“知のフロンティア・学究達/122”木部暢子(06/10)

◇◆木部暢子(06) /第3回今もありありと思い出すぼくの「言語喪失」体験 =2/2=◆◇

 考えてみれば、標準語教育、共通語教育にしてみても、集団就職した子が、都会で馬鹿にされないように(早くアコモデイトできるように)という配慮だった面があるわけで、「三丁目の夕日」の六ちゃんは、言語の上でいつまでもアコモデイトしない珍しい例だったのかもしれないと、あらためて思う。その一方で腑に落ちないことがある。

 ぼくは、小学6年生の時(1980年代はじめのはずだ)、関西弁を話せなくなった自分について、喪失感と怒りを感じた。

 関西弁(正確には明石弁)が汚い言葉などとは思っていなかったし、「だべ」とか「だっぺ」とか言っている連中に「言葉が直った」などと言われるのはまことに心外だった。つまり、自分の元の言葉に愛着を持っていたと言ってよい。

 そういえば最近話した種子島の中学生たちは、「わたしたち、タネ弁、使えないよね」と言いつつ、クラスの中で「おばあさんに教えてもらって、タネ弁を沢山知っている」と自慢する子がいると聞いた。地元弁を沢山知って使えることは、「汚い」のではなく、むしろ自慢できることらしい。これは、言葉をめぐる考え方がどこかで変わってきたということなのだろうか。

「ユネスコの危機言語の発表は2009年でしたが、そこに至るまでに、世界のあちこちで、言語の多様性を見直す動きがあったわけです。アメリカでは、1990年代ぐらいには、危機言語を守る動きが出てました。もっと早かったのは、オーストラリアのアボリジニですかね。オーストラリアでは、死滅寸前のアボリジニの言語を再活性化した例もありました」

 と述べつつも、この部分での木部さんの説明は、ぼくが期待したほど前向きなものではなかった。

「言語を守る動きは、うまく民族の多様性を尊重しようという方向でいけばいいんですけれど、アメリカなんかですと、根深い差別と結びついていたわけですね。ある言語をしゃべる人、英語をしゃべれる人としゃべれない人、英語をしゃべれる人はいい職につけるけども、しゃべれない人はつけない。日本もちょっと似たようなところがあって、言葉がおかしいって差別されることが、昔、実際あったんですね」

「言葉自体がいい悪いという問題ではなくて、社会的条件なんです。それで、少数の言語を守りましょうと言っても、地元の人は言葉によって差別されてきた経験があるので、そっとしておいてほしいという流れが、アメリカではありました。で、日本ではそっとしておいてほしいというか、もっと積極的に私たちの言葉汚いでしょうっていう反応になったわけです」

 木部さんが、いや世界の言語学者が、フィールドで似た経験をしているとしたら、それはまことに重たいことだ。

 にもかかわらず「タネ弁」を話せることが自慢できるような若い人たちがいるのも紛れのない事実であり、その点については、木部さんも心強く感じているという。

「アイヌ語は若い方が勉強するようになってます。そのためのラジオ講座もあるんですよね。アイヌ語でロックミュージックを作る人ですとかいますね。それを言うなら、沖縄でも奄美でも島の言葉で音楽を作る人たちがいます。それから奄美では、あまみエフエムというFM局が方言の番組をつくってるんですよ。若い方が、おじいとかおばあにインタビューして、方言を話してもらう。それで、年寄りが元気になる。言葉はメディアに乗ると強くなります」

 結局、木部さんがいう「差別の経験」を直接知らない世代が社会の中軸を担うようになり、自分たちの地元のアイデンティティを探したときに、失われつつある言語を見いだした、ということなのかもしれない。今は一部の動きであっても、ここから先、加速していく可能性がある。しかし、それが期待しにくい地域も確実にあって、やはりそこは、言語学者に登場願わなければならない。

次回は“第4回「方言」と「言語」の違いとは”に続く・・・

■□参考資料: 「いま何もしなければ」なくなってしまう(3/4) □■

地域言語コンテンツの制作

言語の記録として収集している談話資料には,地域に伝わる昔話や,地域の人の創作物語があります(一部は kikigengo.ninjal.ac.jp で,音声付きで公開されています)。私たちはこれらの談話資料を利用して地域言語の絵本を制作し,地域言語の記録を蓄積しつつ,その一部を継承保存に利用しています。

地域言語の絵本は,多くの潜在話者が含まれる「親の世代」が,子どもへの読み聞かせに利用しているほか,これをモチベーションにして,地域言語の習得・練習にも利用しています。絵本の付録に付く朗読音声とことばの解説は,フィールド調査によってデータを収集し学術論文として執筆したものなどをもとに,地域言語コミュニティが利用できるかたちにして制作しています。

