メソアメリカの古代文明 =文明・文字と伝承=
~ 知ってるようで知らないマヤ・インカ文明 ~
マヤ神話、一般に、マヤ文明の広範囲に派生した固有の宗教的神話のことを指し、この神話はメソアメリカ人によって約三千年以上前から9世紀にかけて信仰されてきた。 他の神話の例に漏れず、世界の誕生、神々が人間を創造する話などが伝わっている。
この神話には方角、色、数字、星、カレンダー、食物の収穫等についての重要性が示されていたが、大半はスペインによる征服の歴史の中で消失したため、現在明らかにされているマヤ神話は断片的である。
生け贄の人間から心臓をえぐり出し、祭壇に供え、後に神官が生け贄から剥ぎ取った皮を着用して舞踏する儀式が行われたのは、遠い昔話ではない。
マヤの人々は、あらゆるものに神を見いだす汎神的な世界観をもち、世界の四隅に住み異なる姿を持つ神チャク(Chac)などのほか、13の天に住む13の神、9の暗黒に住む9の神を恐れ、敬った。
また自然のエレメント(元素)、星や惑星、数、作物、暦や日時などに固有の神々がいると信じた。 現在のグアテマラあたりにいたとされる原住民族キチェ族に伝わるマヤ神話の創世神話に『ポポル・ヴフ』(Popol Vuh or Popol Wuj)がある。
それによれば、世界はマヤの聖域の神々の意思によって無から生み出されたとされる。
人は泥で作られ、また木で作られたが失敗であり、やがてトウモロコシで作られたものが神々を敬うという当初の計画に沿った人の出現に神々は満足したと言う。 それが銀細工師や宝飾師、石工や陶工に成長したとも言う。
創世神話のあとポポル・ブフの物語は伝説の双子の英雄フンアフプー(Hunahpu)とイシュバランケー(Ixbalanque)の物語『フンアフプーとイシュバランケー』、地底世界シバルバー(Xibalba)の主フン・カメーとヴクブ・カメーを退治する冒険譚を語る。 この創世神話と英雄譚がマヤ神話の焦点であり、しばしばマヤ芸術の題材として見いだすことができるのです。
マヤの神話では、テペウ(Tepeu) とグクマッツ(トルテカ神話及びアステカ神話のケツァルコアトル神Quetzalcoatlに相当)が創造主、創世主、始祖とされている。 彼らが最初の「在りて在る者」であり、賢者と等しい賢明さを兼ね備えた者であったとされる。
またカクルハー(雷)・フラカン(Huracan 一本足の意)あるいは単に「天の心」と呼ばれる者が存在しテペウと同一視、または分身とされる。 フラカンは嵐と雷を象徴する神格とされている(ハリケーンの語源)。
テペウとグクマッツは集まりを持ち、彼らを崇拝することのできる種族を作らなければならないと合意する。 テペウとグクマッツの分身ともいえる「天の心」及び「地の心」によって実際の創造をおこなわれた。
大地が作られ、動物が備えられる。 人間ははじめ泥で作られるのだが、すぐに壊れてしまう。 別の神々が召集されて、つぎは木で作られるが、これは魂を持たない代物であった。 そうして人はトウモロコシから作られ神々とその行いは完成にいたる。 そして、 それが銀細工師や宝飾師、石工や陶工に成長し、神々の手元から離れ大地に住まわった言う。
※; 主な神
・キニチ・アハウ – 太陽の神 ・チャク – 雨の神 ・フラカン – 風、嵐の神、創造神 ・ヤム・カァシュ – トウモロコシの神 ・テペウ - ナウア語で「王」の意 ・ククルカン – 翼を持った蛇の神。グクマッツ ・イシュムカネーとイシュピヤコック – 創造神 ・イシュバランケー – ジャガーの神 ・フン・アフプー ・フン・フンアフプー ・フナブ・クー – 創造神 ・シバルバー – 死の神 ・イシュ・チェル – 月の神 ・イシュタム – 自殺の神 ・イツァムナー – Reptile Creator God ・ボロン・ツァカブ (Bolon tza cab) – Ruling God of All ・バカブ – 4つの方角の神 ・ア・プチ
メソアメリカ文明はおおむね オルメカ文明 – テオティワカン文明 – マヤ文明 – トルテカ文明 – サポテカ文明 – アステカ文明と各文明支枝は、相互に影響を与えつつ文明の大樹形成し、流れた。
マヤ文明の特徴として、 青銅器や鉄器などの金属器を持たず、高度な石器を多用した文明なのだが、 以下のような点が挙げられる。
- 戦争での主力兵器は棍棒や石槍、弓矢だった
- 戦争で勝っても敵は皆殺しにせず、解放して従わせることが多かった
- 古い建築物の上にまた新しい建築物を建てるという特殊な建築手法を行っていた
- 車輪の原理は、土偶などの遺物に出てくるにもかかわらず、実用化しようと考えていなかった。 一説には発明によって変化する精神文化への配慮があったともされる
- 牛や馬を飼育しなかった。そのため物資の運搬は常に人力だった
- とうもろこしの栽培のほかにラモンの木の実などが主食だった
- 焼畑(ミルパ)農法や段々畑・湿地で農業を行った
- 数学を発達させた(二十進法を用い、零の概念を発明した)
