マヤ・インカ文明 =Ⅰ- 53

メソアメリカの古代文明  =文明・文字と伝承=

~ 知ってるようで知らないマヤ・インカ文明 ~

インカー36-

インカ帝国の拡大と強化

伝統的にインカの軍は皇子に統率されていた。  パチャクテクの皇子であったインカ帝国の10代サパ・インカであるトゥパック・インカ・ユパンキは1463年北征を始め、1471年パチャクテクが死亡してからはサパ・インカとして征服事業を継続し、彼の手になった征服中、最も重要であったのはペルー海岸を巡る唯一の真の敵であったチムー王国に対するそれであった。 トゥパック・インカ・ユパンキの帝国は、現エクアドル、現コロンビアにまで及ぶほど北に伸長した。

トゥパック・インカ・ユパンキの皇子であったワイナ・カパックは、現エクアドルとペルーの一部に当たる北部にわずかな領土を付け加えた。

最盛期のインカ帝国は、ペルー、ボリビア、エクアドルの大部分、マウレ川以北のチリの広大な部分とを含んでいた。 帝国の南進は、マプチェ族による大規模な抵抗に遭ったマウレの戦いの後に停止する。 しかし一方では、帝国の領域は、アルゼンチン、コロンビアの一角にまで及んで行く。 しかし、帝国南部の大部分(コリャ・スウユと命名された地方)は砂漠による不毛地帯であった。

インカ帝国の成立と拡大を前節に続き俯瞰したがでは、インカ帝国の拡張の史実を伝説の中に探ってみよう。  創建の初代皇帝マンコ・カパックの足跡から追ってみる。

1200年頃にケチュア族クスコに成立せしめた小規模の都市国家は、和戦両様の同化によって成長し、インカ帝国により引き継がれていくのだが、インカ帝国に移行する初期王朝のサパ・インカ【国王・皇帝】の成立年代は定かではない。 しかし、一般的には、13世紀に王朝が始まったと考えられ、その継承は・・・・・・。

・      マンコ・カパック(Manqu Qhapaq、英: Manco Capac);初代国王

・      シンチ・ロカ(Sinchi Ruq’a、英: Sinchi Roca);第二代国王

・      リョケ・ユパンキ(Lluq’i Yupanki、英: Lloque Yupanqui);第三代国王

・      マイタ・カパック(Mayta Qhapaq、英: Mayta Capac);第四代国王

・      カパック・ユパンキ(Qhapaq Yupanki、英: Capac Yupanqui);第五代国王

そして、第2王朝【上王朝】

・      インカ・ロカ(Inka Ruq’a、英: Inca Roca) ・ ヤワル・ワカ(Yawar Waqaq、英: Yahuar Huacac) ・ ウィラコチャ(Wiraqucha、英: Viracocha) ・ ウルコ(Urco、英: Urco) ・パチャクテク(Pacha Kutiq、英: Pachacuti、在位1438年-1471年)

と継承され、インカ帝国が開闢する。

Silhouette of a man on a ridgeline with a big pyramid shaped mountain in the background.

マンコ・カパックケチュア語Manqu Qhapaq 、「素晴らしき礎」の意。西Manco Cápac 、1200年前後)は、インカ神話によるクスコ王国の初代国王である。 マンコ・カパックの出自については複数の伝承が伝えられている=前節参照=。

およそ40年間クスコ王国を統治し、法の規定を整備し、人身御供を廃止したと考えられている。  法規上は、人が自分の姉妹と結婚するのを禁じていたが、彼が姉妹であるママ・オクリョと結婚したため、これらの法はインカの貴族には適用されなかった。

彼女との間には、次のインカ皇帝となったロカ(シンチ・ロカ)という息子がいて、一般的には1230年頃まで支配したと考えられている。

なお、インカ皇帝(Sapa)の称号が制定される前に統治していたため、彼の称号は「カパック」(およそ将軍という意味か)である。 一説には若きアヤ・マンコは嫉妬深く、兄を裏切り殺してクスコの支配者になったと言われている。

シンチ・ロカSinchi Ruq’aケチュア語で勇敢で寛大)は、インカ神話によるとクスコ王国の初期王朝第2代国王である。 父は初代サパ・インカであるマンコ・カパック、王妃はスティク・ワマンの娘であるママ・コラ、子に第3代リョケ・ユパンキがいる。

クスコ王国は、後にパチャクテク帝の治下でインカ帝国(正式名:タワンティンスウユ)になった。  インカ建国神話の1つでは、シンチ・ロカが先導しクスコの谷に彼の家族と定着したと伝える。 シンチ・ロカは市街地を建設し、谷の土壌を改良するために多量客土を運び入れ、土地を肥沃にしたという。