この例のように,言語の記録を利用した地域言語コンテンツをとおして楽しみながら地域言語を(再)習得することで,一人ひとりが地域言語の復興に取り組み,結果的に社会の中と個人の中の言語の多様性が保全された豊かな社会を維持していけるような研究を,私たちは行っています。

多様な言語が話される世界を目指して

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は2009年に“Atlas of the World’sLanguages in Danger”(『世界消滅危機言語地図』)を発表しました。世界で約2,500の言語が消滅の危機にさらされているという発表です。日本で話されている言語のうち8つの言語―北海道のアイヌ語,沖縄県の与那国語,八重山語,宮古語,沖縄語,国頭(クニガミ)語,鹿児島県の奄美語,東京都の八丈語がその中に含まれています(図1図1 : 日本の危機言語・方言(ユネスコ2009 をもとに作成))。

この背景には,世界中で先住民が迫害されたり差別されたりして,人権が脅かされている,その人権を守ろうという国際連合の決定がありました。1982年に国連に先住民作業部会が作られ,93年には「国際先住民年」が,1995~2004年には「世界の先住民の国際10年」が制定されています。これを受けてユネスコは,2001年に「文化の多様性を尊重する宣言」を採択し,2003年に危機言語部門を立ち上げ,2009年の『世界消滅危機言語地図』の発表となったのです。

日本では

日本では1970年ごろまで「方言を使わないようにしよう」という教育が行われました。沖縄県や鹿児島県には,方言札というものがあって,学校で方言を使うとこれを首から下げさせられることがありました(写真①)。

そこまでしなくても,「方言を使わないように」という教育は各地で行われました。このため,この時期に学校教育を受けた人たちは,方言に対してあまりよい感情を持っていません。最近は多少,「方言は大事だ」という意識へ変わってきているようですが,それでもまだ「方言よりも標準語の方がいい」,「方言は必要ない」と考えている人はたくさんいます。

このような歴史とテレビの普及や人口の都市への集中といった生活の変化が重なって,いまやユネスコの発表にある8つの言語だけでなく,各地の言語・方言が消滅の危機に瀕しています。  ・・・・・・明日に続く

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4冊の琉球諸語絵本の冒頭部分【原語と訳の字幕付きです】

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“知のフロンティア・学究達/121”木部暢子(05/10)

◇◆木部暢子(05) / 第3回今もありありと思い出すぼくの「言語喪失」体験 =1/2=◆◇

よか、はだもっ(はだもち)、ごわすな。(≒すごしやすい陽気ですね)

 木部さんが挙げてくれた失われつつある鹿児島の表現に、地域が育んだ一種の皮膚感覚ともいえる深みを感じて、胸がきゅーんとしてしまったわけだけれど、ぼくがそのように強く感じたのは、幼い頃の個人的な体験が関係しているかもしれない。

 実はぼく自身、「言語を喪失した」経験がある。本人がそう感じているから、まあ、事実だと言ってよい。

 ぼくは1964年に兵庫県明石市に生まれた。ざっくり言うところの関西弁を喋っていた。

 親の仕事の関係で、小学3年生の春に、千葉県千葉市に引っ越した。生活環境はがらりと変わった。特に言葉の違いは、驚くほどだった。

 10年ほど後になると漫才ブームが起きて、関西弁はテレビで普通に話されるようになった。でも、ぼくが引っ越した頃の千葉市では、訳の分からない言葉をしゃべる奴としか思われなかった。なにかを口にしただけで笑われた。特に、自己紹介の時に、爆笑されからかわれたのは堪えた。

 というわけで、ぼくは無口になった。耳を澄まし千葉のイントネーションを覚え、関西弁を自ら封印した。ほんの1カ月か2カ月で、笑われることはなくなったし、ぼくとしても意識せずとも新しいイントネーションや語彙で話せるようになった。それで一件落着、というわけだった。

 ところが、この時、無理に言葉を押し込めたことが、後になって喪失感と怒りとして表に出てきた経験がある。6年生くらいになって、級友が「そういえば川端って、転校生だよな」と思いだした時のこと。

「言葉、直ったんだ」と言われたとたんに、感情があふれ出した。

「直ったんじゃない! 変わったんだよ」

 すごく強い語気で言った覚えがあるが、言われた側は何がなんだか分からなかっただろう。とにかく、その時、ぼくの心中にあったのは、「だべ」とか「だっぺ」とか語尾につけるような千葉の子に「直った」と言われる不条理と、昔、話していた言葉を忘れてしまったという喪失感だった。