- 文字種が4万種に及ぶマヤ文字を使用していた。 数字は、点(・)を1、横棒(-)を5として表現したり、独特な象形文字で表現された
- 持ち送り式アーチ工法など高度な建築技術を持っていた
- 極めて正確な暦を持っていた(火星や金星の軌道も計算していた)
- 多くの文明は河川の水の恵みにより発展してきたが、マヤ文明はセノーテとよばれる天然の泉により発展した
農業技術については、段々畑で作物を作り、湿地では、一定の間隔に幅の広い溝を掘り、掘り上げた土を溝の縁に上げその盛り土の部分にカカオなど農作物を植えた。定期的な溝さらえを行うことにより、肥えた水底の土を上げることによって、自然に肥料分の供給をして、栽培される農作物の収量を伸ばすことができた。 この湿地利用によく似た農法としてメキシコ中央部にはチナンパという湿地転用農法があり、各地に伝播したようだ。
オルメカ(Olmeca)とは、紀元前1200年頃から紀元前後にかけ、先古典期のメソアメリカで栄えた文化、文明である。 アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明であり、その後のメソアメリカ文明の母体となったことから、「母なる文明」と呼ばれる。
オルメカとは、ナワトル語で「ゴムの国の人」を意味し、スペイン植民地時代にメキシコ湾岸の住民を指した言葉である。 巨石や宝石を加工する技術を持ち、ジャガー信仰などの宗教性も有していた。 その美術様式や宗教体系は、マヤ文明などの古典期メソアメリカ文明と共通するものがある。
オルメカの影響は中央アメリカの中部から南部に広がっていたが、支配下にあったのは中心地であるメキシコ湾岸地域に限られた。 その領域はベラクルス州南部からタバスコ州北部にかけての低地で、雨の多い熱帯気候のため、たびたび洪水が起こった。 しかし、河川によって肥沃な土地が形成され、神殿を中心とした都市が築かれた。
オルメカの文化は、出土するさまざまな石像に現れている。 人間とジャガーを融合させた神像は、彼らにジャガーを信仰する風習があったことを物語っている。 祭祀場では儀式としての球技が行われ、その際には人間が生贄として捧げられた。 また、絵文字や数字を用い、ゼロの概念を持つなど、数学や暦が発達していた。
特徴的な美術としては、巨石人頭像やベビーフェイスと呼ばれる石像が挙げられる。大きな石彫だけでなく、ヒスイのような宝石を使った小さなものもあった。 巨石人頭像は、大きいもので3メートルもの高さがある巨大な石像である。 胴体は存在せず、頭部だけが作られたものと考えられている。 左右に広がった低い鼻や厚い唇といった顔立ちは、ネグロイド的ともモンゴロイド的ともいわれる。
テオティワカン (Teotihuacan)とは、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり、紀元前2世紀から6世紀まで存在した、 テオティワカン文明の中心となった。 巨大な宗教都市で今日重要な遺跡で、当時のアメリカ大陸では最大規模を誇っていた。
テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。
この都市で祀られた神々は、農業・文化と関係深いケツァルコアトルや水神トラロック、チャルチウトリケ、植物の再生と関係あるシペ・トテックなどである。 古代都市に固有の城壁が存在しないことから戦争や圧政のない平和な都市と考えられていたが、近年の発掘調査の結果から、多数の殉教者、生け贄を捧げる風習が存在したことが判明し、戦士の壁画も発見されている。
社会についてはあまり知られていないが、規模から考えると神権的な権威が存在し、高度に階層が分化し、発達した統治組織があったものと推測されている。 市内には職人の地区が設けられ、盛んな商業と交易の中心地であり、農民たちの巡礼となって集まる信仰の中心地でもあった。
太陽のピラミッドの地下には、人類の起源の地との伝説のあるチコモストックをおもわせる七つの洞穴が枝状につながる洞窟があったため、都市を建設する際の立地条件になったのかもしれない。
紀元前50年にテスココ湖の南方に立地したクィクィルコがシトレ火山の噴火によって埋まると急速に発展した。 都市の面積は約20平方キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。 しかしながら人口の集中に伴い下水道もその処理能力を超えるようになり、やがて旱魃等の災害により、治安が悪化して、やがて滅びを迎えたが、メソアメリカの中心的都市として機能していた。
テオティワカンとは、「神々の都市」という意味で、これは後にこの地にやってきたアステカ人が命名した。 古代都市テオティワカンとして、1987年に世界遺産(文化遺産)に登録されている。
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