十字軍とテンプル騎士団=25=

❢❢❢ ソロモン神殿が聖地奪回への貧しき戦士たち = 第一部“十字軍”  ❢❢❢

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◇◆ 残留した第5回十字軍の戦い ◆◇

☛ ☞ “ダミエッタ包囲”

   1218年1月にハンガリー王アンドラーシュ2世が帰国、続いてキプロス王ユーグとアンティオキア公ボエモンが撤兵した。 残されたオーストリア公レオポルト6世やエルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌは、エルサレムを奪回して維持するには、アイユーブ朝の本拠地であるエジプトを攻略する必要があると判断した。 十字軍は前回より積極的に活動するジェノヴァ艦隊と協力してエジプト攻略の策を練った。 1098年の第1回十字軍後、ジェノヴァはシリアに定住地を獲得していた。 しかし、アイーユーブ朝の始祖サラーフッディーンの遠征の最中にその定住地の多くが失われていた。 地中海東部の制海権もイスラム勢力に奪われていたのである。

1281年8月に十字軍の侵攻に苦慮していたアイユーブ朝のスルターン・アル=アーディルが亡くなり、息子のアル=カーミルが跡を継いだ。 9月には教皇使節ペラギウスが率いる後発軍が到着し、十字軍の士気は上がったが、ペラギウスが「教皇代理」として十字軍の指揮権を要求したため、ジャンを初めとする諸侯との軋轢も生じた。 しかしながら、十字軍とエジプト軍は対峙し小競り合いを繰り返す。 そして、1219年2月になるとクルド族の反乱などが発生し、アル=カーミルはカイロに戻って対応せざるを得なくなった。

 アル=カーミルは十字軍との和睦を模索し、ダミエッタとパレスチナ南部の二つの城の確保と引き換えに旧エルサレム王国領の返却を申し出た。 加えてアイユーブ朝が有する真の十字架と、捕虜の返還が和睦の条件として提案された。 ジャン・ド・ブリエンヌや現地諸侯はこれを受け入れることを望んだが、ペラギウスは異教徒と交渉することを拒み、またエジプトの商業利権を狙うジェノヴァ勢も反対したため、提案は拒否された。

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 これは十字軍における聖地エルサレムのアドバンテージが、以前よりずっと減少していることを表している。また、十字軍の陣中にペストが流行して進軍の前に兵力が減少し、テンプル騎士団総長ギヨーム・ド・シャルトルも病に罹り陣没した。 これにより、十字軍ではジャンを支持する現地諸侯、フランス勢とペラギウスを支持するイタリア勢、テンプル騎士団を中核とする聖地騎士団との対立が明確になった。 このような状況下で、5月になるとオーストリア公レオポルト6世が帰国する。 新たな援軍も到着しており、ペラギウスは諸侯の反対を押し切って再三に渡り攻撃を命じたが、その度に跳ね返され、特に8月の戦闘では大きな被害を受けた。

アル=カーミルは再び和睦を提案したが、皇帝フリードリヒ2世の到着を期待していたペラギウスは未だに和睦を容れなかった。 アル=カーミルの包囲を破ろうとする試みも成功せず、10月に入るとダミエッタの疲労は大きくなり、11月についに城壁の一角を占領され落城した。 ジャンはダミエッタをエルサレム王国の領土と考えたが、ペラギウスは教皇領とする意向を示し、怒ったジャンは1220年2月にアルメニアの王位争いに介入するためにアッコンに戻ってしまった。 このためペラギウスが十字軍のリーダシップを握ったが、戦闘を指揮する力はないため、フリードリヒ2世の到着を待っていた。 アル=カーミルもマンスーラ(ナイルデルタに位置し、カイロの北東130km)で対峙したまま防備を固めており、持久戦となった。

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☛ ☞  “カイロ進撃”

皇帝自身は参加しなかったが、1221年5月にバイエルン公ルートヴィヒ1世指揮の元にかなりの兵を送って来た。 7月になるとジャン・ド・ブリエンヌも戻ってきてため、十字軍は攻勢に出た。 ペラギウスは勝利を確信しており、またナイル川を通じて補給を確保できると考えていたため、諸将の忠告を聞かず、十分な食糧、補給品を持たずに進撃したが、マンスーラ手前のナイル川でるた地帯で進撃を阻まれた。 おりしも雨季のナイル川氾濫期に入り、ナイルの水かさは増していた。

退路を絶たれる危険性に晒されたため、8月26日に荷駄を焼却して撤退を開始したが、それを見たアル=カーミルはナイルの堤防を切らせ、十字軍は泥沼の中で孤立することになった。 早々と焼却したため食糧もなく、8月30日には降伏し、ダミエッタを返却する条件で解放された。 他に8年間の休戦と真の十字架の返還の条件もあったが、真の十字架は既に失われており戻って来なかったのである。

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 ===== 続く =====

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