 これはとても強い感情で、今もありありと思い出すことができる。

 国立国語研究所に、本来、話を伺う立場として訪ねておきながら、ぼくはこの件を、木部さんに語らずにはいられなかった。うんうんと、共感をあらわしつつ聞いてくださったので、調子に乗って、最後まで話した。

「それって、集団の中でアコモデイト(適応)する力、ですよね」と木部さんは言った。

 ぼく個人の体験と似たことは社会の様々な局面で見られ、実際に言語の多様性を減らす方向に働くことがあるそうだ。

「方言札教育のように、上からこういう言葉を使っちゃいけないと押しつけることがあるわけですが、もう一つは子どもたちのコミュニティの中で、自分は仲間外れにされたくない、コミュニティに溶け込みたいという、アコモデイト(適応)する力が働くわけですよ。社会生活を送る者なら、人間でもそうだし、多分サルの社会でもそうでしょう。転勤族で、親はなかなか転勤先の言語習得ができないのに、子どもは幼稚園なり小学校なり行き出すとすぐですよね。それが外国語であろうと。言語習得期という年齢の問題もあるけれど、やっぱりみんなの中に同化していかなきゃっていうんで、自ら古いものを捨ててしまうという選択をするというのは大きいと思いますね」

 ぼくの場合、個人の問題だった。ただ、社会的な背景として、ある地域の特定の言語の話者が、いっせいに、より大きな言語集団にアコモデイト(適応)していくこともごく普通に起こる。言語の多様性が失われる一大要因でもあるという。考えてみれば、標準語教育、共通語教育にしてみても、集団就職した子が、都会で馬鹿にされないように(早くアコモデイトできるように)という配慮だった面があるわけで、「三丁目の夕日」の六ちゃんは、言語の上でいつまでもアコモデイトしない珍しい例だったのかもしれないと、あらためて思う。

・・・・・・明日に続く・・・

■□参考資料: 「いま何もしなければ」なくなってしまう(2/4) □■

琉球諸語の継承保存の例

たくさんの「潜在話者」がいる

消滅危機言語の流暢な母語話者世代と,標準語モノリンガルの子どもの世代の間に,「流暢には話せないけれど聞いて理解できる」世代がいることは,これまでほとんど注目されてきませんでした。

しかし,例えば沖永良部島の40歳前後の人たちは,地域言語の理解に必要な言語知識を流暢な母語話者と同じように持っていることがわかりました(下のグラフ参照)。彼らを地域言語がまったくわからない人たちよりも少ない労力で(再び)地域言語を話すようになる「潜在話者」と呼ぶことができます。

潜在話者の多くは,言語獲得期にある子どもを育てている「親の世代」であり,彼らの地域言語使用の増加は,子どもたちが聞く地域言語量の増加につながると考えられます。私たちは,潜在話者の地域言語使用を増やすことができれば,世代間継承を再開させられると考えています。

地域言語の世代間継承度を客観的に測定する
沖永良部島の二つの集落(鹿児島県大島郡知名町上平川,和泊町国頭/クニガミ)において,それぞれの集落のことばで理解度テストをつくり,日常的に地域言語を使用している世代と,その地域で生まれ育った比較的若い世代を対象に,理解度を測定する実験を行いました。その結果,これまで「流暢な母語話者ではない」とされてきた40歳前後の人たちも,日常的に地域言語を使用している世代と同じように地域言語を理解できることが明らかになりました。また20代の理解度は個人差が大きく,地域言語をある程度理解できる人からほとんど理解できない人までいることもわかりました。

地域言語復興の課題

どうすれば潜在話者の地域言語使用を増やすことができるでしょうか。流暢な母語話者が健在なうちに,言語の継承保存だけでなく,記録保存も並行して進めなければいけません。また消滅危機言語の復興は,地域言語コミュニティの一人ひとりが取り組まなくては達成できません。

日本語標準語が支配的な現在,価値観や文化の多様性,心の豊かさの支えとなっている地域言語の価値は,中央・地方ともにじゅうぶん認められているとは言えず,「今さら方言なんか役に立たない」と考える人もいるかもしれません。そのため,地域言語コミュニティ内においても,地域言語を使用する内発的な動機づけが必要です。

これらを解決するために私たちが地域言語コミュニティと協働して行っている取り組みを一つ紹介します。  ・・・・・・明日に続く

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現代語への長い道(後半)

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