550年後、目覚めた英国王=16 =

❢❢❢ 「忠誠がわれを縛る」 ・ リチャード3世 ❢❢❢

○◎ =“薔薇戦争”の最後を飾る英国王・ヨーク朝の終焉= ◎○

ミドルハム城

 ◇◆ 王冠への道――光と影 / ヨークの太陽没す ◆◇

  クラレンス公ジョージの事件=1473年の処刑=後、エドワード4世の時代は、しばらくは平穏に過ぎていた。 グロスター公リチャード(後のリチャード3世)にとっても、すべてが順調だった。 イングランド北部の統治は、若い彼に完全にまかされていた。 1480年にスコットランドがイングランド侵略の動きを見せたとき、リチャードはこれを阻止した。 また、1482年にスコットランドがふたたび侵略の動きを見せたとき、リチャードはイングランド軍をひきいて逆にスコットランドに侵攻し、バーウィック(スコットランドとの国境から南4キロの位置するイングランド最北の城郭)を陥落させると、エディンバラまで攻め込んでスコットランド軍を粉砕した。

 このときの功績で、翌年の議会では、スコットランドから奪いかえしたイングランド境界地方の土地のすべてがリチャードにあたえられた。 リチャードにとってこの時代は、翳りのない絶頂の時だった。 かれは、国王代理全軍総司令官ばかりか、スコットランド西部国境地方長官、北部総督代理となり、実質的に国王代理として、イングランド北部の統治をすべてまかされていた。 ヨークシャーの片田舎、ミドゥラムの栄光の時代だった。 この平穏な日々が長く続いていたならば、英国の歴史 いや欧州の歴史が変わっていたかもしれない。

ヨーク一門

 1483年、ヨークシャーのミドルハム城で妻子と過ごしていたリチャードのもとに、エドワード4世急死の報が届く。 まさに寝耳に水の出来事であった。 リチャードはエドワード4世が復位した翌年(1472年)にキング・メイカーと呼ばれたウォリック伯の娘アン・ネヴぃルと結婚していた。 アンは刑死した次兄ジョウジの妻イザベル・ネヴィルの妹であり、義理の姉も病死していた。 リチャードとアンには息子が授かっていた。 エドワード4世への終始忠実であったリチャード信用は厚く、ウォリック伯が残した広大なイングランド北部の領地を相続、強大な権力を手にしたものの、スコットランドとの国境線をしっかりと護り、領地を公平に治め、この地の領民のリチャードへの評判は良かったと言われていた。

 こうした1483年の春、イースターの326日ごろに、エドワード4世が突然、倒れたのである。 国王は40歳であった。 この若さでの王の死は肺炎が直接の死因であったが、彼は健康体でとくに持病を抱えていたわけでもなかった。 実は、長年にわたる不摂生な生活でかなりの肥満体になっていた。 また、派手な女性関係によって幾多の病を患っていたのは噂の域を出ていたのである。  国王の死の原因は卒中と言われ、荒淫と不摂生は伏せられた。

 また、生前のエドワード4世が側近たちを死の病床に呼ぶと、次の国王の摂政に、かれのただひとり残った弟グロスター公リチャードを指名した事実も伏せられた。 だが、エドワード4世は、側近たちに「協力して遺言状を執行し、新国王を支えるように」と告げていたのである。 このとき、皇太子エドワードはまだ12歳だった。 
 しかし、国王が倒れたという知らせが駆けめぐると同時に、宮廷では、次の王国の実権をにぎろうとする激しい権力闘争がはじまっていた。 ヨーク家の上に、ふたたび暗雲が広がってきたのである。

ミドルハイム城

 エドワード4世が倒れたころ、リチャードはイングランド北部の自分の領地にいて、ロンドンで起こっていることなど、まったく知るよしもなかった。 エドワード4世は、2週間ほど危篤状態がつづいたあと、49日に他界した。41歳になる直前のことだった。 21年間の統治だった。 そして、 エドワード4世の葬儀は、ウェストミンスター大寺院でおこなわれた。 一連の宗教行事がつづいたあとの418日、かれはウィンザー城のセント・ジョージズ・チャペルに埋葬された。 

エリザベス・ヨーク

 【皇太子・エドワードが戴冠するまでの国王代理、並びに成人するまでの後見人=護国卿=としてリチャードを指名する】と言う国王エドワード4世の遺言状を不服として公示を訝り伏せたのは、宮廷の実権を握る王妃の親族ウッドヴィル家であった。 遺言状からはエドワード4世の弟・リチャードに対する深い信頼が伺えるのだが・・・・・王妃のウッドヴィル一族から後見人を立てたうえで、王の死がリチャードに伝わる前に葬儀を終わらせ、エドワード5世の戴冠式を行おうとしたのだ。

 激しい怒りで手を震わせながら手紙を握りしめたリチャードは、一つの決断を下す。 兄・国王を支える右腕に成ろうと研鑽を積み、奪われた王位を取り戻そうと戦ってきた日々―――兄の意思を無にすることは気が咎めるが、これ以上 ウッドヴィル一族に好き勝手をさせるわけにはいかない。

Windsor Castle

Windsor Castle

 ===== 続く =====

前節へ移行 ; https://thubokou.wordpress.com/2016/04/15/

後節へ移動 ; https://thubokou.wordpress.com/2016/04/17/

※ 下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます ⇒ ウィキペディア=に移行
*当該地図・地形図を参照下さい

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【疑心暗鬼;民族紀行】 http://bogoda.jugem.jp/

【浪漫孤鴻;時事心象】 http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【閑仁耕筆;探検譜講】 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/