基盤としての言語は,多様な方がいい。これについて考えるために,次のような想像をしてみましょう。

1つの言語しかない世界

もし,1つの言語しかない世界になったとしたら,どういうことが起きるでしょう。だれとでもコミュニケーションができて便利です。人々は1つの言語だけを学べばいいので,楽かもしれません。しかし,どこへ行っても同じ言語しか聞こえてこない世界が果たして豊かでしょうか?

人は他人と違うことによって,自分はどうなのだろうと考えます。「蜜柑」のことを奄美や沖縄でクニブと言いますが,「どうしてクニブなのだろう」と考えることにより知的好奇心が刺激され,知識の蓄積へと繋がっていきます。このような世界こそ,豊かな世界ではありませんか?

もちろん,コミュニケーションツールとしての標準語も必要です。言語を2つ覚えるのは負担だと思われるかもしれませんが,そんなことはありません。現に,沖縄のお年寄りたちは,立派なバイリンガルです。むしろ若い人たちの世代でモノリンガル化が進んでいます。とてももったいない話です。

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与論方言調査ドキュメント ~言語と文化の多様性を守るために~

・・・https://youtu.be/vwfq2RpKksQ・・・
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