❢❢❢ 戦没者慰霊碑建立 ❢❢❢
船首を大破した駆逐艦・榊は英駆逐艦「リブル」に曳航され、なんとかクレタ島の英軍基地スーダに到着した。 曳航した英国海軍士官はテキパキと負傷者を英海軍病院に収容した。 1917年6月9日午後5時ごろより、夜を徹しての遺体への対応、日本海軍の将兵は彼らの対応に言葉が出なかったと言う。また、破損した箇所の応急処理等も夜を徹して行われたのである。
大英帝国海軍の先任指揮官であるマクロリー大佐が、深夜のもかかわらず 弔意を述べに訪れてくれた。 そのおり、戦死者の火葬や遺骨を納める小箱などの手配を快く引き受けたという。 英国海軍の日本兵への心使いは儀礼ではなかった。 箱に収め切れなかった遺灰を英海軍墓地に埋葬した。 沈痛な10日間の作業の後、19日 遺骨や遺物は駆逐艦「松」に丁寧に積み込まれてマルタへの帰路に就いた。
しかし、この10日間の内に スーダに一部埋葬して来た遺灰をも持ち帰った遺骨・遺物ともども第二特艦隊の本拠地であるマルタに埋葬し、戦没者全員を合葬し、墓碑を建てて後世に伝えようとの日英の合議が為されていた。 10月に成ると建立計画は推進され、翌年の1918年6月に完成した。「榊」被雷した一年後の6月9日に盛大な納骨式が執り行われた。榊被雷時の59名のほか、派遣中に事故や病気で亡くなった兵士を含め73名がこの地に葬られた。この墓碑は第二次世界大戦時にドイツ軍の砲撃を受け、上部四分の一が破損して終う。
その後、1921年、摂政裕仁親王が、訪欧の際にマルタ島の二特戦死者慰霊碑への訪問を強く要望され、訪れている。 そして、修復されずに放置されていた石碑は海軍関係者の強い運動が結実して1973年に再建された。 これを聞いた昭和天皇は「よかった」と心中を吐露されている。 ちなみに、「榊」は応急修理をスーダで行った後、本格的な修理修復のため、ギリシャの港に移り 一年近い復旧工事を経て、1918年8月 任務に復帰。その後 二度の交戦を経験して 終戦後には、無事日本に帰還している。数奇な運命を潜り抜けた樺型駆逐艦である。
地中海の戦況は、1918年春から開始されたアレクサンドリア(アフリカ北岸・ナイル河口西)-マルセイユ(フランス南部)間の船員輸送方法として5~7隻の輸送船に5~8隻の駆逐艦で大船団を編成して地中海を縦断する方法が執られた。一部の英国籍駆逐艦を除いて、他のすべては第二特務艦隊の駆逐艦が船団の護衛に当たった。輸送船団は日本の駆逐艦が護衛に就けば、安心したと言う。その活躍ぶりと英国を始めとした他の連合国の信頼は絶大なものと成っていた。
この大船団護送作戦の成功によって、 連合軍のアフリカ戦線から欧州西部戦線が一挙に補強される。この結果、連合国側がドイツ軍の春期大攻勢カイザーシュラハトの失敗やアメリカ軍の参戦などによる連合国軍の戦力的優位により、ドイツ軍司令部が敗北を認識し、1918年11月にドイツ政府が休戦協定を受諾するに至るのである。
大日本帝国が派遣した第二特務艦隊の功績は高く評価され、連合国五大国のひとつとしてパリ講和会議に参加、ベルサイユ条約により アジアにおけるドイツの権益を信託統治領として譲り受け、1920年には晴れて国際連盟の常任理事国と成っている。
蛇足ながら、1919年のドイツでは完全な経済破綻によって半飢餓が発生した。 連合国はライン沿岸のケルン・コブレンツおよびマインツなどを占領し、自国の復興に必要な工業設備と資金を回収した。 このような状況の中でドイツ人の間には、ドイツ軍は戦闘には勝利していたが、裏切り者による「背後の一突き」が原因で敗北したのだという神話が生じた。 社会主義者やユダヤ人を標的にしたこのような言説は、ヴァイマル共和国におけるナチスの隆盛を招く事になった。
フランスもまた戦争による消耗に喘いでいた。 若年層の喪失と、戦場となった北東部の荒廃によって経済は沈滞していた。 ドイツ軍は撤退にあたって鉱山の破壊を指令している。 この被害はドイツに対して膨大な第一次世界大戦の賠償を求めさせる動機となり、ドイツ、そしてフランスを含めた世界経済にも多大な悪影響を与えた。 ドイツとの再度の戦争を恐れたフランスは、後にマジノ線と称される長大な要塞群を国境線付近に建設することになる。
あまりの損失におののいた英仏両政府は、戦争を忌避するようになった。 アドルフ・ヒトラーによるドイツ拡張政策(1936年3月7日、ラインラント進駐)にも不十分な対応しかとれず、第二次世界大戦の冒頭はドイツ側に攻め入ることもせず、まやかし戦争と呼ばれる状態を生み出した。 戦線の各地には現在も不発弾が埋まっており、処理には700年以上かかると見積もられている。 =後日、《第一次世界大戦へのカウントダウン》を起草して その時代背景を探ってみよう=
===== 続く =====
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