シンチ・ロカの逸話にはテウオティヒの話が知られている。 テウオティヒは伝言をもたらすために隣国に送られた外交官だったが、到着次第即座に殺され、頭部を欠いた姿でシンチ・ロカの元に送り返されてきた。

伝説では、この事件をきっかけとした戦争において、クスコ王国は決定的な勝利を収め、周囲の谷への支配を開始したとされているが、考古学的資料や他の分野における研究成果では彼の統治に関して否定的である。

父の名の一部である『カパック』は、将軍という称号になったが、『シンチ』は後に市長又は地域的な統治者の称号として使用させている。

インカー72-

リョケ・ユパンキケチュア語Lluq’i Yupanki=左利きの計理士、生没年不詳、在位1260年頃~1290年頃)は、クスコ王国の3代サパ・インカ(皇帝)である。 父は2代サパ・インカであるシンチ・ロカ、王妃はママ・カワ、子に4代サパ・インカであるマイタ・カパックがいる。

一部の年代記作者たちによると、彼は小規模の征服を行ったとされているが、他の大部分の年代記作者たちは、全く戦争を遂行していなかったか、または 謀反鎮圧に専念していたとする資料が散在する。

彼はクスコの公設市場を確立し、アクリャワシという処女の館を建てたといわれている。 しかし、イスラーム世界のハーレムではない。

インカ帝国時代、この施設には帝国全土から少女が集められ、貴族や戦士などの側室として皇帝から下賜された少女以外は、一生を太陽神インティへの信仰に捧げ、儀式用の衣服の織り手や酒の造り手として過ごした。 彼女らは神の僕であったが、時々は単なる皇帝の使用人として用いられた。

マイタ・カパックケチュア語Mayta Qhapaq、生没年不詳、在位1290年頃~1320年頃)は、クスコ王国の4代サパ・インカ(皇帝)である。 父は3代サパ・インカであるリョケ・ユパンキ、王妃はママ・カウア・パタともママ・タンカリイ・ヤチイとも言われ、子に5代サパ・インカであるカパック・ユパンキがいる。

年代記作者たちによると、彼はチチカカ湖アレキパポトシなど遠方の領土を征服した偉大な戦士であった。

しかし事実上、彼の王国の範囲はまだクスコの谷に止まっていたと考えられている。 これらの偉大な軍功は、クスコ谷内の別部族であるアルカヴィザ族による征服行為であったのかもしれないとする見解であり、領地内の安定に尽くしたのであろう。

カパック・ユパンキケチュア語Qhapaq Yupanki=すばらしい計理士、生没年不詳、在位1320年頃~1350年頃)は、クスコ王国の5代サパ・インカ(皇帝)=下王朝の最後=である。

父は4代サパ・インカであるマイタ・カパック、王妃はインカの敵であったアンタの首長の娘ママ・クシ・ヒルペイ、子に上王朝の始祖で6代サパ・インカであるインカ・ロカがいる。

伝説によると、彼は偉大な征服者であった。 年代記作者であるホアン・デ・ベタンソスによると、彼はクスコの谷の外の領土を征服した最初のインカであった。

ただしこの伝承は、彼以前の王の尊厳さを限定するために設けられたのかもしれない。 『インカ皇統記』の著者インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ベーガによると、彼はクスコを、多くの建物、橋、道路及び水路がある都市に発展させたと記述している。

インカー71-

尚、王朝が安定しだすと、「知識は庶民のためのものではない」という考えのもと、いわゆる文化活動は貴族階級だけに許された。 一般庶民はそれぞれの役務に必要なことだけを教えられ、それ以上を知ろうとすることは禁止されていた。

手工業などの技術も貴族によって独占され、すなわち 貴族が職人として労働に従事していたことになるのですが・・・・・。 上記の“処女の館”は王の専用公房として この種の哲学が実践されたのであろう。

インカー74-

※;下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます=ウィキペディア=に移行。

・・・・・・続く・・・・・・

                         *当該地図・地形図を参照下さい

—— 姉妹ブログ 一度、訪ねてください——–

【疑心暗鬼;民族紀行】  http://bogoda.jugem.jp

【浪漫孤鴻;時事心象】  http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【閑仁耕筆;探検譜講】  http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/

【壺公慷慨;世相深層】  http://ameblo.jp/thunokou/

※ 前節への移行 ≪https://thubokou.wordpress.com/2014/02/22

※ 後節への移行 ≪https://thubokou.wordpress.com/2014/02/24

ブログランキング・にほんブログ村へ クリック願います